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  • キスカ島奇跡の撤退(4)~キスカを救え・最新鋭駆逐艦”島風”出撃せよ~

2017/05/20

菅野 直人

キスカ島奇跡の撤退(4)~キスカを救え・最新鋭駆逐艦”島風”出撃せよ~

1942年6月のアリューシャン作戦以来、北方における米本土へのクサビとして保持されてきたアッツ/キスカ両島ですが、反攻に転じた米軍により1943年5月、ついにアッツ島が玉砕します。

背後を取られて撤退もままならないキスカ島守備隊の運命は風前の灯火、それを救うべく帝国海軍一世一代の撤退作戦が始動します。

第一回はこちらから
第二回はこちらから
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アッツ玉砕時の日本軍現地戦力

最初に、アッツ島守備隊玉砕時(1943年5月29日)の日本軍現地投入可能戦力を確認します。

キスカ島守備隊
陸上兵力
陸軍北海守備隊(2,700名)主力
海軍第五十一根拠地隊(2,800名)主力

航空兵力
海軍第四五ニ航空隊(水上戦闘機 / 水上偵察機隊)
※ただし4月上旬で壊滅、5月27日以降搭乗員や構成員は潜水艦を開始

海上兵力
大発動艇(小型揚陸 / 雑用艇)若干
甲標的(沿岸防衛用小型潜航艇)若干

第五艦隊(拠点:大湊および幌延、アッツ島近海にも展開中)
重巡洋艦:那智・摩耶
軽巡洋艦:木曽・阿武隈
駆逐艦:長波・若葉・初霜・朝雲・白雲・薄雲・沼風・神風
特設水上機母艦:君川丸
潜水艦:伊34・伊35
その他付属艦艇若干

アッツ救援部隊(横須賀に集結中・出撃準備未了)
※ただし、米機動部隊のアリューシャン出現情報に急遽集められた集成部隊。
たまたま戦死した前連合艦隊司令長官・山本五十六大将の遺骨を運んできた艦隊まで
         組み込んだため見かけ上大戦力だが、まとまった行動や第五艦隊との連携は困難と思われる。
空母:瑞鶴・翔鶴・飛鷹
軽空母:瑞鳳
戦艦:武蔵・金剛・榛名
重巡洋艦:最上・熊野・鈴谷・利根・筑摩
軽巡洋艦:阿賀野・大淀
駆逐艦:浜風・嵐、雪風・夕雲・風雲・時雨・有明・初月・涼月・海風

キスカを救援せよ!「ケ号作戦」始動


上記のように虎の子の機動部隊まで含む救援艦隊まで編成されていましたが、結局アッツ島放棄が決定した時に救援艦隊は解散されました。

もちろん陸軍はアッツ島放棄も救援中止も猛烈に反対しましたが、「アッツは放棄するが、代わりに孤立したキスカ島守備隊は絶対に助ける」という取り決めによってキスカ救援「ケ号作戦」が始動します。

とはいえ、南方でも激戦が戦われている時期で海軍にも北方で損害に構わず戦う余裕は無く、まずは潜水艦による守備隊への緊急輸送、そして傷病兵や航空要員の引き上げが行われました。

第一潜水戦隊が従事したこの作戦は一定の効果を収めたものの効率が悪く、米軍の上陸が迫ったキスカ救援には間に合いそうもありません。そこで、第二期作戦として第五艦隊の水上艦艇を突入させ、一度に撤収させる計画へと移行していきました。

「電探装備必須ニテ、島風の派遣を要請ス」

Shimakaze 1944-11-11.jpg
By US Navy aviator – US Navy via http://www.ibiblio.org/hyperwar/USN/ref/KYE/CINCPAC-142-45/index.html, パブリック・ドメイン, Link

島風

その頃、内地では期待の新鋭艦が就役していました。丙型駆逐艦「島風」。

日本の戦闘用艦艇で最速の最高速力40.7ノットを誇り、61cm5連装魚雷発射管3基を備えた超高速重雷装駆逐艦として1943年5月10日に就役したばかりの島風は、この時期訓練部隊の第十一水雷戦隊に属し、訓練やそれを兼ねた北方への輸送に参加しています。

この島風に対し、キスカ撤退のために突入する第1水雷戦隊司令官・「ヒゲのショーフク」こと木村昌福少将から、是非とも撤退作戦部隊への編入をと強い要望がありました。

ただし、その高速や雷撃能力が買われたわけではありません。
島風は就役時からニニ号対水上電波探信儀(22号電探・対艦レーダー)を装備した初の駆逐艦であり、当時ニニ号電探を装備して水雷戦隊とともに行動可能、そして撤退作戦に間に合う軽快艦艇はほかにありませんでした。

「濃霧の中でも電探で索敵を行ってくる米軍の水上艦艇に対抗するには、我が方も電探装備艦を投入するしかありません。ぜひとも島風を!」

木村少将の要望は受け入れられ、最新鋭駆逐艦は濃霧立ち込める北の戦場へ向かいました。

燃料が無い!チャンスはわずか2回

「燃料が無い?!」

「はい、内地の備蓄燃料から第五艦隊に回せる燃料は、それほど無いのです。」

「しかも、アッツ救援のために集まった艦隊が再び南方に転出したことで、さらに厳しくなりました。」

「現状では、参加艦艇を制限しても、キスカへは2度の往復が限度かと…」

 
強力な援軍を迎えた第五艦隊ですが、ほかにも重大な問題がありました。
当初は第五艦隊全力で出撃しようとしたものの、そのような燃料は内地に無く、キスカ撤退部隊に回せる燃料も参加艦艇を制限してさえ2往復分しか確保できなかったのです。

燃料の豊富な南方ではある程度活発な活動ができたものの、こと内地近海となると燃料不足に悩んでいたのが当時の日本の実情で、前述したアッツ救援艦隊も仮に出撃していれば、深刻な燃料問題に悩まされたでしょう。

そのような中、後詰めの第五艦隊主力(重巡2隻、軽巡1隻、駆逐艦2隻)に支援されながら、第一水雷戦隊(軽巡2隻、駆逐艦11隻、その他補給艦など3隻)は幌延を出撃します。
しかし、空襲を避けるため濃霧の中を突入する予定なのに霧が晴れてしまい、突入を断念してしまいました。

当然第五艦隊も、その上位部隊である連合艦隊、さらには大本営からまで激しい叱責を浴びたものの、万が一晴天の中を突入して、空襲や米軍の有力艦隊に捕捉されたのでは撤退どころではありません。

燃料事情からも、目前に迫ったと推測される米軍上陸からも、チャンスはあと1度きり。
その「ワストワンチャンス」に賭け、7月22日夜に第一水雷戦隊は再びキスカに向かったのでした。

翌日、米軍のカタリナ飛行艇がレーダーで捕捉した日本艦隊に向けて、米軍は戦艦2隻、重巡洋艦3隻という圧倒的戦力を出撃させます。
果たしてキスカ救援の第一水雷戦隊、そしてキスカ守備隊の運命やいかに?!

次回、「本日ノ天佑我ニアリト信ズ」北の孤島に、奇跡よ起これ!

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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