- コラム
ステルス機発展史「近代ステルス機の先駆け、ハブ・ブルーとタシット・ブルー」
2019/03/20
菅野 直人
すごいー! たーのしー!
2018/10/19
菅野 直人
現代の先進国が保有する最新鋭戦闘機では重要な能力とされている『ステルス』。レーダーその他のセンサーに感知されにくい、感知されても反応がひどく小さくよほど近づかないと認識できないといった能力が期待されていますが、発想そのものはそれこそ飛行機が兵器として使われ始めた頃からありました。今回はそんな歴史の中から、レーダーに捉えられにくいことを狙った初期の飛行機、ドイツのホルテンHo229を紹介します。
『見えない飛行機』という意味で総称される事の多いステルス機。
実際には「見えにくい」、「見えてもわかりにくい」、「見える角度や距離が限られる」といった、監視の目をかいくぐりやすい程度の能力までが現在の限界で、全く見えなくなるわけではありません。
そこにあるけど気づきにくい、という意味では迷彩塗装や偽装に近いことを、電波や赤外線などを用いたセンサーに対して行っていると思った方が理解は早いでしょう。
初期のステルス機は、文字通り機体のほとんどを透明な素材で作り、「目で見えない」ことを目指しました。
なぜならば昔は飛行中の航空機を探す手段といえば「目で見る」ことが大半で、遠くの飛行機を詳しく見るため双眼鏡でもあれば御の字、エンジン音を長距離で聞き取る『対空聴音機』が豪華装備だったくらいです。
しかし、空中に発射した電波の反射波を受信する、あるいはある地点間に電波を流し、それが途切れることで飛行機の通過を察知する装置も開発されており、主に前者が『レーダー(日本語では電波探信儀または電波探知機、略して電探)』として1930年代から実用化されました。
この『レーダー』が戦争の行く末を決めるほど大きな役割を果たした初めての戦いは1940年代のバトル・オブ・ブリテン(英本土防空戦)。
レーダーで接近を察知したイギリス空軍戦闘機隊がドイツの爆撃隊を有効に撃退してイギリス屈服の意図をくじき、やがて逆にドイツ本土爆撃を行うようになると、各国ともレーダー対策に躍起になりました。
By S/D – http://www.mincyt.cba.gov.ar, パブリック・ドメイン, Link
一方、ドイツでは1930年代からヴァルター・ホルテンとライマール・ホルテンの『ホルテン兄弟』が画期的な全翼機の研究に取り組み、実際にグライダーを作って飛行させていました。
一般的な飛行機はザックリいえば胴体・主翼、尾翼で構成されていますが、それらは飛行に必要な揚力を生みますし、人間や燃料、兵器を搭載するスペースも生み出す重要なパーツです。
しかしいずれも空気抵抗の元になるので、極力抵抗の無い姿を、極論を言えば必要な部分を残して省略してしまえば、抵抗が減って軽量化にもなるため、ある意味では理想的と考えられます。
そこで水平尾翼を持たない無尾翼機、はては垂直尾翼も持たず胴体すら主翼の一部に役割を持たせた『全翼機』が各国で構想されていきますが、安定に必要な尾翼を省略し、胴体の役割を主翼に持たせると、操縦や安定性確保は困難です。
現代のようにコンピューター制御でパイロットの操縦を補助する装置が登場する以前は飛行自体が困難と言えましたが、中でもアメリカのジャック・ノースロップとともに抜群のセンスを見せたのがホルテン兄弟でした。
By US Army offical fotographer – http://www.cockpitinstrumente.de/Flugzeuge/J%E4ger/Go229/Go229.htm, パブリック・ドメイン, Link
1943年、ドイツ空軍省のヘルマン・ゲーリング空軍相が構想した“Projekt3000”(飛行速度1,000km/hで1,000kgの爆弾を搭載し、最大行動半径1,000kmの1,000×3で“3,000”)に対し、ホルテン兄弟は『ホルテンIX』で応募します。
これは最高速度900km/h、爆弾搭載量700kg、航続距離2,000kmで航続距離以外は現実的に達成可能な程度へスペックダウンした提案でしたが、もちろん全翼機。
しかしこの奇抜な提案は採用され、無動力試作機は1944年3月に初飛行して期待通りの良好な飛行性能を見せます。
これでジェットエンジンを搭載すれば、戦局を逆転する超兵器になるに違いない! 連合軍は(いろんな意味で)驚くぞぉっ!? とばかりに意気込みますが、肝心の小型軽量大出力を発揮するはずだった新型ジェットエンジン(BMW003)が開発遅延。
完成まで待ったとしても大量生産にこぎつけるのはだいぶ先になりそうだったので、優先順位の高かったホルテンIXには一回り大きなユンカースJumo004が搭載されることとなり、慌てて再設計されたホルテンIX2号機は1945年2月に初飛行しました。
ジェットエンジン搭載型は見事に提案通りの性能を発揮、喜んだ空軍はHo229として制式採用を決め、迎撃戦闘機にレーダーを積んで夜間戦闘機、もちろん当初の計画通り爆撃機としてもイケる、イケるぞ! と張り切ったのです。
2号機は4回目の飛行で墜落しますが、原因はエンジンの故障で機体の問題では無かったため、量産能力のあるクレム社やゴータ社へ早速大量発注されます。
前述しましたが全翼機の操縦はコンピューター無しでは困難なはずですが、本当に尾翼が無く主翼中央部が膨らんで操縦席と燃料タンク、そして両脇にエンジンがあるだけのHo229は普通に飛んで高性能を発揮したのですから、ホルテン兄弟のセンスたるやおそるべし!
By 英語版ウィキペディアのMichael.katzmannさん, CC 表示 2.5, Link
Ho229自体の構造も、生産に手間がかかる全金属製フルモノコック構造(現在の自動車に多い、外板と内側の骨組みだけで強度を保つ構造)では無く、鋼管パイプフレームにベニヤ板を接着剤でくっつけてくみつけるという簡易構造でした。
つまり生産も整備修理も容易、戦時急造にはうってつけだったのですが、もうひとつ重要なことに塗料にはレーダー波を吸収する性質を持った炭素素材が使われており、電波吸収型のパッシブ・ステルス能力を持っています。
さらにはレーダー反射面積の広いジェットエンジンの空気取り入れ口周辺にはレーダー波を乱反射させる凹凸があったほか、機体形状そのものがステルス性をもっており、2000年代の検証では「当時のレーダーになら十分なステルス性を持つ」と実証されたのです。
前線に持ち込まれた移動式レーダーや、夜間戦闘機用のレーダーが相手ならば「探知が非常に難しく、探知しても目の前に迫ってから」となる可能性の高かったHo229は、まさに世界初の対レーダーステルス戦闘機でした。
実用化されていれば、確実に連合軍への脅威になったはずですが、残念ながら制式採用時には東からソ連軍、西から米英など西側連合軍がドイツ本土に迫っており、もはや時間切れ、量産する時間が無かったのは残念です。
By Toeknee25 – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link
Ho229は試作機がアメリカ軍などに捕獲されましたが、いずれも未完成だったため飛行試験などは行われなかった模様で、コクピットやエンジンを含む主翼中央部のみが現存してアメリカの国立航空中博物館に、レプリカがサンディエゴの航空博物館で保管されています。
なお、アメリカでも全翼機の先駆者ジャック・ノースロップによって積極的に全翼機が作られていましたが、2018年現在実用化・実戦配備まで至ったものは軍民含めて1997年より配備開始されたノースロップ・グラマンB-2“スピリット”ステルス爆撃機しか存在しません。
あまりにも早すぎた先駆者、ホルテン兄弟は戦後もアルゼンチンに渡って全翼戦闘機や全翼輸送機を作りますが、同国の財政難でいずれも実用化されずに終わりました。
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。
撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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