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2017/08/16

菅野 直人

イギリス陸軍最後の剣士、ジャック・チャーチル中佐のエピソード5選

だいたいミリタリー物の話題になりますと、イギリス人と言えば嫌味を言っているか紅茶を飲んでいるか変な兵器を喜んで作っているか、おおむね全部なのですが、その中でもぶっ飛んでいる人物が「マッド・ジャック」ことジャック・チャーチルです。彼の代表的なエピソードを5つばかり紹介します。

第2次世界大戦で唯一、弓で戦果を上げたイギリス軍人

Jackchurchill.jpg
By 不明http://homepage.ntlworld.com/purbrookbowmen/team_history_jack.htm, パブリック・ドメイン, Link

イングランド南東部のサリー生まれと言われるジャック・チャーチルが初の軍務についたのは1926年、それから1936年に30歳で退役するまでは、バグパイプとアーチェリーが得意で、モデルや俳優として働きながらナイロビの新聞社に努めていました。まぁこのあたりは大英帝国華やかりし時代ということで、さほど特筆すべき時期ではありません。

しかし1939年9月、ドイツ軍のポーランド侵攻で第2次世界大戦が勃発、33歳のジャックは現役に復帰します。
 
その後フランス派遣軍の一員として1940年5月のドイツ西部戦線進撃に直面しますが、ここでいきなり大技を炸裂しました。何とロングボウを構えると放った弓矢でドイツ軍の下士官を殺害、これを合図に友軍は攻撃を開始したのです。
 
戦闘の結果はどうあれドイツ軍の勝利とフランスの降伏は揺るがなかったのですが、ジャックはここでいきなり「第2次世界大戦で唯一、弓矢で戦果を上げたイギリス軍人」となります。序盤の時点で何でロングボウを持っていたのか、もうワケがわかりません。

何だかわからないけど面白そうだからコマンド部隊に参加


 
ダイナモ作戦でダンケルクから撤退に成功し英本土に帰還したジャックは、コマンド部隊の隊員募集を知ります。コマンド部隊とは敵地後方に小部隊で潜入し、敵中で破壊工作や敵の妨害を行う大変危険な任務なのですが、ジャックはこれに志願しました。

「コマンドって何するところか知らないけど、危ない戦争ができるなら行っとくか。」

それでいいのか、マッド・ジャック!?

上陸作戦でバグパイプを演奏してから突撃

Jack Churchill leading training charge with sword.jpg
By War OfficeImperial War Museum photograph under Crown Copyright at time of creation, found in 1969 “Commando” by Peter Young for Ballantine Books, パブリック・ドメイン, Link

上陸訓練において剣を片手に先導するジャック(写真右端の人物)
 
さて、コマンド部隊の潜入方法と言っても飛行機からパラシュートで降下したり暗夜コッソリ侵入した駆逐艦から降ろされた小舟で上陸とかいろいろあるのですが、基本的には目立たぬよう潜入するものです。

しかし、上陸訓練の段階から腰には中世の騎士が使うような両手剣「クレイモア」左手にはなぜかバグパイプ、もちろんロングボウも装備して……訓練の前に武器屋にでも寄って、「ここでそうびしていくかい?」とでも言われたのでしょうか。

そんなジャックを見て周りが不安に思わなかったのかどうか不思議ですが、とにかく先頭切って進んでいくのですから否応も無かったのでしょう。

1941年、ノルウェーのドイツ軍へ奇襲をかける「アーチェリー作戦」に参加したジャックは、上陸するやいきなりバグパイプで演奏を始めます。あの……コマンド……隠密任務……奇襲?

敵味方とも唖然とする中、満足したかのように演奏を終えたジャックはいきなり手榴弾を投げて攻撃! 危ないですねー。こんな攻撃でもうまくいったようで、勲章までもらってしまいました。

バグパイプで指揮をとるマッド・ジャック


1943年、37歳のジャックはコマンド部隊を率いてイタリア本土侵攻作戦に参加、翌年にはユーゴスラビアに転戦して現地のパルチザンとともにドイツ軍と戦います。

1944年5月、ブラチ島というアドリア海の島にコマンド部隊とパルチザンを率いて奇襲上陸を敢行したジャックは、現地のドイツ軍と激しい戦闘に入ります。腰が引けたパルチザンは退却しますが、ジャックはわずか40名のコマンド部隊で突撃!

ジャックがバグパイプでスコットランド民謡の演奏を続ける最中も敵の迫撃砲弾が次々とコマンドを吹き飛ばしていきますが、バグパイプ演奏と戦争とどっちが大事なのかよくわかりません。

これで何とかなればすごいものでしたが、さしものジャックも敵の手榴弾に吹き飛ばされて負傷、捕虜になってしまうのでした。

原爆で戦争が早く終わってアメリカに文句を言う


不屈のジャックは捕虜収容所からの脱走を企てるものの失敗、1945年4月の終戦間近にはついにナチス親衛隊に処刑されそうになるものの、すんでのところで親衛隊の暴走を止めに来たドイツ軍に助けられました。

解放されたジャックは150kmほど歩きながら友軍を探していたところアメリカ軍と合流に成功、これで戦争が終わりと思いきや、ジャックはまだ戦争をやっているところに行きたいと言い出したようで、日本軍との戦いが続いていたビルマ戦線(現在のミャンマー)に転属。

しかしイギリスからインドに着いたところで太平洋戦争も終わってしまいます。これで戦争も終わったしゆったりとした気分に……なるどころか、苦々しい顔でジャックは言いました。
 
「忌々しいアメ公め!余計なことをしなけりゃあと10年は戦争ができたのに!」
 
いや、頼みますからもうカンベンしてください……もし日本本土決戦なんてことになったら、竹槍や日本刀を持って突撃してくる日本人と剣を構えるジャックが戦っていたんでしょうか。

座右の銘は「士官たるもの、剣を持たずして戦場に赴くべきではない」だったほど大事にしていたクレイモアはイタリア戦線で落として無くしてしまったそうですが、その後どんな剣を持っていたがが気になります。

戦後もコマンド部隊指揮官としての経歴を活かし、40歳近くなってから空挺兵としての資格を取ったジャックはパレスチナに派遣されてアラブ人ゲリラと戦ったり、1996年に89歳で亡くなるまでいろいろと破天荒な生涯を送ったのでした。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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