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2017/08/13

菅野 直人

危なっかしくて使えない!でも配備されてしまった飛行機BEST5

軍用機にしろ民間機にしろ、たいていの場合は試作機を作って大きな問題が無くなってから量産、あるいは解決できずに計画中止になるのが普通です。そのため、普通は量産されて部隊配備までいったのにとんでもない欠陥があって……ということにはならないのですが、時々そういう飛行機が出ないわけではありません。

未亡人製造機「マーチン B-26 マローダー」(アメリカ)

B-26B-55-MA
By Photo by: Charles E. Brownパブリック・ドメイン, Link

第2次世界大戦直前にアメリカ陸軍航空隊が要求した仕様に従い開発された、双発高速爆撃機。高速性能に優れていたことや、ヨーロッパで戦争になりそうだったこともあり、マーチン社の提出した案を見た陸軍はいきなり試作も無しで1,100機も発注してしまいます。

もし試作機が飛んで問題があった時、どうするのかな……と言っても、当時のアメリカ陸軍は気が変わったり必要性が無くなるとすぐキャンセルするブラックな顧客なので、この場合メーカーの方が大バクチなのでした。

1940年11月に初飛行した(試作機が無いのでいきなり)量産第1号機はそれほど問題が無かったのか、部隊配備も進みますが、それまでに無い画期的高速爆撃機には「着陸速度が異常に高い」という欠陥が。

つまり、着陸しようとして速度を下げすぎれば失速して落ちますし、さりとて高速で着陸にちょっと失敗すると車輪の柱が折れたりオーバーランして突っ込んだりで、着陸がものすごく難しい飛行機だったのです。

おかげで部隊配備してから「人殺し」「殺人機」「未亡人製造機」と悪口を言われまくったのですが、ホラやっぱり試作機でそのへんの問題を解決しておけば!と思っても後の祭り。速度性能はそれほどじゃなくても、安定した性能を発揮したノースアメリカンB-25ミッチェルがあったので、軍はあまり困らなかったのでした。

着陸性能を改善してからのB-26は高速爆撃機としてそこそこ使えましたが、初期の評判がそのままつきまとって輸出もうまくいかなかったので、未だに凡作扱いです。

平々凡々で終わって欲しかった「ブラックバーン・ボウタ」(イギリス)

ブラックバーン B.26 ボウタ
By San Diego Air & Space Museum Archiveshttps://www.flickr.com/photos/sdasmarchives/15837310772/, パブリック・ドメイン, Link

1939年、第2次世界大戦直前にイギリス空軍への納入が始まった、双発の偵察雷撃機。

空軍の沿岸航空コマンドで使う、飛び抜けた性能も特に求めていない平々凡々たる機体として地味に使われるはずでしたが、これも試作機も作らないうちから大量発注を受けています。

ヨーロッパで大戦争が起きてからじゃ遅いからと急ぐのはわかりますが、それでうまくいけばしめたもの、いかない場合は部隊配備されてから大ブーイングの嵐で、ボウタは後者でした。

安定性不良にアンダーパワー、出撃した機体が原因不明で戻ってこないなど配備したこと自体が間違いのような飛行機で、実戦部隊からは早々に引き上げられて訓練部隊に回されたものの、実戦部隊で使えないほどの欠陥機が後方だからとうまく飛ぶはずもなく。

結局、欠陥が修正されることもなく生産された580機のほとんどは飛ぶことも無くスクラップになったそうです。

で、これ誰がテストするの?「水上偵察機『紫雲(しうん)』」(日本)

水上偵察機 紫雲
パブリック・ドメイン, Link

前線での飛行場造成能力が低く、そこそこ波の穏やかな入江でもあれば運用できた水上機を頼りにしていた日本海軍では多くの水上偵察機を配備していました。

しかし、敵が戦闘機で待ち構えているような場所に、鈍足の水上機で偵察に行ってこいというのも酷なもので、さすがの日本海軍も高速偵察機を計画します。ただし水上機で。

そもそも水に浮くためのフロート(浮舟)が猛烈な空気抵抗と、空中では単なる重りにしかならないのが大問題なのですが、そこは主翼両端の補助フロートは引き込み、胴体中央下の主フロートは大胆にも敵機に追われたら切り離すことにしました。

フロートが無いと帰還しても不時着水は避けられませんが、偵察情報さえ持ち帰られればいいのです。
…それはいいのですが、それを誰がテストするのでしょう?

結局、実際にテストしないまま風洞実験だけでお茶をにごして部隊配備。しかしそもそも性能が要求性能に全く届かず、高速偵察機でも何でも無くなっていましたから、わずか数機が使われただけで終わりました。

フロートは結局どうしたか?そもそも落としたところでそれでマトモに飛ぶかどうか、誰も確かめたことが無いので、実戦ですら一度も落とさなかったそうです。

イスラエル軍すらサジを投げた「アヴィア S-199」(チェコスロバキア)

アヴィア S-199
By AlfvanBeem – 投稿者自身による作品, CC0, Link

第2次世界大戦中、チェコスロバキア(現在はチェコとスロバキアで別な国)のアヴィア社ではドイツ空軍向けにメッサーシュミットBf109Gを生産していましたが、戦後も部品はあったので「アヴィア S-99」の名で生産続行しました。

しかし、倉庫火災で肝心のエンジンを消失したので、代わりに爆撃機用のエンジンに載せ替えたのがS-199です。

エンジン以外の部品がもったいないので無理やりくっつけただけという割とデタラメに作られたS-199は飛行性能、エンジン応答性、着陸性能全て劣悪、極めつけには機首に装備した機銃のプロペラ同調装置が不良で、プロペラを撃ち抜くという第1次世界大戦レベル。

それでも他にこれといって作る飛行機も無かったので550機も作られ、チェコスロバキア空軍で使っていましたが、そこにやってきたのが独立したばかりで周りのアラブ諸国が一斉に攻めてくるのに、誰も武器を売ってくれず困っていたイスラエル空軍。

何とか売ってくれと頼み込まれて「こんなんでいいのかなー?」と思いつつ、発足間もないイスラエル空軍に納入されたS-199は、イスラエル空軍初の撃墜記録を残すなど、そこそこ活躍します。

しかし最終的にはやっぱり性能劣悪で事故多発、「いくらなんでも、これは無いわー」とばかりに、中古のP-51などが手に入るとともに、さっさと使用中止になったのでした。

前途多難どころじゃない「ヴォート F7U カットラス」

着陸態勢に入ったF7U-3。画像のサイズ上確認し辛いが、垂直尾翼横のエアブレーキが開いている。
By [[user:]] – [1], パブリック・ドメイン, Link

ここまで紹介した飛行機は、「戦争だし急いで!」という事情で配備を急いだなど、やむをえない理由もありました。しかし、それと全然関係無く猛烈な欠陥機だったのが、アメリカ海軍初期のジェット艦上戦闘機のひとつ、カットラスです。

高速性能を追求して、実際1948年初飛行の艦上機としてはバカッ速だったのですが、まず3機作られた試作機Xf7U-1が全て事故で全損。そこで何かおかしいと思えば良かったのでしょうが、そのまま量産して13個飛行隊も配備してしまったのですから大変です。

実はカットラスは離着陸時に大きな迎え角(機首を上げて地面に対し大きな角度を取る)を取る必要がある飛行機で、「制御された墜落」とも言われる空母への着艦時に全く前が見えないという、大欠陥を抱えていました。

当然のごとく着艦事故多発で「とても艦上機として使えない」と……部隊配備してから気づくような話では無いのですが、ともかく3年とたたずに全ての実戦部隊からさっさと退役。戦時でも無いのに、何でそんな慌てふためいて部隊配備したのか、理解に苦しむ飛行機でした。

なお、カットラスの欠陥は「尾翼の無いデルタ翼(三角翼)だから、そもそも艦上機に向いてなかった」と解説されることも多いのですが、同時期に同じく配備された無尾翼デルタ翼艦上戦闘機、ダグラスF4Dスカイレイには特にそういう問題は発生していません。

やはり飛行機として何か間違っていた、そう考えた方が自然でしょう。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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