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2017/02/20

菅野 直人

なかなか終わらなかった「戦後」陸自61式戦車

日本の戦車と申しますと、とりあえず74式戦車や90式戦車で「ギリギリでどうにか時流に乗り損ねなくて済んだ」10式戦車で「どうにか今時の戦車になった」という印象。

太平洋戦争中に至っては「もはや古臭い」「制式化した後のやる気が感じられない」と散々です。ではその間にあった戦後第1号、61式戦車はと言いますと…

戦後初の国産戦車、開発開始!

Japanese Type 61 tank - 1.jpg
By User:Megapixie投稿者自身による作品 (Own photo), パブリック・ドメイン, Link

1950年の朝鮮戦争勃発に伴う再軍備で、警察予備隊が発足した日本。
朝鮮戦争でソ連製T34/85戦車にまるで歯が立たず前線から引き上げられたM24軽戦車が配備され、日本の戦車隊も復活したのでした。

ちなみに日本国憲法第9条で戦力を持たないはずなのに戦車まで持ってしまった後ろめたさゆえか、陸上自衛隊発足当初まで「戦」の1文字を避けて「特車」と呼んでいます。

そして1955年には戦後国産第1号戦車…特車の開発を始めたのですから、一度完全に解体された軍事組織としては、それなりに早い方だったと言えるでしょう。

ただし、1955年となると仮想敵国だったソ連は既に100mm戦車砲を搭載したT54戦車の配備を始めており、アメリカも第2次大戦末期に制式化された90mm砲のままながら、最新のM48戦車を配備、1956年には105mm戦車砲搭載のM60を開発開始しています。

とはいえ、T-54が対外的にその姿を現したのは1956年のハンガリー動乱でしたから、その当時としては「T-34/85に十分対抗可能な戦車」と思えば、真っ当だったとも言えます。

旧軍の頃はマトモなものを開発するのに苦労した戦車砲も日本製鋼所による国産化のメドが立ち、いよいよ旧軍のイメージを払拭する戦車ができる! はずでした。

モックアップから試作車両までの苦難

JGSDF Type 61 Tank at Camp Shinodayama April 24, 2016 01.JPG
By Hunini投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, Link

隣の後継種74式よりも車高が高い

さて、試作戦車ですが開発開始早々に要求性能にクレームがつきました。
火力はともかく車重25トンに抑える要求が出され、そのためならば装甲防御力は犠牲にしても仕方がない、どうせ有力な対戦車兵器が出てくれば撃破されるし、未整備道路が多い国内事情では、重い戦車は使えないだろう…

それでは「軽くて使い勝手のいい戦車を欲しがった」旧軍の戦車思想と大して変わりません。
少なくともこの時点ではまだ“陸自戦車道”にとり、「戦後」は終わっていなかったと言えます。

ともあれ設計上、走行を薄くしても25トンの90mm砲戦車は実現不可だったため、最終的に30トン戦車を作ることにして、モックアップ(実物大模型)を作りました。

これを見た現場関係者からまた、車高が高いの装甲が薄いのとクレームが入り、とにかく車高は下げることとして試作車が1956年には完成しました。
しかし、この段階でも「鉄道輸送ができるように」と全幅制限が厳しかったため、そこに収まるエンジンやミッションの対応に苦慮しています。

そもそも旧軍の頃にも鉄道など輸送インフラ対応にこだわりすぎ、寸法からの制約で十分な戦闘力を発揮できませんでした。
それが、四式中戦車以降で攻撃力・防御力優先となり、ようやくマトモな対戦車車両を作れた過去があったはずです。

にも関わらず、戦後の61式戦車でも同じことを繰り返してしまったのはなぜでしょう?
十分な数の戦車用トランスポーターが無かったから、と言えばそれまでの話ではありますが。

さらに試作車両ではなぜか砲塔の天井後半中央が内側に凹んでしまい、外側から溶接で盛り付けて内側を削ってもまた凹むという、わけのわからないトラブルまで起きたと言われています。

実戦配備はしたものの、トホホな逸話は真実か否か?

JGSDF Type 61 Tank at Camp Otsu May 8, 2016.JPG
By Hunini投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, Link

それでもどうにか形になったので、1961年に「61式戦車」として採用、富士教導団(陸上自衛隊富士学校直轄の教育支援部隊)を皮切りに部隊配備が進められました。
その後舗装道路での長距離走行演習を行ったところ、最新戦車である61式がなぜか次々脱落、お古のM4戦車が完走してしまい、機械的信頼性で大戦中の米戦車にもまだ叶わないことが明らかになります。

何とも頼りない新戦車でしたが、その後74式戦車を開発中、試しに退役したM4戦車を74式戦車の105mm砲で射撃してみたところ、当然穴が開いて大破

そこで同じように61式戦車を射撃してみると、何と穴が開くどころかバラバラになり、さすがに現用戦車が旧軍の戦車同様「ブリキ缶」ではマズイと物議をかもしたそうですが…さて真実はいかに?

しかし、そこは平和国家日本なので実戦経験ゼロだったことも幸いし、大きな改良が行われることも無いまま2000年にめでたく全車退役したのでした。

まとめ

JGSDF Type 61 Tank Muzzle Brake at Camp Otsu May 8, 2016.JPG
By Hunini投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, Link

例のマズルブレーキ

何かとよろしくない評判ばかり後世に伝わる61式戦車ですが、それでも演習時に戦車砲先端のマズルブレーキを撤去し、ちょっと「お化粧」をすれば立派に「ソ連戦車T-72」として仮想敵役を果たしています。

90mm砲を左右に振りかざすと、車体幅が狭いためか砲身が意外と長く見えて、たぶん仮想敵を演じている時の61式が一番格好良かったかもしれません。
マズルブレーキさえ無ければ格好だけでも良い戦車だったと思えば、少し惜しいところです。

61式の教訓を取り入れた74式以降は、そこそこ世界のすう勢に沿った上で日本の国情にも合った戦車を開発できるようになり、現在に至っています。

そういう意味で考えると、61式は「戦後だと思って何もかも変わったと思うのはまだ早い!まだ戦後は終わっておらぬ!」という、戒めのこもった戦車だったかもしれませんね。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。
撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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