- コラム
意外な傑作機「スホーイSu-7/17フィッター系」
2019/01/9
菅野 直人
すごいー! たーのしー!
2019/03/6
菅野 直人
第2次世界大戦中、連合軍初のジェット戦闘機としてデビューしたものの、性能はドイツ空軍初のメッサーシュミットMe262と比べても極めて凡庸。戦後も改良を続けて朝鮮戦争でも出撃したものの、最新鋭機が揃った戦場ではやっぱり凡庸。しかし第2次世界大戦の戦勝国側の飛行機であり、保守的で枯れた設計も幸いしてか、ごく初期に実用化されたジェット戦闘機としては長く飛び続けることができました。
1910年に制作されて飛行にこそ失敗したものの『世界初のジェット機』と言われるイタリアのコアンダ=1910以来、『プロペラのない飛行機』は航空機を開発している世界各国で研究されていました。
1930年代後半にはそうした努力が実り始めており、第2次世界大戦へ参戦直後の1940年8月にはイタリアのカプロニ・カンピーニN.1がレシプロエンジンで圧縮機を駆動する『モータージェット』ながら初飛行に成功。
1941年5月にはイギリスのグロスター・E28/39が純ジェットのターボジェットエンジンを搭載して初飛行し、それぞれ飛行したものとしては「世界初のジェット機」「世界初のターボジェットエンジン機」として栄冠を獲得したかに見えました。
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しかし実はそれよりはるかに以前、1939年8月にターボジェットエンジンを搭載したドイツのハインケルHe178が初飛行に成功、イタリアもイギリスも出し抜かれていたのですが、He178の成功は極秘事項だったため大々的に公表されず、グロスターE.28/39も「ぬか喜びの世界初」だったのが世に広く知られるのは戦後の話。
ともかくターボジェットで飛行機が飛ぶのがわかれば、あとは実現可能なはずの高速性能に期待した実用ジェット戦闘機を作るだけというわけで、ジェットエンジンの開発に目途がついた1940年には早くもイギリス軍需省からF9/40仕様に基づくイギリス初のジェット戦闘機開発が要求されました。
指名されたのは、グロスターE.28/39で経験を積んだ上に、ホーカー・ハリケーンの生産も一息ついてヒマになりかけていたグロスター社。
高速性能と軽快性を要求する空軍が単発機を要求したのに対し、E.28/39での経験を経てもジェットエンジンへの信頼感をイマイチ持てないグロスターの主任設計者ジョージ・カーターは双発機で「とにかく飛ぶこと」を重視して双発を選択。
機体構造やエンジンナセルで分断された直線翼の主翼、空力的にも特に目新しいところのない極めて保守的な設計で、現代の旅客機に近い主翼下ポッド配置のジェットエンジン、重心調整のためとはいえ斬新な後退翼を採用したドイツのメッサーシュミットMe262と比べ、どうにもどんよりと野暮ったいところがありました。
これでMe262より配備が早ければまだ良かったのですが、実戦配備は数週間遅れで『世界初の実用ジェット戦闘機』の名誉も逃し、当初の命名『サンダーボルト』もアメリカ製P-47『サンダーボルト』と紛らわしいからと『ミーティア』へ変更、いかにもパッとしないスタートを切ります。
ただ、配備されたといっても初期のミーティアはスロットルレスポンスが悪かったので加速も減速もままならなくて制御が難しく、上昇力も最高速度もP-51やスピットファイアなどに比べて特段優れているわけでもなく、さらに悪いことには荷重限界が±2Gに制限されていました。
つまり「飛んで発砲するだけなら何とかなるが、飛ぶだけでも大変で攻撃機動に苦労し、戦闘機相手の空戦などとんでもない!」という、ジェット機の将来性に期待していなければ、およそ実戦配備されなかったであろう飛行機です。
そのためイギリス本土でのV1飛行爆弾迎撃や、ジェット戦闘機から攻撃された時の戦術を研究するために連合軍爆撃機への模擬攻撃、戦争末期に実験的な対地攻撃を行う程度で戦争を終えました。
短期間ながらも高い機動性や優れた武装により連合軍爆撃機隊を恐怖に陥れ、戦後もアメリカのP-80(後にF-80)シューティングスターとの模擬空戦で「低空での機動性は侮れない」と優秀性が認められたライバルMe262とは大違いです。
第2次世界大戦末期には初期型のミーティアF.1やエンジンを換装したF.3があまりパッとせず、さらにエンジンを換装してMe262並の性能向上を果たしたF.4は戦争に間に合わないなど、ミーティアの「何か致命的なほど悪いわけじゃないけど、どこか間が悪くてパッとしない」経歴は続きます。
それでもイギリス初のジェット戦闘機型なので、練習機型やレーダーを搭載した夜間戦闘機型、ターボブロップエンジンや艦載機としての実験機も登場、単発ジェットのデ・ハビラント・バンパイアと並び、イギリス初期のジェット戦闘機隊で主力を担いました。
元が1930年代末の技術で設計された保守的な機体だったので、同世代でもノースアメリカンP-51のように革新的設計のプロペラ戦闘機より旧式化は早く、1940年代末には実戦を退いていてもおかしくはありませんでしたが、後継機開発の遅れで繋ぎ役のミーティアF.8が登場。
これが配備されている時期に朝鮮戦争(1950-1953)が勃発したため、国連軍航空部隊の一翼を担う形でオーストラリア空軍のミーティアF.8が出撃しますが、より高性能のアメリカ空軍F-80CやF-84G、同海軍のF9Fでも苦戦し、最新鋭のF-86Fセイバーでようやく互角というソ連製Mig-15に出くわしたのでたまりません。
多数のMig-15に囲まれたミーティアの編隊は、『窮鼠猫を噛む』がごとくMig-15を叩き落す事もありましたが基本的には1950年代の空戦で使える戦闘機ではなく、主に使われた対地攻撃でも対空砲火やMig-15により大損害を受けました。
ようやく実用的なモデルが登場したかと思えばいい加減旧式化するまで配備され、最新鋭機にコテンパンにされるのですから、どうにも間が悪いのはもはやミーティアの宿命とすら思えてきます。
By RuthAS – 投稿者自身による作品, CC 表示 3.0, Link
しかし、こうした「ちょっとどころではなく凡庸で、すぐ時代遅れになった」というミーティアの性質は、裏を返せば割と古いプロペラ戦闘機をジェットエンジンに換装したようなもの。
それゆえこれまでプロペラ機しか乗ってこなかったパイロット、プロペラ機しか扱った事のない各国空軍にとっては『ジェットへの乗り換えには最適』であり、英連邦諸国やイスラエルなど、イギリスと関係の深い中小国空軍が初めて配備するジェット戦闘機として数多く採用されました。
スエズ動乱(第2次中東戦争)でイスラエルとアラブ側のエジプト、シリア双方が使用してそれぞれ戦果を挙げたほか、アルゼンチンで配備されたミーティアは1950年代に同国で起きた2度の内戦で政府側、反政府側双方にミーティアを装備した部隊があり、主に対地攻撃で使われています。
それらの国ではおおむね1970年頃までにミーティアを退役させ、より新しく高性能なジェット戦闘機へ更新していきましたが、本家イギリス空軍では1980年代まで連絡機や訓練用として使われ、退役後も民間登録機として飛行を続行。
驚くべきは2018年においても射出座席メーカーとして著名なマーチンベイカー社で2機のミーティアが今でもテスト用として飛び続けていることで、『わずか数週間遅れで世界初を逃しただけの、ほぼ世界初のジェット戦闘機の1つ』としては、異例の長寿機となりました。
試作機の初飛行から75年以上が過ぎてなお飛び続けるのは、あまり奇をてらわず、たとえ凡庸と言われても保守的で堅実な設計が秘訣なのかもしれません。
アメリカではミーティアの往年のライバル、メッサーシュミットMe262のレプリカ機が新造されてヨーロッパでも飛行していますが、ミーティアとMe262は編隊飛行をしたことがあるのでしょうか?無ければまだマーチンベイカーのミーティアが飛べるうちに実現してほしいものです。
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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