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2019/02/22

菅野 直人

平成軍事メモリアル(6)「最後の戦艦」~アイオワ級戦艦の退役で、世界の『戦艦』がゼロへ~

海上の浮かべる鉄の城『戦艦』。軍艦の中でも空母のように艦載機で戦わず、搭載兵器で相手の軍艦を攻撃する水上戦闘艦の代表的な事から、『軍艦=戦艦』という思い込みを生むほどインパクトのある存在です。しかし第2次世界大戦以降は急速にその役目を終えていき、平成時代に入ると最後の戦艦、アメリカのアイオワ級4隻が次々と退役して、世界の戦艦はゼロになりました。







第2次世界大戦後、急速に消えていった『戦艦』最後の生き残りアイオワ級

強力な主砲と強固な装甲で、敵艦の攻撃に耐えつつ敵の主力艦を砲撃で圧倒すべき作られた『戦艦』。
その強力な攻防力もさることながら、デザインに各国の美的感覚が取り入れられる事も多かったため、世界中で海軍力を象徴する存在として最盛期には大国は元より中小国も含めば多数の戦艦が海上に浮かんでいました。

HMS Resolution 1892 dressed.jpg
By photographer not identified. UK government – Scanned by Steven Johnson from “The Navy and Army Illustrated’, circa 25 June 1897.
http://www.cyber-heritage.co.uk/vicnavy/, パブリック・ドメイン, Link

実は戦艦の歴史はごく短く、攻撃力と防御力のバランスが取れて航洋能力も高く、外洋でその圧倒的な力を発揮可能な『近代主力戦艦』第1号は明治25年(1892年)に就役したイギリスの『ロイヤル・サブリン級戦艦』だと言われます。

それから13年後の明治38年(1905年)、日本海海戦で日本海軍の戦艦4隻、装甲巡洋艦(後の巡洋戦艦)8隻からなる連合艦隊がロシア海軍の戦艦8隻、海防戦艦3隻、装甲巡洋艦3隻を主力とするバルチック艦隊のほとんどを撃沈破する完全勝利で、日本と大陸の間の海域で制海権を完全に掌握。
戦艦こそ制海権を獲得し、戦争で圧倒的な勝利を得るための主力戦略兵器』という認識が各国で高まりました。

しかし大正5年(1916年)、第1次世界大戦中に生起したユトランド沖海戦において、戦艦28隻、巡洋戦艦9隻、装甲巡洋艦8隻のイギリス海軍と、戦艦16隻、巡洋戦艦5隻、旧式戦艦6隻という史上最大規模の戦艦同士による大海戦だったにも関わらず、双方とも決定打を欠いて戦争に勝利をもたらすほどの結果を出せずに終わります。

この時点で戦艦とは『戦う双方が決定的な結果を求めない限り、どうも煮え切らない兵器』なことがわかってしまい、第2次世界大戦で戦艦も撃沈可能な航空機が主力兵器となると、大戦後半の戦艦はほとんど単なる『海上からの大火力支援プラットフォーム』でしかなくなりました。
それも沖縄や硫黄島のような島嶼戦、上陸作戦初期以外では主砲の射程を超えた範囲への攻撃力はなく、非常に限定された状況でのみ役に立つ兵器として、費用対効果が非常に悪い兵器とみなされてしまいます。

そのため、第2次世界大戦後に就役した戦艦はイギリス(ヴァンガード)とフランス(ジャン・バール)各1隻のわずか2隻、両国とも艦隊の象徴として旗艦任務くらいにしか使い道がなく、アメリカ海軍以外では1960年代までに全ての戦艦が退役しました。

アメリカ海軍でも朝鮮戦争やベトナム戦争で艦砲射撃のため戦艦を使ったものの、結局沿岸への大威力艦砲射撃以外に取り柄のない戦艦は不要とされ、かろうじて史上最高の高速戦艦アイオワ級4隻だけが予備役として残っただけとなります。

『強いアメリカ』の象徴としてアイオワ級戦艦4隻が再就役

USS Iowa (BB-61)
By PH1 Jeff Hilton – http://www.dodmedia.osd.mil (original source, no longer exists), パブリック・ドメイン, Link

しかし冷戦末期の昭和57年(1982年)、当時のレーガン政権による『強いアメリカ』政策のひとつとして『アメリカ海軍600隻構想』が決定、海軍力でもソ連を平時から圧倒する事になり、予備役のアイオワ級戦艦の現役復帰が決まって、手始めに『ニュージャージー』が再就役しました。
続いて昭和59年(1984年)にアイオワ、昭和61年(1986年)にミズーリ、昭和63年(1988年)にウィスコンシンが再就役してアイオワ級4隻が勢揃いします。

それまでの間、ベトナム戦争で1隻のみ再就役した『ニュージャージー』も含めて装備面は艦尾の水上機運用施設がヘリ運用施設へ変わった程度で大きな変化はありませんでしたが、さすがに1980年代のアイオワ級はひと味違いました。

副砲兼高角砲として搭載されていた127mm連装高角砲4基を撤去して40mm機関砲、20mm機銃といった対空小口径旧式火器は全廃、代わってトマホーク巡航ミサイルを4連装装甲ボックスランチャー8基、ハープーン対艦ミサイル4連装ランチャー4基、ファランクス20mmCIWS4基といった近代兵器が搭載されたのです。
これにより、主砲の406mm3連装砲3基9門による大威力艦砲射撃能力は維持しつつ、主砲射程外の内陸目標へはトマホーク、対艦攻撃力はハープーン、さらにCIWSによる限定的な対艦ミサイル迎撃能力さえ持ちました。

アイオワ級の近代化にはほかにもさまざまなプランがあり、後甲板の第3主砲塔を撤去して格納庫と飛行甲板、スキージャンプ甲板を増設、垂直離着陸攻撃機ハリアーを搭載するフェーズII『アイオワ級航空戦艦』さえ模索されています(昔、ニチモからフェーズII版のプラモデルが発売されていました)。

再就役したアイオワ級は早速各地の紛争へ『世界の警察アメリカが誇る戦艦』として出撃、昭和58年(1983年)と翌年には『ニュージャージー』がレバノン内戦でシリア軍陣地を砲撃し、アメリカの圧倒的な力を示しました。

平成時代、冷戦終結で役目を終えたアイオワ級戦艦

しかし、再就役最後のウィスコンシンがまだ訓練や調整も終えていない頃の平成元年(1989年)、東西ドイツ国境が開放されるなど東欧革命によりソ連をはじめとする東側諸国の共産党独裁政権が次々と崩壊していき、平成3年(1991年)のソ連崩壊で東西冷戦は完全に終結します。

同年に起きた湾岸戦争では『ミズーリ』と『ウィスコンシン』が出撃、トマホークで開戦第1撃を行うとともに、上陸作戦を行うとみせかけた陽動で艦砲射撃を行うなど本格的な実戦参加を経験しましたが、同時にそれが近代化アイオワ級最後の実戦参加となりました。

その頃すでに国防予算の削減で『アイオワ』『ニュージャージー』は予備役にあり、湾岸戦争に参戦した2隻も相次いで予備役となって平成4年(1992年)に『ミズーリ』が退役すると、ついにアメリカ海軍からも戦艦はゼロとなったのです。

海軍としてはアイオワ級戦艦の主砲である406mm3連装砲3基9門による『世界最大の重砲』による火力は絶大であり、上陸作戦を担うため直接火力支援を願う海兵隊からも反対意見は大きかったものの、湾岸戦争で実際に有効とされたのは巡航ミサイルのトマホークでした。

そしてトマホークは何も戦艦ではなく巡洋艦や駆逐艦、潜水艦からも発射できましたし、旧式化して整備するのも主砲のための要員を教育するのも多額な費用がかかる戦艦を、東西冷戦も終わったのに現役に置く理由はなかったのです。

かくして4隻のアイオワ級戦艦は全てが博物館船や記念艦となり、映画の撮影などで時折その勇姿を見せるに留まるようになりました。
平成時代初期は、戦艦がその主砲を振りかざして威力を発揮した、最後の時代となったのです。

平成軍事メモリアルはこちらからどうぞ







菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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