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大戦中には数多くの戦艦や潜水艦が製造されていますが、数ある戦艦の中には原因不明の事故が多発したり幽霊が出るといった曰く付きの戦艦も数多く存在します。
そんな曰く付きの戦艦の中でも特に有名なのが日本の潜水艦である「伊33」。
この伊33は建造されてからというもの、立て続けに事故が起きて大勢の死者を出したことで有名な潜水艦なのです。
さらに発生した事故には全て数字の「3」や「3の倍数」が関係しており、一部では呪われた潜水艦とも言われています。
そこで今回は呪われた潜水艦と名高い伊33についてご紹介していきたいと思います。
By 伊久茂視(投稿者がスキャン) – 朝日新聞社「朝日新聞 報道写真傑作集1954」, パブリック・ドメイン, Link
今回紹介する伊33の正式名称は『伊号第三十三潜水艦』。
1942年の6月に三菱重工によって建造された一等潜水艦です。
全長約108メートル、全幅約10メートル、排水量は約3,000トンという潜水艦の中でも大型の潜水艦で当時ではかなり期待が寄せられており、進水からわずか3カ月という短期間で実戦に投入される事となります。
そして、この伊33の初舞台は大日本帝国とアメリカ合衆国の間で起きた第二次ソロモン海戦。
誰もが伊33の輝かしい戦果を期待していましたが、浮上航走中に空爆を受けたため回避しつつトラック諸島へ向かうこととなります。
そして、ここから数々の悲劇が生まれることとなるのです……。
トラック諸島に到着した伊33はこれから数々の不幸が降りかかるのですが、冒頭でも触れた通り全て数字の「3」もしくは「3の倍数」が関係してきています。
まず最初に事故が起こったのは完成から3カ月後の1942年9月。
建造後、即座に実戦に投入された伊33は訓練不足が原因でトラック諸島付近でサンゴ礁に衝突。その結果、艦首と魚雷発射管を損壊させる事故を起こしてしまいます。
その後すぐに工作船による修理が試みられましたが、修理の最中に船尾側のハッチがなぜか解放されてしまい大量の海水が流れ込んだ結果、伊33は水深33メートルの海底に沈没してしまったのです。
そして修理作業中だった伊33の艦内には複数の作業員達が残っていましたが、流れ込んでくる海水にあらがう事ができず33名の命が失われることとなるのです。
その後、沈没してしまった伊33は3カ月後の12月に引き上げ作業が行われる事となるのですが、引き上げが完了し排水を行っている時に今度は艦橋のハッチが破損。
再び艦内に大量の海水が流れ込み、再び海底へ沈むという事故も起きています。
1942年の沈没事故があった以降、伊33は呉海軍工廠にて修理が行われる事となり、2年後の1944年の6月1日に遂に修理が完了。同日をもって再び現役に復帰することとなります。
そして12日後の6月13日に瀬戸内海にて急速潜航訓練が行われる事となりますが、なんと再び沈没事故が起きてしまうのです……。
沈没の原因となったのはディーゼル機関の不具合。
本来、海中に潜航を行う際は閉じていなければならないはずのディーゼル機関吸気用弁に、偶然たまたま海を漂っていた角材が入り込み閉鎖できなくなっていたのです。
その事に気づかず吸気弁が開いたまま潜行した結果、機関室に海水が流れ込み操作不能に陥り、伊33は乗組員を乗せたまま海底60メートルへと再び沈没してしまったのです。
乗組員の中には無理やりハッチをこじ開けて脱出を試みた者もいますが、今回の事件で助かったのはわずか3名。
この時、艦長の和田睦雄少佐をはじめとする102名もの乗組員たちは溺死や窒息により死亡してしまったのです……。(102も3の倍数)
1944年に沈没した伊33が再び姿を現したのは1953年。
第二次世界大戦が終り、復興に向けて資材が不足していた日本は海底に沈んでいた伊33を回収し、スクラップとして再利用する事にしたのです。
ちなみに1953年は沈没してから数えると9年目にあたりますが、この時に再び3人の死者を生むこととなります。
海底に沈んでいた伊33の引き上げ作業は事故が起こる事無く無事に完了するのですが、次の作業工程である解体作業中に魚雷発射室で作業を行っていた作業員3名が突如倒れ、そのまま死亡。
調査の結果、判明した死因は急性ガス中毒で、密封空間だった魚雷発射室に有毒ガスが溜っていたことが原因でした。
その後は細心の注意を払い解体作業は続けられ無事に作業は完了しましたが、伊33は最終的に3回の沈没事故と138名もの命を奪う結果となってしまったのです……。
いかがでしたか。
全て偶然の可能性も十分にありますが、ここまで偶然が続くと「呪われているのでは?」と疑いたくなる気持ちも分かりますね。
実際、大日本帝国軍の潜水艦乗り達は「3」という数字を不吉な数字として忌み嫌っていたのだとか。
もしかしたら伊33には本当に“何か”があったのかもしれませんね……。
元々はインドア派だったが、体力の衰えを感じはじめたため、体を動かす趣味を探してサバイバルゲーム初参加。それ以降というものサバイバルゲームの魅力と銃の魅力にひきつけられ、今では猟銃免許や狩猟免許まで手を出して本物のショットガンを背負って山でイノシシやシカを追うまでに。サバゲーやアウトドアの魅力を知ってもらうために今日も熱意執筆中。
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