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2018/11/16

菅野 直人

意外な傑作機「飛んだだけでも立派!マグダネルXF-85ゴブリン」

意外な傑作機」の基準にはいろいろあり、目立たないけど活躍した、実は高性能だったなどいろいろ考えられますが、中には「これが飛んだだけでも大したもんだ」と言いたくなるなんて理由で「意外に傑作では」という飛行機もあります。爆撃機の狭い爆弾槽に積まれて敵地まで運ばれるパラサイトファイター、マグダネルXF-85『ゴブリン』などまさにそんな飛行機です。







昔から議論になる「爆撃機に護衛は必要か?」

飛行機の歴史で『爆撃機』なるものが登場したのは意外と早く、ライト兄弟が世界で初めて自力で離着陸する動力飛行を実現した1903年から10年たたないうちに、もう飛行機は爆弾を積んで戦場に出撃していました。
人間が乗れるなら、飛び立てる重さの範囲内なら何でも積めるだろう。それこそ爆弾でも。」というわけですが、全ての飛行機がノタノタ飛ぶというより「何とか浮いている」時期ならともかく、敵の飛行機を撃墜する戦闘機が登場すると、ただ爆弾積めばいいともいかなくなります。

戦闘機に撃墜されないよう、逃げるなり反撃するなりしなければいけませんが、その手段としては「戦闘機に撃墜されない爆撃機を作る」「戦闘機を近づかせないくらい強力な武装を搭載する」の繰り返し。

要は戦闘機が追いつけないくらい高速で飛ぶか、強力な防御放火、もっと後の時代になるとミサイルが飛んでこないためにレーダーを妨害する電子兵器やフレアなど囮装備を持つかです。
超低空を高速飛行したり、最新鋭ステルス爆撃機なんてのも「ギリギリまでレーダーに見つからない手段」ですから、単純化すれば昔からの歴史を繰り返す一手段にすぎません。

そしてどれもうまくいかず、結局は敵の戦闘機に追い掛け回されるハメになったとしても、どうしても出撃して爆撃を成功させなければいけないなら、対策はひとつ、『護衛戦闘機をつける』しか無いわけです。
過去に多数の「護衛を必要としない爆撃機」が登場しつつ、結局は護衛戦闘機を必要とするにはこのような理由があるのでした。

たかが護衛、しかしそのために多大な犠牲をはらうことも

しかし、飛行機が進歩して遠くまで飛べるようになれば、爆撃機は燃料も爆弾もたくさん搭載できるようになり、大編隊を組んで遠い彼方にある敵の大都市を一晩で灰にすることも可能になります。

もちろん相手も戦闘機で反撃してきますから護衛戦闘機をつけられればそれに越したことはありませんが、そんな遠いところまで飛べるほど戦闘機は燃料を積めません。
仮に投下可能な外部燃料タンクをぶら下げていく、空中給油その他の技術を実用化して戦闘機の燃料をもたせても、狭いコクピットに押し込められている人間の方がまいってしまいます。

そのため何だかんだで戦闘機が飛ぶ距離を少なくしようと、敵の近くの島や飛行場を占領して、そこから護衛戦闘機を飛ばそう、などと『硫黄島の戦い』みたいな事態が発生するわけです。

そのために上陸船団を仕立て、空母の艦載機による爆撃、戦艦その他による砲撃で相手を痛めつけてから大部隊を上陸させ、それでも多大な犠牲をはらってようやく『爆撃機の護衛』ができるようになりますが、時代が進むとそうもいかなくなりました。

核爆弾が実用化され、世界の裏側まで行って帰って来られる超重爆撃機が登場し、戦争が始まったら爆撃機による最初の一撃であらかた勝負がつく、という時代になると、戦争が始まってから適当な護衛戦闘機の基地を占領し……などと悠長な真似もしていられません。

よし、爆撃機に護衛戦闘機を搭載しよう!

B-36aarrivalcarswell1948.jpg
By United States Air Force Historical Research Agency, Maxwell AFB, Alabama, transferred from en.wikipedia, パブリック・ドメイン, Link

前置きが長くなりましたが、実際にそこまで考えが及んだのは1945年、核爆弾を搭載して地球の裏側まで敵地を爆撃可能なアメリカ陸軍航空隊(後のアメリカ空軍)の超重爆撃機、コンベアB-36ピースメーカーが実現しそうになった時でした。
もうジェット戦闘機は登場していましたから護衛もジェット機でなければ太刀打ちできませんが、初期のジェットエンジンはとにかく燃費が悪い上に信頼性も耐久性も低く、とても長距離飛行などできません。

よし、それなら今度のB-36は超巨人機だから、そこに戦闘機を積もうじゃないかどうせ爆撃機の周りをちょっと飛んで敵機を追い散らすだけだから、そんな長い時間飛ばなくていいし、長い航程のほとんど、戦闘機のパイロットは爆撃機の中で休んでいればいい。」

そんな発想でマグダネル社に発注された試作ジェット戦闘機ゴブリンは、1947年10月に1号機が完成しました。
しかし、いくら戦闘機を積めるくらいB-36が巨人機だといっても、爆弾槽の大きさなどたかが知れていますから、そう大きな機体にもできず。
結果、機体の長さはちょうどジェットエンジンの長さだけ、その周りに燃料タンクや必要な機械でぐるっと囲み、一番上にチョコンとパイロットが収まるコクピットを載せた、ビヤ樽じみた胴体が完成。

国立アメリカ空軍博物館の46-523号機
By Author listed as “U.S. Air Force photo” at source. – National Museum of the US Air Force (direct link) – Image listed as “050324-F-1234P-016.jpg”, パブリック・ドメイン, Link

折りたたみ式の小さな主翼、とにかく面積が少ないので数を増やして帳尻を合わせた尾翼と、どこをとっても「無様」「醜悪」「ブサイク」と、悪態しか思いつかない奇妙な姿な上に、ニックネームは『ゴブリン』(醜悪な小鬼)ですから、似合いすぎます。
これを爆撃機からよっこらしょと下ろして発進させ、燃料が無くなるか任務が終わればまた収容し、帰ろうという仕組みですが、果たしてうまくいくのでしょうか?

ゴブリンが飛んだ! 発進も収容も一応うまくいった!……けども?

そもそも普通の飛行機のように地上から離着陸することを想定していないゴブリンは、初飛行も当然爆撃機から発進、その後は爆撃機に収容する予定でテストを始めました。
とりあえずB-29を改造したテスト用の母機に抱えられたゴブリンは見事空中発進に成功飛んだ飛んだこんなブサイクな飛行機なのに飛んでる! と関係者が歓喜したのか、あるいは胸をなで下ろしたかはともかく、こんな飛行機でも普通に自由飛行はできたのです。

続いて収容はB-29の後方で乱れまくる後方気流に煽られ初飛行では失敗しますが、第2回飛行ではどうにか成功。
飛行船時代にも米海軍のカーチスF9C『スパローホーク』という例はあったとはいえ、爆撃機に搭載可能なジェット戦闘機の実験は見事に、『発進、飛行、収容』まで一応うまくいったのでした。

しかし問題はそこからで、『ふーん成功したのだから何?』と冷たくあしらわれるほど、ゴブリンの飛行性能が低すぎたこと。
何しろ『爆弾槽に収まる』という制約ゆえ他の全てに目をつぶっていたゴブリンは、単に飛ぶだけでもフラフラ、ヨタヨタした危ない代物なうえ、飛行機は大きければ大きいほど周囲や後方の気流の渦が激しいため、B-29の後下方から近づくのさえ難しいものを、さらに大きなB-36が相手でうまくいくとも思えません。

仮にうまくいっても武装は12.7mm機関銃4丁のみで貧弱ですし、ミサイルやレーダーを追加で積んだりぶら下げるスペースも皆無な拡張性ゼロですから将来まで戦闘機として任務をこなすのは困難で、「飛べたからって何をしろと?」としか言いようは無く、ゴブリンはあっさりとボツになりました。

その姿を見ただけで『がんばったで賞』な戦闘機

爆撃機からの発進/収容機構そのものは後にRF-84K写真偵察機と、その母機GRB-36Dとして短期間ながら実際に運用されましたが、結局『パラサイトファイター(寄生戦闘機)』は実現せず、そのうち核攻撃任務は弾道ミサイルや巡航ミサイルに任せ、爆撃機が直接敵地へ飛ぶ必要も無くなったのです。

ゴブリンの機体を見ると、「計画中、せめて風洞実験の段階で無茶があると気づいてくれ」と言いたくなりますが、それでもこの奇妙な戦闘機がコンピューターによる支援も無しに飛び、爆撃機からの発進や収容までこなしただけでも大したものでした。

その姿を見ただけで、「え、ウソ、これ飛んだの実験は一応成功したホントに?」と言いたくなる飛行機は、そうそう無いのではないでしょうか?

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。
撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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