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2018/10/22

菅野 直人

水上機母艦からイージス艦へ!アメリカ海軍「秘密の実験艦」ノートン・サウンド

1983年1月、画期的な武器システムであるイージス・システムを初搭載したミサイル巡洋艦『タイコンデロガ』が登場以来、35年が経った現在ではアメリカ海軍の新造水上戦闘艦のほとんどが同システム搭載の『イージス艦』となったほか、日本など同盟国でも採用され、陸上版『イージス・アショア』まで登場しています。しかし、同システムの実験艦『ノートン・サウンド』についてはあまり知られていません。







水上機母艦『ノートン・サウンド』

USS Norton Sound (AVM-1) leaves the Long Beach Naval Shipyard for gunnery trials, circa in 1969 (6454886).jpg
By U.S. Navy – This media is available in the holdings of the National Archives and Records Administration, cataloged under the National Archives Identifier (NAID) 6454886., パブリック・ドメイン, Link

後に軍事史へ数々の名を刻むこととなるアメリカ海軍の実験艦『ノートン・サウンド』が就役したのは1945年1月、カリタック級水上機母艦の1隻としてでした。
同級は水上機母艦とは言うものの、巨大な艦上構造物の後方、長い甲板へ飛行艇をクレーンで吊り下げて収容可能な『飛行艇母艦』だったようで、特設艦船でも役立つものを正規艦艇として作ったためか優先順位は低く、1番艦カリタックこそ起工から1年半ほどで就役しているものの、2番艦以降は2年半ほどかけて建造されています。

ノートン・サウンドは2番艦で、就役後早速太平洋艦隊へ配属されて沖縄に出撃、まだ沖縄戦が続く1945年5月から任務につきますが、間もなく終戦、その後は1946年4月まで日本本土への進駐支援任務、中国大陸での任務に従事した後帰国、1948年に改装を受けて誘導ミサイルの実験艦に改装されました。

まだ『誘導ミサイル』(ガイデッド・ミサイルなどと呼ばれ、無誘導ミサイル、すなわちロケット弾とは区別されていた)がモノになるのかよくわからなかった時代、旧式戦艦テネシーなどとともに誘導ミサイル発射試験に従事、実験艦としての道を歩み始めたのです。

他の同級艦(カリタック、パイン・アイランド、ソールズベリー・サウンド)がマーチンP5M哨戒飛行艇の母艦として運用され、同機の退役と共に1967年一斉に退役したのとは異なって、例外的な長寿を誇ることとなります。

実験艦として高空気球母艦や核実験にも参加

USS Norton Sound (AVM-1) underway in the 1980s.jpg
By U.S. Navy – U.S. Navy photo [1] from Navsource.org, パブリック・ドメイン, Link

実験艦という艦種は日本の海上自衛隊でもそうですが装備や任務は一定せず、改装を繰り返しさまざまな任務へ投入されますが、満載排水量1万4,000トン、短いものの幅広で重厚な艦上構造物と、フラットな後甲板を持つノートン・サウンドは多様な任務への投入や改装にうってつけ。

1948年の改装完了後は誘導ミサイル発射試験のほか、超高空の大気や気象観測用気球で、当時UFOにもよく間違えられた『スカイフック』の試験にも用いられ、さらに高空観測ロケット『エアロビー』や『ヴァイキング』の発射プラットフォームにもなりました。

正式にミサイル実験艦AVM-1へと艦種変更されたのは、1951年に初期の艦対空ミサイル『テリア』および『ターター』の発射機と誘導装置が搭載された時。
数度にわたって改装を受けながらテリアとターターの発射実験を何度も行い、1958年には長距離弾道ミサイル用試験ロケットX-17も発射、高高度で爆発させて放射線などを観測する『アーガス試験』にも参加するなど、1962年まで各種ミサイル、ロケットの発射実験に携わりました。

『タイフォン』から『イージス』へ

1962年には、最新の防空システム『タイフォン』実験艦に選ばれて、同システム用のAN/SPG-59レーダーを含む各種装備が搭載される大改装を実施、1964年に再就役しました。

タイフォンは、初期の対空ミサイルが抱えていた『発射から命中まで1目標しか対処できない』という問題を解決するため開発された、同時他目標処理能力を持つシステムでしたが、ほどなく1960年代の技術レベルでは手に余ることが判明します。
レーダーもミサイルも未発達なら、情報処理を行うコンピューターも巨大なものになり電力消費も膨大、満足な性能を持たせようと思うと原子力機関が必要とされてしまったのです。

これではノートン・サウンドで満足な試験はできず、実戦配備するにしてもそのたび原子力艦を建造していてはコストに見合わず、おまけにAN/SPG-59レーダーは信頼性が低くてマトモに動作しません。
ほどなく『タイフォン』は放棄され、ノートン・サウンドからも撤去されてシースパローSAMやECM装置などミサイル対抗兵器となる電子装備や、新型5インチ砲とその管制装置の試験などに従事します。

しかし、1970年代に入るとソ連海軍が大量の対艦ミサイルを同時発射して防空システムの限界を超えようとする『飽和攻撃』でアメリカ海軍空母機動部隊に対抗しようとしていることが判明し、再び新型防空システムを開発、ノートン・サウンドに搭載されたそれは『イージス』(ギリシャ神話の『盾』)を名乗っていました。

アメリカ最強の防空システムと迎撃能力を持った古兵へ

後に就役する世界初のイージス艦『タイコンデロガ』に先立つこと10年、1973年にノートン・サウンドはフェーズド・アレイ・レーダーのアンテナなどが目立つ大改装を行い、世界初のイージス・システム搭載艦となります。
以後、イージス・システムを用いた各種試験に従事した同艦は『第2次世界大戦中に就役した古兵でありながら、最新鋭・最強の防空システムを持つ軍艦』という特異な存在となり、古い船体上の重厚な艦上構造物は、まるで海上要塞のような禍々しさを放っていました。

1983年に『タイコンデロガ』が就役した時は、これもタイコンデロガ級の6番艦『バンカー・ヒル』から搭載されるVLS(垂直ミサイル発射機)の試験を行っており、イージス+VLSという組み合わせを持つ最強の防空艦な事に変わりは無かったのです。

イージス+VLSの試験まで終えたノートン・サウンドはバンカー・ヒルが就役した1986年にその役目を終え、同年12月にようやく退役、水上機母艦に始まり最新鋭防空システム実験艦までこなした40年以上にわたる波乱の艦歴を終えました。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。
撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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