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2018/10/5

菅野 直人

自衛隊の一歩手前の軍事力~成田国際空港警備隊(千葉県警)

国外から何らかの武装勢力が攻め込んできた場合、日本を守るべく防衛出動を行うのが戦争という『有事』における自衛隊のお役目。ただし日本国内で軍事力レベルの火力や組織が必要だけれども、やる事は治安出動に限りなく近いという場合、あるいは重要拠点で応援の自衛隊なり特殊部隊が来るまでの時間稼ぎを行う場合には自衛隊以外の『一歩手前の軍事力』が応じることも。今回は『成田国際空港警備隊』を紹介します。







日本を代表する『空の窓口』はかつて戦場だった

日本を発着する多くの国際線が利用し、特に世界から東京への『空の窓口』となっている成田空港(2004年までの旧称:新東京国際空港)。
現在は羽田空港(東京国際空港)も再び国際線が発着するようになったため、昔のように何が何でも成田を使えというわけではなくなりましたが、開港以降も続いた(というより今でも完全に終わっていない)反対運動を抑えて強行開港した手前、一応今でも『成田が国際的な窓口』ということにはなっています。

その反対運動はまさに『内戦』そのもので、1966年に成田空港の建設が決まった後は国家の発展のため国民の犠牲は当たり前、とばかりの態度を取った国も国なら、自分たちの土地や暮らしを守るためとはいえ、手段を選ばない反対派も反対派です。

外部からの援助を受けて膨れ上がった反対派の抗議活動を、国はロクに話し合いもせぬままスケジュール優先とばかりに機動隊で蹴散らそうとしましたし、怒り狂った反対派は30人の機動隊に200人で遅いかかって火炎瓶攻撃に竹槍な鈍器でリンチ。
これで相手が1946年の米軍だったら本土決戦そのままの光景ですが、これは1970年代の千葉県で起きた話です(1971年9月・東峰十字路事件)。

さらには開港直前の成田空港へ突入した反対派が管制塔の機材を破壊するなど、もう国のメンツ丸つぶれで、確かに破壊行為は犯罪とはいえ、国家権力の横暴さに不満を感じる層にとっては拍手喝采。
その後も駐めていた無人のトラックから突然火炎放射器が炎を撒き散らす、あるいは迫撃砲弾やロケット弾を撃ち込むのは日常茶飯事で、2018年9月13日に滑走路のそばで見つかった『不発弾』もその当時の名残です。

とにかく開港させればこっちのものと考えていたであろう国もついに反省して対話路線に転じたのは1995年と、そう昔の話ではなく、現在の沖縄基地問題が揉めに揉めつつ『内戦』状態に至っていないのは、成田闘争の教訓かもしれません。

『成田国際空港警備隊』創設、厳戒態勢へ

Police automobiles around Narita International Airport-2.JPG
By あばさー – 本人撮影, パブリック・ドメイン, Link

千葉県警に『成田国際空港警備隊』が創設されたのは、その『内戦』真っ盛りの1978年7月。
同年3月に前述した管制塔占拠・機材破壊事件が起き、もはや何かあったら応援の機動隊を呼んで……などと通常の警備体制では話にならないと『常時厳戒態勢』のために組織されました。

国際空港の警備隊ですから、万が一にも他国から入国しようとしたテロリストが抵抗したら……などと最初は想像しそうなところ、現実には空港敷地内から外に向けて監視塔が立ち並び、夜はサーチライトが舐め回すのは反対派という『国民』に対してという、ちょっと恥ずかしい話。

しかしベトナム戦争末期、軍民の脱出機が砲撃降り注ぐ中を離発着していたタンソンニャット空港じゃあるまいし、国も手段や体面を選んでいられません。
反対派と激しい『内戦』まで繰り広げてようやく開港した成田空港を国民から守るべく、通常の警察部隊より規模の大きい専門部隊を配置したのでした。

所属は千葉県警、人員は全国各地からの出向も含む

このような経緯で誕生した部隊のため、当初はとにかく質より量、それも若者の体力に頼ろうというわけで、精鋭部隊というわけではなく全国からの寄せ集め的な組織だったようです。
一応千葉県警所属ですがエライ人には警視庁からの出向が多く、さらに研修と称して全国の機動隊その他から1~2年の任期で『兵役』につき、一応アメ玉として昇進試験の一部免除や優遇もあったとか。

もちろんそれだけでは若く体力のある人員確保は困難なので、千葉県警の警察学校を卒業して任官した警察官は、まず空港警備隊に配属されるのが常、という時期すらありました。

そこで24時間3交代制で365日年中無休の厳戒態勢ですからストレスは多く、田舎ですから発散する場は少なく、隊員が問題行動を起こしてはメディアに叩かれさらに規律は厳しくなり……と、それだけ聞くと『戦場の軍隊と何が違うんだ?』と思いたくなります。

一応休暇はあって東京など都会に出かけるのは可能でしたが、反対派から空港への『襲撃』は前述のようにかなり後まで頻繁にあったので、気が休まる暇はあったのでしょうか。

現在はその名にふさわしいテロ対策やハイジャック対処部隊へ

いかに過激化した反対派が相手とはいえ『国民に対する暴力装置』としてあからさますぎた空港警備隊ですが、『武力闘争』が下火になった今ではその名にふさわしい部隊へと切り替わったようです。

サブマシンガンを装備した銃器対策部隊やレンジャー部隊、爆発物処理班、毒ガス攻撃やバイオテロに対処する化学防護隊、レスキュー部隊などがハイジャックやテロに備えており、少なくとも初動で全く為す術が無い、ということはありません。

海外からの窓口ということで要人の来日に備えた儀仗隊もいますし、首都の玄関口の番人にふさわしい部隊となっていますが、国際的なテロの大規模化によって、むしろ創設当時より重装備で手強い相手に対峙する宿命を負っています。

それでも国民相手に『内戦状態』だった時よりははるかにマシだというもので、少なくとも成田空港周辺は『平和』を取り戻したとはいえ、戦後日本でも今から40年以上前に『内戦』が行われていたという歴史を忘れてはいけません。
対処すべき主な相手は変わりましたが、成田国際空港警備隊は現在でも『自衛隊に頼らず限定的な準軍事力を常時行使可能』な、数少ない部隊のひとつです。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。
撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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