• TOP
  • 意外な傑作機「低空の王者にイワンが大喜び!ベルP-39エアラコブラ/P-63キングコブラ」

2018/09/17

菅野 直人

意外な傑作機「低空の王者にイワンが大喜び!ベルP-39エアラコブラ/P-63キングコブラ」

日本で戦記などに触れていると出てくる傑作機といえば第2次世界大戦の日本軍戦闘機、それを蹴散らした米軍戦闘機、なかなか落ちない米軍爆撃機などが有名どころですが、傑作機扱いどころか凡機扱いされていても、世界的には傑作機という飛行機もあるのです。今回は日本軍から『カツオブシ』と侮られたので有名なベルP-39エアラコブラと、その発展型P-63キングコブラ







昔は斬新な飛行機を結構作っていたヘリコプターメーカー『ベル』

現在、航空機分野における『ベル』といえば、シコルスキーと並んで世界中でヘリコプターを売りまくるアメリカのベストセラーメーカーとして名高いのですが、かつては戦闘機や実験機などで斬新な飛行機を得意としていました。
世界で初めて水平飛行で音速突破したロケット実験機『X-1』や、第2次世界大戦の敗戦時に未完成だったナチスドイツの『メッサーシュミットP.1011』を元にした世界初の可変後退翼実験機『X-5』もベル・エアクラフト社の作品です。

同社の創業は第2次世界大戦間近の1935年とかなり後発で、その頃にはダグラスやボーイング、ロッキードなど名だたる大メーカーが十分実用的な飛行機を量産していたので、ベルのような新興メーカーはある意味で斬新な飛行機を作って、軍など顧客の目を引く必要があります。

軍の方もそれは承知で、既に実績あるメーカーに変な飛行機を作らせ在来機の生産や改良に支障をきたしてもいけませんし、ちょっと突き抜けた斬新な飛行機はベルのような新興メーカーに腕試しのつもりで作らせる傾向がありました。

YFM-1 エアラクーダ
By http://www.ww2incolor.com/gallery/U-S-Air-Force/Bell_YFM_1_Airacuda, パブリック・ドメイン, Link

創業早々、ボーイングが開発中の長距離爆撃機(後のB-17)を護衛する長距離双発多座戦闘機として発注されたYFM-1『エアラクーダ』が奇抜な外見を裏切らない性能で不採用になりますが、ベル社も軍もそこはある意味想定内。
飛ぶ前からYFM-1がモノになりそうも無いのはある程度わかっていたのか、「じゃあ今度は高高度迎撃戦闘機を作ってみない?」と陸軍にオファーをかけられて開発したのが、P-39『エアラコブラ』です。

まるでミッドシップスポーツカーのようだったP-39『エアラコブラ』だったが

こうして1939年4月に初飛行した試作戦闘機XP-39はなかなか野心的というか斬新的というか、奇抜一歩手前の飛行機でした。

自動車のように前ヒンジでドアが開くカードア式コクピットは他にも例がありましたし、機体の前にプロペラを配置し、その牽引力で飛ぶのも割と普通で、液冷式(水冷式)エンジンなら機首が尖っているのも違和感無し。
ただ、エンジンは並の液冷式エンジンと異なり胴体内のコックピット背後、機体重心位置に搭載されていましたから自動車でいえばミッドシップエンジンのスポーツカーやレーシングカーのようなもの

これは重心位置に重量物を載せれば運動性も良くなるという意味で自動車と意味は似ていましたが、実際にはプロペラ軸を通して発射する37mm大口径機関砲を収めるためです。
そう言われると、液冷式V型エンジンの両バンク(シリンダー)間に配置してブロペラ軸から発射する『モーターカノン』と呼ばれる機関砲は大きくても30mm機関砲止まりが多く、XP-39の37mm機関砲は破格に大型でした。

さらに『モーターカノン』は機関砲が事故を起こした時、エンジンまで巻き込んで破損させることがありますが、XP-39の形ならエンジンに影響を及ぼしません。まあエンジンからプロペラまでの延長軸やギアボックスがどうなるかは知りませんが。

しかも、当時はまだ主翼や胴体に格納する主車輪と、胴体後部や尾部に配された尾輪による『尾輪式』の飛行機が多かった中、XP-39は胴体前部にエンジンが無くスペースが余っているため、現代の飛行機と同じような格納式前輪を持つ『三車輪式』でした。
前にエンジンは無いし機首も絞り込まれているしで視界の良いコクピットは三車輪式のおかげで離着陸時の視界も極めて良好でしたから、飛ばしやすい飛行機でもあったと言えます。

ただここまで使いやすそうな、そしてテスト飛行では若干物足りなかったものの、熟成すれば高性能が見込めそうな飛行機だったのに、ベル社は「やっぱ排気タービン(ターボチャージャー)外して、低空用戦闘機にしない?」と言い出すではありませんか?!
後年になって推測された理由として、当時のベル社は新興メーカーらしく資金繰りに苦しんでおり、開発に手間取っている間に倒産するより熟成の容易な道で手堅く行こうとしたのでは、と言われています。

イギリスからはクレームで返品、太平洋では『カツオブシ』と侮られ

USAAF P-39F
パブリック・ドメイン, Link

さて、せっかくの排気タービンを外したので特に中高度(12,000フィート、3,660m)以上での性能が低下したとはいえ、低空用としてはそこそこ使えると思われたXP-39はP-39『エアラコブラ』と名付けられました。

まずドイツとの戦争が始まって戦闘機なら何でも欲しかったイギリスが発注、1941年9月から引渡しが開始されるも低空でしか使えない戦闘機なんかいらない! とわかりきったクレームを入れて、同じくドイツと戦争が始まったソ連へのレンドリース(援助物資)に回してしまいます。

お膝元のアメリカでも同年12月に日本との戦争が始まると、太平洋戦線を支える新型戦闘機としてイギリス空軍のキャンセル分を米陸軍航空隊で引き取って、日本軍が快進撃を続けるオーストラリアやニューギニア方面に送りました。
なお、イギリスで発注したのは対戦闘機戦闘を重視したのか、機首に37mm機関砲ではなく20mm機関砲を搭載したタイプで、これは米陸軍航空隊では『P-400』として採用、37mm砲搭載のP-39とは区別しています。

しかし太平洋戦線に送られたP-39は、日本軍機以上に中高度性能が悪く低空戦闘オンリーな戦闘機であり、その高度だと最高速の速さも生かしきれず、高度が低すぎてパワーダイブで急降下遁走もできません。
結果、低空でも運動性が良く、まだベテランパイロットの多かった日本軍の零戦や隼に追い回されていいようにあしらわれる事が多く、機体形状から『カツオブシ』と呼ばれ、すっかり侮られてしまいました。

結果、太平洋戦線ではP-38やP-47が登場すると急速に姿を消していきますが、それまでは戦闘爆撃機として、そして爆弾を投下すればそのまま低空で日本軍の戦闘機に立ち向かい、犠牲を出しながらも戦い続けたのです。

所変われば飛行機も変わる、ソ連では水を得た魚のように大活躍!

ところが、イギリスからレンドリースに回されて受領したソ連では全く違う評価を受けました。
ソ連がドイツと戦う東部戦線のメインは地上部隊同士の戦いで、両軍の飛行機の任務はほとんどが低空での地上支援で、中高度以上での戦闘など偵察機とそれに対する迎撃くらいしかありません。

つまり低空での性能さえあれば良く、しかも地上攻撃に活用できる大火力があればいうこと無し! というわけで、37mm機関砲で戦車や自走砲などドイツ軍地上部隊をバリバリ攻撃できて、低空ならドイツ軍戦闘機に負けないP-39は大好評だったのです。

結果、イギリスからのレンドリース(もちろん最初は20mm機関砲装備型)のみならず、本来のP-39を送ってくれ大至急! という声に応えたアメリカからP-39のほとんどはソ連に送られ、やはり低空を得意とするソ連製戦闘機やシュツルモビーク(襲撃機)とともに大活躍したのでした。

要するにP-39とは現代で言えば30mmガトリング砲で戦車を切り裂く『空飛ぶ缶切り』米空軍のフェアチャイルドA-10『ウォートホッグ』のようなもので、使いどころさえ間違えなければ傑作機そのものだったのです。

発展型P-63『エアラコブラ』もやはりソ連で活躍

ちなみに、アメリカ陸軍航空隊では当初凡庸な性能だったP-47『サンダーボルト』やP-51『ムスタング』をメーカーに熟成させて傑作機に発展させていますが、量産実績を上げて自信のついたベル社にもP-39の発展型を発注しました。
すなわち本来の高高度性能を取り戻すべくエンジンを更新するとともに各部設計を全面的にリファインし、中高度以上の性能はもちろん各性能を向上させたP-63『キングコブラ』です。

The Bell P-63 Kingcobra.jpg
By http://www.nationalmuseum.af.mil/shared/media/photodb/photos/061024-F-1234P-024.jpg. en.wikipedia からコモンズに Alaniaris が移動されました。, パブリック・ドメイン, Link

ただ、P-63はハナから出来がいいのがわかっていたのか試作機が初飛行する前の1942年9月には採用していましたが、前述の傑作戦闘機が登場していたので米陸軍航空隊では必要性が無く、演習弾が命中するとプロペラスピナの先端がピカピカ光る有人標的機『RP-63ピンボール』に使われたのみ。
他はやっぱりソ連にほとんどが送られ、ドイツ軍を蹴散らしてナチスドイツを降伏させた後は、対日戦にも使われて満州や朝鮮半島への空襲でP-39と共に使われました。

ベル社の『コブラ』シリーズは他にもP-39が自由フランス空軍や降伏後に連合軍へくら替えしたイタリア共同交戦空軍にも配備され、P-63は戦後のフランス空軍でインドシナ戦争にも出撃したのが最後の実戦だったようです。

P-51やF4Uなど戦後も長く使われたレシプロ戦闘機と異なりP-39もP-63も1950年代早々には一部の実験用途や標的機を除いて現役を退き、一部の酔狂なマニアがレーサーに転用、1990年に最後のP-63改造レーサーが墜落するまで飛び続けたのが最後となりました。

Bell P-63 Kingcobra, Chino, California.jpg
By Greg Goebelhttps://www.flickr.com/photos/37467370@N08/7164667799, CC 表示-継承 2.0, Link

飛行可能なP-39はもう無いようですが、P-63は今でも数機が民間登録されて飛行可能な状態にあります

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。
撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

この記事を友達にシェアしよう!

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

サバゲーアーカイブの最新情報を
お届けします

関連タグ

東京サバゲーナビ フィールド・定例会検索はこちら
東京サバゲーナビ フィールド・定例会検索はこちら

アクセス数ランキング