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2018/07/27

菅野 直人

「マッコイ、あそこに降りてくれ」空母に着艦した大型機5選

間近で見るとその巨大さに圧倒される航空母艦。特にアメリカ海軍の原子力空母などまさに「スーパー・キャリアーだ!」と思わされますが、広い海上で上空から見れば、他の船よりちょっと大きい豆粒みたいな存在なのも確か。そのため運用できる飛行機は限られますが、任務によってはどうにもデカイ飛行機じゃないとこなせないこともあるので……今まで空母へ着艦したことのあるとびっきりの大型機を5機ほど紹介してみます。







発艦だけならできる飛行機も、着艦ばかりは難しい!

空母で運用できる飛行機」の解釈ですが、一応何らかの方法にせよ『発艦だけならできる飛行機』は過去にいくつか存在し、実際に運用もされました。
有名どころでは、1942年に初の日本本土空襲を実現した『ドゥーリットル空襲』で米空母ホーネットから発艦した米陸軍航空隊の双発中型爆撃機B-25があります。

さらに、第2次世界大戦が終わった直後、まだ核爆弾の小型化に成功していない時期には、「米海軍の空母機動部隊も核攻撃を行える!」という証明のため、ロッキードP2Vネプチューン哨戒爆撃機をミッドウェー級空母から無理やり発艦させていたことも。

いずれも「他の手段が無いのでやむを得ず」という選択でしたが、重い核爆弾を搭載したP2Vなど、大きすぎて格納庫に収納できず、RATO(ロケットブースター)全開で飛行甲板上を煙だらけにして発艦しますから、他の飛行作業は一切できません。

もちろん着艦など考えたことも無く、帰りはどこか無事な友軍基地まで頑張って飛んでいくしかないのですが、マトモな運用とはとても言えないパクチ的な作戦にしか使えませんでした。
そこで、やはり「マトモな運用、つまり空母に着艦もできた飛行機」に限ってご紹介します。

1.ポテーズ56E(1936年フランス)

Appontage d'essai du Potez 56E sur le porte-avions Béarn[1]
Par Inconnuhttp://forummarine.forumactif.com/t4805-france-porte-avions-bearn, CC BY-SA 4.0, Lien

第2次世界大戦前、戦艦改造のノソノソした空母ベアルンしか保有していなかった割に、大型の島型艦橋や横策式着艦拘束装置(アレスティング・ワイヤー)など先進的装備を実用化していたフランス海軍でしたが、艦載機の開発があまりうまくいっていませんでした。

というより、丸っきり旧式とは言えないけど何となくドン臭い飛行機の多かったのが1930年代後半のフランスでしたが、ドイツの新空母(グラーフ・ツェッペリン)に対抗した新空母ジョッフル級も1938年の起工が決まりましたし、何か新しいことをしたくなります。

それで双発小型輸送機のポテーズ56を改造して着艦フックを追加、発着可能な感状輸送 / 連絡機としたのがポテーズ56Eです。

双発機とはいえ全長11.84m、全幅16mは後のダグラスA-1スカイレーダー(全長11.84m・全幅15.25m)よりちょっと大きい程度でしたから、主翼の折りたたみ機構でも追加すれば、何とか運用できそうな気もしてきます。

実際、1936年にはベアルンでも着艦テストにも成功、これが『世界で初めて空母に着艦成功した双発機』らしいのですが、それ以前の日本の九三式艦上攻撃機(後に陸上攻撃機へ転換)なんかは、実際着艦テストまで進まなかったようです。

ちなみに新しいことを始めるのが好きな割に、その後しっかりまとめるのが苦手だった戦前のフランスのことでしたから、ポテーズ56Eも着艦テストに成功したっきりでそれ以上は何も進まず、陸上基地で普通に連絡輸送機として使われました。

2.ノースアメリカンAJサヴェージ(1948年アメリカ)

艦上のAJ-2
By
不明
– U.S. Navy photo NH 97459, パブリック・ドメイン, Link

ポテーズ56Eのような例外はともかく、第2次世界大戦までの空母はまだまだ小さい上に、搭載機の能力も限られたので、多少大きな双発爆撃機など搭載するより、多数の戦闘機・雷撃機・急降下爆撃機を載せた方が良いとされていました。

その一方でイギリス海軍のイラストリアス級や日本の大鳳のように飛行甲板へ装甲を張った装甲空母も出現しますが、何しろ高い位置に装甲を張るのでトップヘビーになりやすく、なるべく飛行甲板の位置を下げると格納庫が狭くなります。

しかも搭載機の性能向上、技術の進歩によりレーダーその他電子機器の搭載も増えてくると、搭載機が大型化して搭載機数が減るか、小さい機体へいろいろ詰め込んだ奇形機を苦労して運用するハメに。

そこで装甲防御を施しつつ大型化する搭載機も増やして、となると空母そのものが大型化するしかなくなり、第2次世界大戦終結直後に完成した米海軍のミッドウェー級空母など、未起工に終わったモンタナ級戦艦の設計を流用した大型装甲空母が誕生しました。

それだけの大型空母なら、登場したばかりで小型化の進まない核爆弾を搭載した双発爆撃機くらい運用できるだろう……というわけで開発されたのが、双発攻撃機ノースアメリカンAJ(1962年以降はA-2)『サヴェージ』です。
レシプロエンジン2基、尾部にジェットエンジン1基を装備した変則的な3発機だったサヴェージは5.4tまでの爆弾を搭載可能だったので初期の4t級核爆弾を搭載しての発艦と攻撃も可能でした。

ただし、ジェット時代にレシプロ / ジェット混合動力で最高速度758km/hでは「単に核爆弾を積んで飛んでいけるだけ」であり、迎撃されたらどうなるかなどあまり考えたくない代物でしたが、そこは天下のアメリカ海軍、キチンと後継機を整備していたのであります。

3.ダグラスA-3スカイウォーリア(1952年アメリカ)

A3D-2-Skywarrior-VAH-6-April1958.jpg
By US Navy – U.S. Defenseimagery.mil photo DN-SC-88-06693 [1], パブリック・ドメイン, Link

AJサヴェージで一応の核攻撃能力を手に入れた米海軍空母機動部隊でしたが、ジェット戦闘機が迎撃してくる中でマトモに運用するのは難しく、時代に対応したジェット重攻撃機をAJの試験飛行と並行して進めていました。
それがダグラスA3D(1962年以降はA-3)『スカイウォーリア』で、ジェットエンジン双発で最高速度は982km/hに向上、もちろんジェット戦闘機よりは遅いものの、簡単に追いつかれない程度の性能を手に入れます。

双発重攻撃機とはいえ、全長23.27m・全幅22.1mは全幅こそ小さいものの全長など大戦中のB-17重爆撃機より長く、当時のレベルでも中型爆撃機クラスの大きさを誇ったのです。
もっとも、実用化された頃には核爆弾の方で小型化が進み、小型ジェット攻撃機のA-4スカイホークどころか、レシプロ単発のA-1スカイレーダーですら搭載可能になったので、スカイウォーリアの必要性は急激に薄れていきました。

それでもさらに「長距離を超高速で突破して核爆弾を放り投げる」という用途に特化した後継機、ノースアメリカンA-5『ビジランティ』まで作った米海軍でしたが、小型の戦術核爆弾なら戦闘機や小型攻撃機で十分ですし、戦略核兵器はSLBM(弾道ミサイル原潜)で十分ということに。

それで結局『核攻撃を目的とした艦載機の大型化』は意義を失い、他の用途に転用が難しかったビジランティは短期間偵察機として使われたのみで早期退役してしまったものの、スカイウォーリアはむしろその巨体を活かした用途へ回されます。

電子戦機 / 空中給油機兼用のEKA-3Bや、連絡輸送機VA-3Bへと改造されたスカイウォーリアは、実に冷戦終結後の1991年まで、長きにわたり運用されました。

4.グラマンF-14トムキャット(1970年アメリカ)

F-14 Tomcat VF-14.jpg
By Service Depicted: Navy
Camera Operator: COMMANDER JOHN LEENHOUTS – ID:DNSC9009143, パブリック・ドメイン, Link

映画『トップガン』のおかげで日本でも人気が高い超音速ジェット艦上戦闘機、グラマンF-14トムキャットも実はかなりの大型機です。

全長18.87m、可変後退翼の主翼は発着艦の時はもちろん目いっぱい広げますから全幅19.55mと、スカイウォーリアほどでは無いものの艦上戦闘機としては最大級で、ロシアのSu-33や中国のJ-15などシーフランカー・シリーズより全幅は上回ります。

艦上運用時の最大離陸重量も31t以上ですから、現行のF/A-18E/Fスーパーホーネットは元より、A-3スカイウォーリアを除くどの艦載機よりも大型大重量です。
さすがに大きく重くなりすぎて不採用となったジェネラル・ダイナミックスF-111Bほどではありませんでしたが、おそらくトムキャット以上に巨大な艦上戦闘機は今後登場しないのではないでしょうか

5.ロッキードC-130ハーキュリーズ(1954年アメリカ)

Lockheed KC-130F Hercules aboard USS Forrestal (CVA-59) on 30 October 1963.jpg
By U.S. Navy – U.S. Navy photo [2] from Navsource.org, パブリック・ドメイン, Link

現在でも日本の航空 / 海上自衛隊を含む世界各国の航空部隊で現役の輸送機、C-130ハーキュリーズ
貨物の積み下ろしが容易で運用コストは安く、飛行性能は凡庸なもののSTOL(短距離離着陸)性能に優れていることから、大抵の飛行場、あるいは平坦でちょっとした距離があればどこでも離着陸できるため、初飛行から半世紀以上たった今も新規生産が続いています。

ならば「どこでも降りられるというなら、空母はどうなのよ?」と思われるのも当然で、1963年には当時の最新鋭空母『フォレスタル』で、米海軍の空中給油機型KC-130Fで発着テストが行われました。

さすがにアングルド・デッキ(斜め飛行甲板)では短すぎるので、昔の空母のように艦尾から艦首まで飛行甲板に真っ直ぐ一本線が引かれ、その方向にはアレスティング・ワイヤーも無いので制動用の着艦フックも無し。
全長29.79mはともかく、全幅40.41mはさすがにキツくないか……と思うものの、白線通りに着艦すれば艦橋にはギリギリ当たらないようなので、それでチャレンジしてみることにしました。

結果、失速寸前でアプローチしたKC-130Fは「コントロールされた墜落」と言われる空母着艦時の衝撃なども特に無く、車輪が甲板についたとみるやスムーズに停止、そのまま再び艦首へ向けて速度を上げ、フンワリと発艦してみませました。

やってみればあっけない成功で、「漫画エリア88」でマッコイのC-130輸送隊がやったような、山中秘密基地への冒険活劇レベルの着陸のようなスリリングな展開にすらなりませんでした。
もしかして、マッコイのC-130輸送隊ならその後も原子力空母『88』に直接発着して物資補給をしていたかもしれませんが……現実においては、さすがに主翼を畳めず垂直尾翼が高すぎて格納庫にも収まらないので、C-130を艦上輸送機にしよう! という話は出なかったそうです。

現在、米海軍の空母ではE-2早期警戒機をベースに輸送機用ボディを与えたグラマンC-2グレイハウンドが、COD(艦上輸送機)として使われています。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。
撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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