- コラム
ロシア帝国の巨鳥から米露ご長寿機まで、超重爆撃機5選!
2017/10/2
菅野 直人
すごいー! たーのしー!
2018/05/11
菅野 直人
近代化改修を受けて後継機を押しのけて2050年代まで運用、どうやら「100年兵器」の称号が視野に入ってきたアメリカ空軍の超重爆撃機B-52ですが、ここで「ちょっと待った!」と言いたいのがそのライバル、ツポレフTu-95。こちらも「100年兵器」になりそうな上に、『世界最速のプロペラ機』の称号を持ちます。2機の「100年爆撃機」の東側代表をご紹介!
関連記事:まだだ!まだ終わらんよ!超重爆撃機ボーイングB-52ストラトフォートレスの100年
By Marina Lystseva – http://www.airliners.net/photo/Russia—Air/Tupolev-Tu-95MS/1328519/L/, GFDL 1.2, Link
西にボーイングB-52“ストラトフォートレス”あれば、東にツポレフTu-95、NATOコードネーム“ベア”あり!
1952年に初飛行したB-52はターボジェット(現在配備されているB-52Hはターボファン)エンジン8基で飛行する後退翼機なのに対し、Tu-95も1952年初飛行とB-52と同期で、4基のターボプロップエンジンにより、4組の二重反転プロペラを駆動して飛行します。
両機の主任務はそれぞれ初期には敵地上空へ乗り込んでの核爆弾投下に始まり、それが対空ミサイルの発達で非現実的となり、ICBM(大陸間弾道ミサイル)に取って代わられると、以後は巡航ミサイルや対艦ミサイル、通常爆弾を搭載した任務に代わったのも同様です。
違いといえば、どちらかと言えば爆撃機としての任務一本鎗で、偵察型や電子戦機など派生型は少数しか作られなかったB-52に対し、Tu-95はそれら派生型が積極的に作られ、B-52には無い対潜哨戒型Tu-142や、何と旅客機型Tu-114までありました。
さらにはアメリカ空軍では旧式爆撃機を改造したNB-36Hで行った空中原子炉試験(将来は原子力動力機を作る予定だった)を、Tu-95の改造型Tu-119で行っています。
B-52と初飛行時期や任務が重なり、さらにそれ以上活躍しているのがTu-95なのです。
さて、そのTu-95がターボプロップエンジン4発の超重爆撃機なのはもう説明しましたが、B-52と同時期に開発されながら、なぜ同じようにジェット爆撃機にならなかったのでしょう?
旧ソ連ではアメリカと同様、第2次世界大戦末期から戦後にかけて、ドイツからジェットエンジンなど航空機用先進技術を手に入れたため、その初期においてドイツ式の技術を用いたターボジェットエンジンの開発に成功。
さらに、同じくジェットエンジン先進国だったイギリスからも、冷戦が激しくなる直前に技術導入に成功していたため、1940年代の技術を使った初期のターボジェットエンジンは、そこそこいいものを作れたのです。
そのため、朝鮮戦争で活躍したジェット戦闘機ミコヤン・グレヴィッチMig-15や、ライセンス生産型が独自発達した中国空軍では今も主力爆撃機H-6として就役中の、ジェット重爆撃機ツポレフTu-16など、初期の軍用ジェット機開発には成功しました。
しかし調子が良かったのはそこまでで、大型で大推力、燃費も良好なターボジェットエンジン、あるいはそれより効率の良いターボファンエンジンの開発は苦手としてしまい、旧ソ連が大型機にまでそれらを使えるようになるのは1980年代を待たねばいけません。
そのため、苦肉の策としてこれもドイツから技術導入、実用化に成功していたターボブロップエンジンと、高速飛行に有利な後退翼を組み合わせ、亜音速飛行が可能な世界最高速のターボブロップ超重爆撃機Tu-95を開発した、というわけです。
「なんだ、ジェット開発に失敗してプロペラ機か」と思うかもしれませんが、大馬力大型ターボブロップエンジンというのは作るのがそれなりに難しく、しかもプロペラ機で機体周辺の空気の流れが部分的にでも音速を超える『亜音速』飛行を行うのは困難を極めます。
そのため、プロペラ機の速度は強力なレシプロエンジンやターボブロップエンジンでも通常は速くても600~700km/h程度、レース用や記録飛行用でも850km/h程度に留まるのが普通。
最大の理由は、高速発揮のため馬力を上げてプロペラの回転数を上げ過ぎると、プロペラの先端速度が音速に達してしまい、発生した衝撃波で抵抗が極端に増加するため効率が低下してしまい、それ以上の高速発揮が困難になるからです。
それに対処するため、『プロップファン』など高速向きのプロペラ形状を持ったターボプロップ機が1990年代に入って実用化されるようになりましたが(初採用はやはり旧ソ連/ウクライナのアントノフAn-70輸送機)、それより40年以上前に克服していたのがTu-95でした。
その解決方法はというと、プロペラ機としては異例なほど直径が大きい二重反転プロペラを低速で回し、低いプロペラ回転でも効率の良い牽引力を発揮した上に、低速回転なのでプロペラの先端速度を下げることができたのです。
「プロペラ先端速度が高すぎるのが問題なら、下げても飛べるようにすればいいじゃない?」という、何ともコロンブス卵的発想でありますが、西側で同様の成功例はありません。
大直径プロペラのTu-95はそれゆえエンジンと地上とのクリアランスがそれなりに必要で、膠着装置(車輪の柱)の長さも必要で胴体部の地上高も高くなりがち、など多少不便なところはあるとはいえ、旧ソ連の航空技術が西側と違うベクトルで高かったことを示す好例です。
さて、こうして1952年に初飛行後、やはりB-52と同時期の1956年に部隊配備されたTu-95は、日本の、特に航空自衛隊にとっては「お馴染みのお客様」であります。
ウラジオストク周辺などシベリアの基地から発進しても日本列島を一周できるほど航続距離の長い超重爆撃機、さらに偵察機型や電子戦機による情報取集任務も盛んにおこなわれていたからです。
米軍から防空任務を引き継いで以降、航空自衛隊が防空識別圏に接近した航空機に行う緊急発進(スクランブル)の対象は大半が旧ソ連 / ロシアのTu-95で、特に北海道東岸から三陸沖を南下、東京に近づきつつ伊豆諸島に抜けてから帰るルートは「東京急行」と呼ばれました。
旧ソ連崩壊とロシアの混迷期である1990年代には一時減少、さらに2010年代からは中国機へのスクランブルも増えたとはいえ、ロシア軍のTu-95「東京急行」は、今でも日本周辺に飛来しています。
前述の通り、中国軍にはジェット爆撃機Tu-16のライセンス生産を許可し、その後独自発達型が今でも主力です。
しかし、航続距離が比較的短いからまだいいようなもので、もし中国空軍や海軍航空隊にTu-95が配備されていれば、より頻繁に東シナ海や南シナ海に飛来していたはずで、そのたび日本など周辺各国は緊張を強いられたと思われます。
他の爆撃機は多数輸出した旧ソ連でもTu-95は門外不出に近い扱いで、それだけ重要かつ軍事バランスに大きな影響を与える飛行機ということです。
1991年の旧ソ連崩壊とそれに先立つ冷戦終了により、一時はTu-95の役目は終わったかのように思われた時期もありました。
旧ソ連の大半を受け継いだロシアとアメリカの間では緊張緩和が進んだ時期もあり、アメリカ空軍の爆撃訓練競技会に、ゲストとしてロシア空軍のTu-95が参加したことさえあったほどです。
しかし、2000年代にロシアの経済が復興、2010年代に入ってからウクライナ領のクリミアを併合するなど、再び対外的な野心が目立つようになってくると、再びTu-95の価値が増してきました。
2015年から介入したシリア内戦では、超音速ジェット爆撃機Tu-160とともに巡航ミサイルを搭載してイスラム教過激派組織ISILやシリア反政府勢力に対する攻撃に投入されており、アメリカのB-52やB-1Bに対抗するように、その力を誇示しています。
Tu-95は1970年代後半の一時期生産ラインを閉じていましたが1983年に再開、1990年代まで生産が続けられたため、もっとも新しい機体でも1962年製のB-52より新しいのです。
構造上、B-52より機体寿命が短いので一概に比較はできませんが、その重要性や全ての任務を代替できる後継機が無いこともあり、必要とあらば再生産しつつ、やはりB-52と同じ2050年代、あるいはその先まで使われるかもしれません。
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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