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2018/04/13

菅野 直人

まだだ!まだ終わらんよ!超重爆撃機ボーイングB-52ストラトフォートレスの100年

紛争とあらば即出撃、紛争が無くとも相手国へプレッシャーを与えるため飛び続けるのが、アメリカ空軍のボーイングB-52ストラトフォートレス。冷戦時代を象徴するようなジェット超重爆撃機ですが、原型機の初飛行から65年以上経ってから「改修してまだまだ飛び続ける」ことが決まりました。かつて核爆弾を敵に投下するため最適化された機体が、たまたま現在の戦場でも役に立つのがその理由ですが、これまでの、そしてこれからの「B-52の100年」を紹介します。

冷戦時代のジェット超重爆として生まれる

B-52 & Tu-95.jpg
By Camera Operator: TSGT. FERNANDO SERNA – [1], パブリック・ドメイン, Link

1945年の第2次世界大戦終結からすぐ、世界のほとんどはアメリカを中心とする自由主義陣営「西側」と、ソ連を中心とする共産主義陣営「東側」に二分されました。

お互いが直接激突する時を第3次世界大戦と定め、もっとも強力な兵器である核兵器をどれだけ開発・配備するかを競って、「その時」に備えた時代が1991年の旧ソ連崩壊まで続いたのですが、その初期に重要な役割を果たしたのが、核爆弾を運搬可能な重爆撃機です。

核兵器にもいろいろ種類があった中、都市を丸ごと吹き飛ばし、地形すら変えてしまうような威力を持つメガトン級核兵器を運搬可能だったのは超重爆撃機だけだったので、アメリカやソ連、さらにイギリスやフランスなどもジェット爆撃機を開発します。

それらはやがて、対空ミサイルなど防空システムの発達で「核兵器を搭載しているだけのでかい標的」となってしまい、その多くが短命に終わるか、任務や戦術を切り替えていきました。
その1つが、1952年に初飛行、1955年から配備が始まったボーイングB-52ストラトフォートレス(成層圏の要塞)です。

8基のターボジェットエンジンで超高空を亜音速で長距離飛行なB-52は、核爆弾を搭載してのパトロール機、および即時発進可能な地上待機機を含め、核戦争が始まれば最初に敵国の重要都市や軍事拠点を片端から吹き飛ばす尖兵として、冷戦の象徴になりました。

登場直後から旧式化の運命

アメリカ空軍所属のB-29
By https://media.defense.gov/2009/Jun/25/2000536926/-1/-1/0/090625-F-1234K-159.JPG, パブリック・ドメイン, Link

このような「爆撃機による核戦略」は、第2次世界大戦中にボーイングB-29スーパーフォートレスが日本の広島、長崎を吹き飛ばして以降の定番として受け継がれたものです。
B-29の発展型B-50、空前の超大型爆撃機コンベアB-36ピースメーカー、亜音速ジェット戦略爆撃機ボーイングB-47ストラトジェットと短期間に更新された先がB-52。

朝鮮戦争の戦訓から、超高空を亜音速程度で飛んで自由落下型の「核爆弾」を落としていてはジェット戦闘機からの迎撃に逃れられないと、搭載する核兵器を長距離ミサイルに変更したり、爆撃機自体を高速で突入させる超音速爆撃機、コンベアB-58ハスラーも配備されます。
しかし、最終的には以下の理由で、各爆撃機そのものが否定されてしまいました。
 

  1. 1.発達した対空ミサイルからは、どんな超高速爆撃機も逃れられない。
  2. 2.地上や潜水艦から発射する核弾道ミサイルの配備に目処がついた。
  3. 3.そうした新時代の核戦力整備のためには、不確実性の高い核戦略爆撃機は無用。

 
こうして、B-52やB-58の後継として開発されていたマッハ3級超音速爆撃機、ノースアメリカンXB-70バルキリーは初飛行を前に開発キャンセル(高速実験機として飛行実験は行われた)。
とにかく飛んでいって核爆弾を落とす」以外の任務を行うにはコストパフォーマンスが非常に悪かったB-58など、1960年に部隊配備されたばかりにも関わらず1970年で早々に退役させられましたが、B-52は旧式化のレッテルを貼られながらも、何とか生き残ったのです。

ベトナム戦争での猛爆撃行“ラインバッカー”

なぜ新しいB-58が退役したり、より新しいXB-70が開発中止される中、旧式なB-52が生き残れたのか?それは類まれなる「余裕のある設計」のためでした。

B-52は主翼が柔構造、つまりピンと張らずに飛行状況に応じて適度に歪み、地上ではダランと垂れるほど柔らかいものでしたが、それゆえに疲労破壊などに強くて構造的な寿命が長く、その気になれば超高空だけでなく超低空進撃すら可能で高い運動性も持っています。
さらに、B-36ほどではないにせよ巨大で、しかも軽量ハイパワーだったので、「普通の爆弾」や核弾頭を搭載した巡航ミサイル、対艦ミサイルとなんでも搭載できたのです。

そこで新開発の巡航ミサイルを搭載した核パトロールを冷戦終結まで継続したほか、1965年に始まったベトナム戦争では「普通の爆撃機」として多数のB-52が編隊を組み、首都ハノイなど北ベトナムの各都市を片端から絨毯爆撃していきました。
結局、B-29やB-17のような使われ方に回帰して、いかにも爆撃機らしい任務に投入されたわけです。

この任務は1965年から1968年まで行われて北ベトナムのインフラや都市機能を徹底的に破壊しましたが、戦闘機はもとより電子妨害装置で無効にしたはずの地対空ミサイルさえ無誘導対空ロケットとして多数発射され、予想されていた通りB-52にも多数の損害が生じました。

それでも屈しない北ベトナムに対し、1972年からは和平交渉(パリ協定)の席につかせるべく猛爆撃を再開、5月の「ラインバッカーI」と12月の「ラインバッカーII」両作戦で、同国にようやく致命的な打撃を与え、講話にこぎつけることに成功したのです。

もっとも、今ではよく知られているように、南ベトナムも長く続いた戦争で北ベトナム以上に疲弊しきっており、小競り合いの末に再開した戦争で1975年に南ベトナムは滅亡して統一、現在のベトナムが誕生しただけでしたが。
このベトナム戦争では、軍事協定によりタイから爆撃機の発進ができなかったため、グアムのほか、まだアメリカ統治下の沖縄からも多数のB-52が出撃しています。

「大は小を兼ねる」を地で行った柔軟性

ベトナム戦争で主役を担ったのはB-52D(一部G型も参加)でしたが、その後も含め核巡航ミサイルや対艦ミサイルを搭載した戦略核パトロールで主力となったのはG型とH型で、2000年以降2018年現在まで飛んでいるのは最終型のB-52H型です。

最終型とはいえ最後の機体が工場を出たのは1962年、つまりどれだけ新しいB-52Hでも初飛行から56年が経過しているわけですが、もちろんその当時のまま運用されているわけではありません。
いくら寿命が長いとはいえ主翼や機体の各部分は定期消耗部品として交換され、実質的に機体のフレーム以外は別物に近くなっています。

また、昔は無かった電子装備などが続々と追加されていますが、B-52の巨体はそうしたアップデートを苦もなく受け入れてきました。
時代とともに電子機器は小型軽量化され、かつては大型機にしか搭載できなかった装備が小型戦闘機、はてはより小型の無人機にですら搭載できるようになってはいますが、開発初期でまだサイズダウンに成功していない時期の最新装備もB-52なら搭載可能。

しかもそれでなお、ミサイルや爆弾の搭載余力はありますし、空中給油を併用すれば文字通り地球の裏側まで飛行可能な能力を活かして、現れては消えていく新型機をヨソに、いつまでも現役を続けています。

1991年の湾岸戦争では多数の巡航ミサイルを水上艦や潜水艦ともども発射しましたし、2000年代のアフガニスタン戦争やイラク戦争でも、相手が本格的な対空ミサイルや戦闘機をもたないため、超高空から悠々とGPS誘導爆弾で一方的に攻撃。
時代が変わって敵の射程外から遠距離誘導兵器を使うようになると、むしろ長時間戦場にとどまれるB-52は、その名の通り「成層圏の要塞」として、むしろ猛威を振るうようになったのです。

70年目のリニューアル? そしてB-52は100年飛び続ける

もちろん、B-52より「結果的には低コストで安全に同じ任務が可能」が売り物の後継機が無かったわけではりませんが、結果的にいずれもB-52の後継にはなれませんでした。

超音速爆撃機ロックウェルB-1Bランサーは、核軍縮条約の中で核兵器運用能力を封印され、「超大型戦術爆撃機」として運用されていますが、B-52ほど低コストでもなく、戦闘機ほど身軽でもありません。
今でも核爆撃機と誤解するマスコミから「死の白鳥」などと言われていますが、単に「エリア88」の読みすぎであって、実際は単なる高コストなピザ配達人みたいなもの。

ステルス爆撃機ノースロップB-2スピリットは、その全力を発揮すればB-52数十機分と同じ威力の攻撃が可能とも言われますが、そんな機会は滅多に無い上に、ただ飛ばした後にステルス性を維持するための整備だけで猛烈なコストがかかります。

そんなわけで、アメリカ空軍ではB-2の低コスト版B-21を開発してその後継とするとともに、コストパフォーマンスの悪いB-1Bの退役も決定してしまいました。

B-21にしても全ての爆撃機を代替するわけではない、というかB-52Hがあればほとんどの任務はコト足りるので、引き続きB-52Hが主力爆撃機として現役を続けることになり、必要な改修を行いつつ2050年代まで飛ばすことを決定したのです。

B-52Hの改修計画自体は冷戦末期から浮かんでは先送りされた案がいくつもありますが、「やってみてよほど意味のある改修で無ければ、そのまま使い続けた方がマシ」という空軍の方針から察するに、今後も基本的な姿を変えることは無いでしょう。

B-52Hは現在でさえ「親子孫、3代続けてB-52のパイロット」がいるそうで、いよいよ退役する頃には「我が家は代々B-52のパイロットだった! その伝統を守るためB-52の退役に反対する!」などというデモが、本気で行われるのかもしれません。

2050年代まで現役と言ってもピンとこないかもしれませんが、まだ若いミリタリーマニアの皆さんに子供が生まれ、もしかして孫が生まれた頃でもまだ飛んでいる可能性が高い……やっぱりピンと来ないかもしれませんね。

しかも退役予定とされる2050年代になったからといって、「じゃあ本当にB-52を退役させます」となるかどうかは、誰にもわかりません。
誰か西暦2100年あたりにタイムスリップして、「まだB-52は飛んでますか」と聞いてみてくれませんか?

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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