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2018/11/21

菅野 直人

陸の珍兵器「“ニー・モーター”だからって膝撃ち厳禁!八九式重擲弾筒」

戦争やるなら敵の国の兵器くらい知っていて当たり前、しかもそれが戦争前に作られたものなら……と思いたいところですが、今ほど情報豊かじゃなかった昔はそうでも無かったようです。少なくとも、太平洋戦争前のアメリカ軍にとっては。今回は捕獲したアメリカ軍が「ニー・モーター」と呼んだ日本軍の八九式重擲弾筒







戦場で頼れる「軽くていいヤツ」

太平洋戦争中、とある南洋の戦場に現れたアメリカ軍の斥候(偵察)隊。
もうジャップなんてあらかた蹴散らされたし、そうビクビクしなくてもいいさ……とばかりに、ちょっと開けた地形で大胆にも食事を始めます。

レーション(糧食。戦場における弁当のようなもの)を広げて和気あいあいとくつろぐ斥候隊を、近くの高台から見下ろしていたのは、ジャップ……日本軍の分隊長。
おのれヤンキー、戦場にありながらユックリと飯なんぞ食いおって、こっちが逃げ出したとでも思っているのか、すっかり油断してやがる……オイ、アレを出せ!

日本軍が布陣している場所から少々遠く、小部隊とはいえ集団相手に小銃でも機関銃でも「なぎはらえ!」とはいかない距離ですが、日本軍にはこんな時に便利な武器があるのです。

間もなく、日本軍の中からポン! と軽い音を立てて発射された一発の小さな砲弾が、狙いたがわず米軍斥候隊のど真ん中に着弾! OH、ジャップ! と叫んだかどうかは聞こえませんでしたがレーションを放り出し、足をもつれさせながら逃げ出しました……。

誰が呼んだか「ニー・モーター」

Japan Type 89 grenade discharger.jpg
By コンピュータが読み取れる情報は提供されていませんが、Makthorpeだと推定されます(著作権の主張に基づく) – コンピュータが読み取れる情報は提供されていませんが、投稿者自身による作品だと推定されます(著作権の主張に基づく), CC 表示-継承 2.5, Link

発射したのは、一見ただの歩兵たちにしか見えない日本軍でも持っていた頼れる軽便な火力支援、八九式重擲弾筒です。

擲弾(てきだん)とは手榴弾も分類に入る小型炸裂弾の一種で、元々は手で投げていたので専門の「擲弾兵」がいたほどでしたが、後に投射器と呼ばれる道具でさらに遠くへ投射するように進化。
元寇の際に元軍が縄などを使って投げてきた『てつはう』もその一種ですし、投射器については宮崎アニメ『もののけ姫』劇中にて使われていた太い砲身から炸裂弾を発射するものが登場したので、案外気づかず見ている方も多い武器。

20世紀に入った頃には小銃の銃口に取り付け、発射薬の圧力で遠くに発射するようになりましたが、いちいち小銃を使うと銃身などの消耗が激しい上にすぐ銃弾を発射できるようにもなりません。
そこで後には小銃の銃身の下へ擲弾発射筒を装着した『グレネード(擲弾)・ランチャー』や、擲弾を連射可能な自動擲弾銃が開発されますが、日本軍のように歩兵が個人携行できるサイズまで小型化した軽迫撃砲へ進化した例も見られました。

アメリカ軍では、日本軍から捕獲したこの種の兵器にあまり馴染みが無かったようで、地面に押し付けて反動を受け止める部分が膝当てのように湾曲していることから、「ニー・モーター」(膝撃ち迫撃砲)と呼ぶようになります。

構造的に無反動砲ではありませんでしたが、別名を間に受けた米兵が試しに膝に立て、大腿部に当てて撃ったところ反動で骨を折る大怪我をしたそうで、「ニー・モーターを膝撃ちしないように」と通達が出たという逸話もありました。

日露戦争で威力を発揮した小銃擲弾の大威力版として開発

Soldiers Zhejiang Campaign 1942.jpg
By 不明 – シリーズ1億人の昭和史 『日本の戦史4』 (毎日新聞社 昭和54年発行) 160頁, パブリック・ドメイン, Link

もともと日本軍は日露戦争の旅順攻略戦などにおいて、小銃の先へつけて発射する擲弾を大活用、陣地にこもるロシア軍に対し上から手榴弾より遠くから榴弾を浴びせられることから大きな威力を発揮しました。
この戦訓により後の第一次世界大戦における塹壕戦では頭上から榴弾を降らせる迫撃砲が大活躍することになりますが、日本軍でも迫撃砲を開発するほか、歩兵が個人携行できて、突撃可能な距離から火力支援を可能なより軽便な兵器を求めます。

そこで、大正十年に十年式手榴弾を発射可能な軽迫撃砲『十年式擲弾筒』が制式採用、発射筒とその下の筒、地面に押し当てて反動を受け止める台座など後の重擲弾筒の特徴は既に備わっていましたが、より小型軽量なものです。
しかし十年式擲弾筒は威力、射程ともに不十分で命中率も悪く、敵へ擲弾を発射して威力を期待するには能力不足なため、照明弾や信号弾などを発射する程度に留まりました。

これを「使える兵器」にすべく改良、砲弾も専用の八九式榴弾を開発したのが1929年(昭和4年)制式採用の八九式重擲弾筒で、発射時には地面に台座を押し当て砲身の角度は45度固定、射程は調整ネジで砲身の長さを増減させることで行います。
どのくらいの砲身長でどこまで届くか」を把握し、目標まで距離目測能力や左右の射角決定能力に優れた熟練兵ならば、ほぼ100%の命中率を期待できる、簡単な割にすさまじい精密攻撃能力を持った兵器です。

八九式榴弾を発射した際の最大射程670m、必中を狙える有効射程120m、危害半径10m、炸裂音は野砲が炸裂した時並で威力以上でしたから、多数の目標を驚かせ、追い散らすには小銃で狙撃するより簡単。
先に書いた「ノンビリ昼飯時の米兵の輪のど真ん中へ炸裂」など、熟練兵にとっては朝飯前の芸当なのでした。

日中戦争や太平洋戦争では大活躍

最大射程は後に有翼弾で800mまで延伸され、日本軍の突撃を阻止しようと遠くから撃ちまくってくる機関銃など、重擲弾筒の射撃で簡単に無力化することが可能な上に歩兵が携行してくるため陣地構築や目立つ運搬も不要。
どこからかポン! と軽い発射音とともに飛んできてはほぼ確実に命中するので、米軍にとってはより遠くから発射されて大威力でも命中率はさほどではなく、対砲兵射撃で簡単につぶせる野砲よりも重大な脅威でした。

日本軍が野戦で用いるため開発した兵器の中でも最高傑作と言われ、日本軍以外でも似たような兵器は開発されたものの威力、射程距離、携行性全てにおいて劣ったことから、まさに日本軍特有の兵器というべきです。
大抵の軍隊ではより強力な砲兵で面制圧(地ならし)した方が早いことや、個人携行用兵器としては対戦車用のロケット砲や無反動砲の方が重要視されたので戦後も含め日本軍以外で同種の兵器を活用したのは中国軍くらい。

当の日本でも戦後自衛隊用に同種の兵器は作られず、似たようなものとして『66mmてき弾銃』が試作されましたが結局うまくいかず、個人携行用火力支援兵器としてはカール・グスタフ84mm無反動砲が使われました。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。
撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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