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2018/07/18

菅野 直人

意外な傑作機「グラマンF4F/ゼネラル・モーターズFMワイルドキャット」

問題です。第2次世界大戦初期かその直前に開発され、大戦が終わるまで第一線戦力として使われた戦闘機は何でしょう? 零戦? 一式戦? スピットファーア? ハリケーン? メッサーシュミットBf-109? それだけですか? 本当にそれだけですか? 忘れちゃいけませんが、アメリカ海軍 / 海兵隊のグラマンF4Fワイルドキャットも、そんな立派な戦闘機の1つなのです。







なぜかアチコチでやられメカ扱い! 名機ワイルドキャットの悲劇

F4F-3 new pitot tube of later model.jpg
By オリジナルのアップロード者は英語版ウィキペディアFelix cさん – www.cradleofaviation.org; Originally from en.wikipedia; description page is/was here., パブリック・ドメイン, Link

実録戦記モノでも、仮想戦記モノでも、ジャンルを問わず日本人が日本語で書いた戦記と称するものでは、大抵の場合「零戦にコテンパンにやられて阻止に失敗、空母を撃沈される役立たず」なんて扱いの戦闘機が登場します。
それがグラマンF4Fワイルドキャット

その割には太平洋戦争が始まり、アメリカが第2次世界大戦に参戦してこの方、どれだけ零戦にバタバタ叩き落されても、陸上基地ならともかく空母機動部隊の戦闘機として登場するのはワイルドキャットです。
そんなにダメ飛行機なら、ワイルドキャットはさっさと引っ込められたのでは?

他にあったブリュースターF2Aバッファローはもっとスカタンだったから仕方ない。」
グラマンの後継機F6Fヘルキャットが実戦配備されるまでは仕方ない。」
ヴォートF4Uコルセアなんてもっと後の話だから、もっと仕方ない。」
なのにけなげにワイルドキャットで零戦と戦っていたパイロットはエライ!」
ガダルカナル島だって、ラバウルから遠く無ければ零戦で勝てた!」

と、まあ好き放題言われがちで、一部良心的な仮想戦記を除けば、まあこれほど実力と評判に差がある飛行機も無いんじゃないでしょうか。

採用までは苦労したワイルドキャット

さて、そんなF4Fワイルドキャットがどんな風に誕生したかと言えば、最初は何と複葉機でした。

グラマンでは1931年に初飛行したFF(F1F-1ってことになるためか、『FiFi フィフィ』と呼ばれてました)以来、複葉引込脚で頑丈でパワフル、胴体が太いので容積に余裕があって爆弾も詰めちゃう艦上戦闘機を、F2FF3Fと続けて作っていたのです。

そのためこの形態に自信を持っていたグラマンでは、1936年に要求が出された新型艦上戦闘機にもF3Fを空力的にリファインした複葉戦闘機XF4F-1の設計案を提出し、モックアップ(実物大模型)まで作っていたほどでした。

しかし、競争相手のブリュースターXF2AセバスキーXFN-1がいずれも単葉引込脚機ということになると、米海軍当局から「もう時代が違うんだからさぁ、空気読んでよちょっと?」と指摘され、リファインした胴体はそのままで単葉機化したXF4F-2案を提出します。

改設計に時間がかかったためか、今ひとつ熟成不足のXF4F-2は不採用となってブリュースター案がF2Aバッファローとして採用されたものの、名門グラマンがどんな単葉戦闘機を作るか興味のあった米海軍当局は、そのままXF4F-3として開発を続行させました。

幸い、競争相手のブリュースターは悲しき中小企業かつ役員も従業員もロクなもんじゃないブラック企業だったものでF2Aの生産が全く進まず、そうこうしているうちにXF4F-3は採用され、F4F-3ワイルドキャットとして1940年12月には部隊配備が始まったのです。

配備してみると、エンジンがややアンダーパワーなことや、主翼の折り畳み機構が無いので空母の格納庫で場所を取ってしまう問題はあったものの、それらを対策した改良型F4F-4の設計が既に始まっており、それより頑丈な構造と高い量産性に着目されました。

グラマン鉄工所の苦新作、ワイルドキャットの活躍

グラマン・アイアンワークス(グラマン鉄工所)』と呼ばれたほど頑丈な機体はあらゆる高等飛行を行ってもビクともしませんでしたし、これから戦争が始まりそうだ、そうでなくとも友好国に輸出しなきゃという時期に大量生産向きのワイルドキャットは非常に便利
ブリュースターのように待てど暮らせど生産が進まないドン臭いメーカーを差し置き、ドイツの脅威迫るフランスやギリシャからの注文が来ましたし、イギリス海軍からも護衛空母用の艦上戦闘機マートレットとして採用されました。

そして迎えた1941年12月、真珠湾攻撃で日米が開戦すると、米海軍や海兵隊のワイルドキャットも日本海軍機との戦いに挑みます。
開戦早々、ウェーク島に来襲した日本の上陸船団を攻撃知って護衛の駆逐艦『如月(きさらぎ)』を撃沈、ラバウル攻撃に向かった空母レキシントンのワイルドキャットは、攻撃してきた第24航空戦隊の一式陸攻17機を迎撃し、2機の損失で13機撃墜、2機も撃破全損と幸先のいい初戦を迎えたのです。

その後、珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦、第2次ソロモン海戦、南太平洋海戦と4度の機動部隊決戦で米空母を守る戦闘機として戦い、レーダーによる迎撃管制が未熟なこともあって日本軍機の完全阻止に失敗し、空母3隻(レキシントン、ヨークタウン、ホーネット)を失います。

ダメ戦闘機のようなワイルドキャットのイメージはこの頃の『日本軍が景気の良い時期』の鼻息の荒さが反映されたものですが、実際にはミッドウェー海戦から配備された武装強化型F4F-4による一撃離脱戦法が猛威を振るい、日本側攻撃隊も大損害を受けていたのです。

実際、零戦との格闘戦など目もくれずに強烈な一撃を加えてくるワイルドキャットの迎撃は、対空砲火の激しさも相まって九七艦攻や九九艦爆をバタバタ叩き落とし、それでもひるまぬ日本側攻撃隊が決死の攻撃で米空母に魚雷や爆弾を叩きつけている状態でした。

零戦とはとにかく格闘戦をしない一撃離脱と2機1組の編隊空戦をしていれば、少なくとも簡単に落とされない』というサッチ・ウィーブ戦法をワイルドキャット戦闘機隊がマスターした頃には、零戦ですらもワイルドキャットへ明確な優位を失っていたのです。

おかげでガダルカナル戦をはじめとしたソロモン航空消耗戦では、日本の零戦や一式陸攻が多数餌食になり、雷撃機や急降下爆撃機の名手として腕を振るうはずだったベテラン搭乗員、空戦技術を中国で磨いたベテラン戦闘機パイロットが、みるみる消耗してしまいました。

それでも腕でカバーしていたうちは零戦も互角以上で戦えましたが、ワイルドキャットが堕とされずに生き残り、パイロットの腕も上がっていくと、次第にワイルドキャットが互角以上の戦いをするようになっていったのです。

後継機登場で、護衛空母用の軽量格闘戦闘機に!

やがてワイルドキャットで腕を上げた米海軍 / 海兵隊のパイロット達は、F6FヘルキャットF4Uコルセアといった新型戦闘機で完全に零戦を圧倒していくようになりますが、それはワイルドキャットが用済みになった、という意味ではありませんでした。

船団護衛や上陸部隊援護用の護衛空母は、飛行甲板が小さくカタパルトでの発艦はともかく着艦は容易なことではなく、しかも若く未熟なパイロットが配備されることも多かったので、護衛空母用の小型軽量艦上戦闘機が求められたのです。

それならF6FやF4Uより小さいワイルドキャットを軽量化すればコト足りる話で、既にF6Fの量産に集中するため、F4F-4をFM-1として、TBFアベンジャー雷撃機をTBMとしてグラマンから生産転換していた、GM(ゼネラル・モーターズ社)に白羽の矢が立ちました。

設計と試作はグラマンが行い、軽量ながら低空での出力が増し、低空での機動力が求められる対地航空支援用の護衛空母艦載機として最適化された最新型ワイルドキャット、XF4F-8が1942年11月に初飛行し、ただちにGMがFM-2として大量生産を始めます。

護衛空母が『週刊空母』と言われる勢いで続々と就役し、FM-2とTBMを搭載して戦場に現れると、その低空での高い飛行性能を活かしてあらゆる上陸戦で猛威を振るいました。
機銃や爆弾、ロケット弾による対地・対艦攻撃は言うに及ばず、低空に限って言えば武装強化や防弾強化で重量増加、機動性の落ちた零戦52型すら上回る空戦性能で撃墜スコアを稼いだパイロットすらいたほどです。

戦争末期に低空をヨタヨタ飛んでくる特攻機の迎撃でも威力を発揮し、数の上でも戦闘力の面でも、F6FやF4Uと並ぶ堂々たる主力と言える存在であり続けました。
第2次世界大戦最優秀戦闘機と言われるノースアメリカンP-51Dにすら、低空での空戦に限れば負けないほどだったと言えば、戦争後半型のFM-2ワイルドキャットの優秀性がわかるというものでしょう。

もちろん日本側も『紫電改』や『疾風』『五式戦』といった最新鋭戦闘機をもってすればワイルドキャットに対抗できましたが、零戦では残念ながらベテランの腕が必要であり、ましてや特攻装備の零戦ではもはや勝ち目はありませんでした。

さすがに戦争が終わると、設計変更で発着艦性能も上がり、護衛空母での運用も容易になったF4Uコルセアに取って代わられてワイルドキャットは急速に退役、朝鮮戦争に参加することもありませんでしたが、現在でもFM-2を中心に飛行可能なワイルドキャットは多数存在しています。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。
撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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