- コラム
過去の遺物……かどうかはまだわからないかも? 超弩級戦艦5選
2017/10/6
菅野 直人
すごいー! たーのしー!
2017/08/30
菅野 直人
世界最大・最強の戦艦と言われる旧日本海軍の大和級戦艦。中でも1番艦「大和」は旧日本海軍最後の水上特攻作戦で撃沈されるという悲劇的最後から、神話的存在に近い軍艦となっていますが、それゆえ「とにかく強い」「いやいやそれほどでもない」と、さまざまな誤解の元になっています。
By 神田 武夫 – http://forums.ubi.com/eve/forums/a/tpc/f/6421019045/m/1221005465/p/1Searchhttp://blog-imgs-26-origin.fc2.com/m/3/i/m3i/1146236297705.jpg, パブリック・ドメイン, Link
大和級戦艦の最高速力は公称27ノット(約50km/h)です。
同時代に建造され、実際に完成した戦艦の中ではもっとも遅いことから、極端な場合「大和は低速戦艦で、それゆえ砲撃戦になっても相手の戦艦に振り回され、使い物にならないドン亀」とまで低い評価をする人もいます。
では、各国の同時期に完成した戦艦はどうだったのでしょうか?
上記は「公称」であったり実用上無理の無い速度だったりとバラつきはありますが、おおむね実用上は26~30ノット程度。
大和も試運転で29ノットを発揮したことがありますし、実際には海面状況や機関の調子、戦闘時の状況などから「目一杯出せるだけの速度を出す」ということもありません。
「30ノットを超える高速空母機動部隊の護衛には不足」という意見もありますが、アイオワ級を除く米戦艦は大和と同程度ですし、日本でも伊勢級航空戦艦など最高速力25ノットで空母「瑞鶴」などと行動していましたから、実用上は問題無かったと言えます。
結論:アイオワ級が変態なだけで、大和はいたって標準的
By Kure Naval Base – パブリック・ドメイン, Link
大和級戦艦の主砲、九四式40cm砲(機密のため40cm砲を名乗っているが、実は46cm砲)は「世界最大の艦載砲」としてギネスブックにも認定されており、それに匹敵するのは英海軍が特殊な大型軽巡洋艦や砲艦用に使った18インチ(45.7cm)砲しかありません。
それをもって大和級戦艦は主砲威力が最強で、米英の戦艦を一方的に撃沈できたと考える人もいます。
一方で英海軍のキング・ジョージV世級戦艦が採用した14インチ(35.6cm)砲はともかく、米海軍の16インチ(40.6cm)砲はバカにできません。
パナマ運河を通行可能な全幅の制約など巨砲搭載に制限のあった米海軍では、16インチ砲の砲身を伸ばして砲弾の初速を速め、砲弾もSHS(スーパーヘビーシェル)と呼ばれる大重量砲弾で威力を増していました。
さらに大和の46cm砲は発射速度が40秒に1発なのに対しノースカロライラ級以降の米新型戦艦は30秒に一発と手数も多く、大和より素早く砲弾を降らせられます。
そのため、46cm砲は確かに「最大・最強の艦載砲」ではあったものの、戦艦同士の砲撃戦なら威力の差はわずかで、差が出るとすればむしろ単純に爆発時の危害半径が大きい艦砲射撃だったかもしれません。
結論:軍艦に積む大砲としては最強だったが、対戦艦として最強かは微妙
パブリック・ドメイン, Link
大和級戦艦の装甲防御は「集中防御方式」と呼ばれ、浮力や戦闘力を維持できる最低限の範囲で重装甲を施し、それ以外は軽装甲でした。
そのため、「自らの46cm砲にも耐えられる重装甲」を重要部分に施しつつ、可能な限り小型軽量に収めた「(46cm砲を搭載している割に)コンパクト戦艦」という一面もあります。
設計上は重装甲を施した部分以外が満水になっても沈没しないとされていましたが、実際にはそこを仕切る艦内の水密構造が不完全で、水圧により内部から次第に浸水が進行してしまうという欠点がありました。そのため、重要部分の装甲が破壊されなくとも浸水被害は食い止められず、1944年10月のレイテ戦で米艦載機に撃沈された2番艦「武蔵」はその代表的な例と言われます。
敵戦艦との砲撃戦でもダメージが積み重なれば浸水被害で戦闘不能になる可能性は少なからずあり、大和級戦艦の防御力は無敵とまで言えなかったのです。
一方で、「副砲の装甲が薄いのが弱点」という通説に関しては、むしろ装甲が薄すぎて副砲が破壊されてもそれだけで済んでしまったり、副砲弾薬庫が誘爆しても一発あたりの威力が小さく、全弾誘爆しにくいと言われています。
実際には意図的に弾薬庫へ爆弾でも仕掛けない限り、副砲が原因で大被害を受けることは無かったのではないか、という説が今では有力です。
結論:敵弾を跳ね返すだけでは十分対抗できたとまでは言えない。
By U.S. Navy – Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives. [1], パブリック・ドメイン, Link
主砲の射程もカタログスペックでは大和級の46cm砲が42,000m、アイオワ級の16インチ砲が38,720mと差はありますが、そもそもこれは「発射したら届く距離」に過ぎません。
現実には砲弾が落下した場所を観測し、命中率を高めるべく狙いを修正する必要がありますが、それが可能な距離は「測距儀」と呼ばれる望遠鏡のオバケのような目視観測か、レーダーに頼るしか無いのです。
その上で現実的な砲撃戦の距離は最高で30,000~32,000m程度、確実に観測を行えるのは20,000m前後と言われます。
もちろん、少しでも遠距離から命中弾を出せれば有利なので訓練や観測装置の改良や新開発は行われていましたが、実際の戦場では砲煙や火災の煙、外れ弾の水柱その他で視界が悪く、十分な観測ができません。
そのためデータ不足で戦艦が主砲を一発も発射できないケースすらあったほどで、それに加えて数万m先の移動目標に弾が届く頃には相手が思うような場所に移動していなかったり、風などの影響で狙った場所に落ちないのが普通です。
そう考えると、たとえ大和級戦艦だったとて、敵の射程外から一方的に攻撃するなど、相手が戦艦であればどだい無理な話でした。
結論:観測能力の限界で無理
By Yamatotrials.jpg: Unknown
derivative work: 0607crp (talk) – Yamatotrials.jpg, Public Domain, Link
最後に大和級戦艦の出撃頻度が非常に少なかったことについて。
これは「連合艦隊が飛行機の時代になっても最強戦艦を出し惜しみしたから」が通説のようになっており、実際に大和と武蔵がマトモに実戦参加したのは1944年6月のマリアナ沖海戦が初めてです。
それ以前は「潜水艦らしき目標に副砲や高角砲を発砲した」「潜水艦に魚雷攻撃されて損傷した」という記録があるくらいで、空襲すら経験していません。
しかし、実際には以下のように記録があります。
以上、意外と何もしていないわけではありません。
ただ、1942年8月から1943年4月までの期間は連合艦隊旗艦が移った以外は空白で、ガダルカナル島攻防戦などソロモン海域の戦闘で重要な期間に何もしていなかったことが、主に批判の対象になっています。
しかし、太平洋戦争中の日本海軍は最初の半年以降は常に燃料を気にしながらの行動で、油田地帯に近い一部根拠地を除けば、トラック泊地ですら満足に燃料の備蓄がありませんでした。
そのため大和から駆逐艦に燃料を補給するほどで、「補給する燃料があったなら出撃もできたはず」とも言われましたが、その結果燃料に余裕が無くなった場合、有力な敵艦隊が出現しても大和や武蔵が燃料不足で出撃できないでは困ります。
実際、1943年10月には大和が敵艦隊の迎撃に出動していますし、「温存説」がどの程度事実だったかは諸説あるものの、「大和ホテル」は、意外と短い期間でした。
結論:積極的に出撃させるだけの燃料が無い中、実は出撃していたこともある。
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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