- コラム
実戦配備直前! など惜しかった試作機BEST5(米軍機編)
2017/10/11
菅野 直人
すごいー! たーのしー!
2017/08/4
菅野 直人
何かとネタ軍隊のように言われる第2次世界大戦中のイタリア軍。実際にはネタほど「貧弱ゥ!」では無かったのですが、装備や士気・練度ともに精強と言えなかったのも事実。
しかし、フォルゴーレ空挺旅団や山岳部隊、そして航空部隊だけはまた別でした。イタリア空軍の戦闘機は決して弱くなかったのです!! 他の問題はありましたが……
イタリアの第2次世界大戦参戦早々に始まった、英本土における独英航空決戦「バトル・オブ・ブリテン」にイタリアも部隊を派遣。その機材こそ、我らがイタリア空軍が誇る最強の複葉戦闘機、CR42!
1939年に初飛行して早速採用ですから日本式に言えば「九九式戦闘機」ですが、誰ですかね日本空軍はイタリア並とか言ったのは……
ともあれ、引き込み脚でも無い古色蒼然たる複葉戦闘機としてはそれなりに高速でしたし、運動性能は抜群で当時の格闘戦なら役に立ちますし、貧弱な短距離滑走路しか持たない飛行場でも運用可能なことから、輸出は好調でした。
戦争中期以降も戦闘爆撃機としてアフリカ戦線で信頼性の高さを示し、戦後も練習機として1950年まで現役だったのですから、大したものです。英本土空襲はどうしたかって?野暮な事を聞くもんじゃありません!
By uncredited – Scanned from Page 489 of Green, William, and Gordon Swanborough. The Complete Book of Fighters: An Illustrated Encyclopedia of Every Fighter Aircraft Built and Flown. New York: SMITHMARK Publishers, 1994. ISBN 0-8317-3939-8., パブリック・ドメイン, Link
主にレッジアーネ、マッキ、フィアットの3つのメーカーの戦闘機を同時並行的に採用していたイタリア空軍、なぜかどれかに統一ということはあまり考えていませんでした。
一応キャラクター違いは少々あって、戦闘爆撃機として活躍したのはレッジアーネ系ですが、その中でもドイツ製液冷エンジンDB601を搭載したRe.2001にドイツからのエンジン供給が間に合わず、載せるエンジンの無い「首無し機」が……とはどこかで聞いた話。
案の定、国産空冷エンジンで似たような性能のがあるから載せ換えようと換装されたのがRe.2002アリエテIIです。日本でも同じような……という事例より4年以上早く作られて、最高速度こそ落ちたものの低空での運動性など他の性能に不満は無かったので1942年に部隊配備、戦闘爆撃機として活躍したのでした。
極東の亡国も三式戦や彗星を作っていて困った時に参考に……したかどうかはわかりません。
By Aldo Bidini – Gallery page http://jetphotos.net/viewphoto.php?id=6942435
Photo http://images2.jetphotos.net/img/2/1/1/6/21167_1285059611.jpg, GFDL 1.2, Link
現在もアレーニア・アエルマッキとして練習機や軽攻撃機の開発じゃちょっとした権威のマッキ社ですが、第2次大戦中はマリオ・カストルディ技師による一連の高性能戦闘機で有名。
空力的に洗練されたものアンダーパワーに泣かされたMC.200や、ドイツ製DB601エンジンに換装して一流戦闘機になったMC.202を経て、大戦中戦闘機の決定版となったのがMC.205です。
空戦性能なら米のノースアメリカンP51ムスタングにも負けない! と鼻息荒く登場しましたが、デビュー直後にイタリアが降伏。降伏した側とドイツ側に残った側のイタリア空軍双方で使われ続け、ドイツ空軍にも配備されています。
By Lorenzo Tomasi – en.wikipedia, パブリック・ドメイン, Link
MC205Vと同じような経緯を経て、同じく実戦投入がズルズル遅れ、イタリア降伏直前にようやく実戦投入が間に合ったという「イタリア空軍遅れてきた名機」のひとつ。
こうなった理由はドイツのダイムラー・ベンツ製液冷エンジンがDB601の時は輸入に頼って供給不足を起こした経験から、後継エンジンDB605の国産化を図ったこと。
その国産化を担当したのが自動車界隈では名高いアルファロメオでして……要するにマトモに生産できるようになるまでやたらと時間がかかったもので、輸入してた方がまだマシだったのかもしれません。
しかし実戦配備さえされればさすがに名エンジンを得た高性能機です。G.55の武装は強力で、対戦闘機戦闘ではMC205Vが優れていましたが、大型爆撃機の迎撃ではG.55の重武装が威力を発揮しました。
戦後は練習機型G.55A、2人乗りのG.55Bが改めてデビューし、新生イタリア空軍のほかアルゼンチンやエジプト空軍で使われています。
By 不明 – Flickr http://www.flickr.com/photos/sdasmarchives/5956297830/in/photostream, パブリック・ドメイン, Link
「イタリア空軍遅れてきた名機」シリーズ最後の1機で、MC205VやG55と同じように型番の最後に5がつくので、3機まとめて「セリエ5」という、かなりどうでもいいトリオ名がありました。
例によってアルファロメオの仕事が遅いので実戦初参加はセリエ5の中でもイタリア降伏2か月前と一番遅く、生産数も少ない上にレッジアーネの工場が爆撃で破壊されたため、他のセリエ5より本当にわずかな数しか作られなかったレア機。
しかし何が気に入ったのかドイツ空軍はRe.2005も部隊配備してドイツ本土防空戦に投入し、最後はベルリンの空を守る数少ない戦闘機の中に、Re.2005も混ざっていました。
ベルリン最後の防空戦闘機隊でイタリア機を駆るエースとか、漫画の題材にしたら面白そうですが、誰か描きませんか?
だいたいそういう時ってパイロットが美少女になりそうですが……
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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