• TOP
  • 究極の一発芸! 一芸軍艦BEST5

2017/07/29

菅野 直人

究極の一発芸! 一芸軍艦BEST5

軍艦というものは大抵、主な用途がありつつ他にもそれなりに使えたりするものです。強力な主砲を持ちつつ対空要塞か!と言わんばかりの防空火力を持つ戦艦とか。しかし中には本当に一芸特化型で他の何に使うのか?というフネもあるのでした。

大型軽巡洋艦 フューリアス(イギリス)

HMS Furious-1.jpg
By 不明http://www.history.navy.mil/photos/sh-fornv/uk/uksh-f/furis-6.htm, パブリック・ドメイン, Link

第1次世界大戦中、イギリスではバルト海からドイツの喉元に上陸作戦を行い、一挙に戦局を好転させる大作戦を計画していました。

敵の目前を高速で進出し、水深の浅い海域へも乗り入れて大口径火砲をドカンと撃ち込み上陸部隊に圧倒的火力支援を行うことを目的にした大型軽巡洋艦「ハッシュ・ハッシュ・クルーザー」は3隻が実際に起工されます。

中でも最後の1隻、フューリアスは改良型として、何と18インチ砲(45.7cm)を単装2基2門を搭載。後の世界最大の近代艦砲を持つ日本の大和級戦艦(46cm砲)に次ぐ、世界で2番目に大きく大威力の艦砲を搭載した大型軽巡洋艦になったのです。

なお、ここで「大型軽巡洋艦」と「重巡洋艦」とは何か違うのかと疑問が湧くかと思いますが、要するに重巡洋艦のような防御を持たない軽防御大型巡洋艦だと思いましょう。

艦砲射撃以外に何が使えるのかという、要するに大型モニター艦(大型砲を搭載した装甲艦の一種)でしたが、確かに使い道が無かったので、バルト海作戦の中止とともに世界初の空母へと改装されてしまいました。

ロード・クライブ級モニター艦(イギリス)

HMSGeneral craufurd.jpg
By Photographer not identified –
This is photograph Q 23384 from the collections of the Imperial War Museums (collection no. 2109-05)
, パブリック・ドメイン, Link

右舷から撮影された「ジェネラル・クロフォード」

空母に改装されたフューリアスから下ろされた18インチ単装砲ですが、何しろ世界最大級の大威力艦砲ですから、使い道によってはまだ役にたつかもしれません。

そこで、老朽化して退役した戦艦の主砲を搭載し、上陸作戦時など艦砲射撃を行う目的で建造された小型砲艦(モニター艦)、ロード・クライブ級のうち3隻(ロード・クライブ、ジェネラル・ウルフ、サー・トーマス)には、後でこの18インチ砲が追加搭載されました。

前部の12インチ(30.5cm)連装砲塔はそのままに、後部に横向きで18インチ砲を搭載。
何しろ巨大な砲なので完全旋回砲塔にはできず、進行方向右90度横向きの状態から左右20度の限定旋回しかできない異様な姿でした。

第1次世界大戦中、何度かベルギー沿岸部の鉄道橋などを目標にして実際に18インチ砲の射撃が行われています。
1920年代までにこれらの18インチ砲モニターは全艦退役、第2次世界大戦では15インチ(38.1cm)連想砲を搭載したモニターが主に使われました。

伊号四〇〇型潜水艦(日本)

I400 2.jpg
パブリック・ドメイン, Link

考え方によっては「現在のSLBM(潜水艦発射型弾道ミサイル)搭載潜水艦の元祖」とも呼ばれますが、それはちょっと大げさな表現。

艦上爆撃機「彗星」をちょっとスマートにして水上から離発着可能な切り離し式フロート(浮舟)を設置、魚雷や爆弾を搭載できた特殊水上攻撃機「晴嵐」を3機搭載可能な「潜水空母」です。

当初はパナマ運河など遠隔地攻撃を目的にしていたので非常に長い航続距離を持ち、他の潜水艦よりはるかに巨大でしたが、それだけに潜水艦としての魚雷攻撃能力などはそれほどでも無く、「敵地まで潜っていき飛行機で攻撃する」一発芸艦というべきでした。

完成したのは終戦間際でパナマ攻撃しても意味が無い時期だったので、米艦隊の根拠地となっていたウルシー環礁攻撃に出撃しますが、決行直前に終戦となり、結局実戦参加は無し。

ミサイル巡洋艦ジュゼッペ・ガリバルディ(イタリア)

Italian cruiser Giuseppe Garibaldi (C551) c1962.jpg
By U.S. Navy – U.S. Navy All Hands magazine February 1963, pp. 6-7., パブリック・ドメイン, Link

1937年に就役した、「ルイージ・ディ・サヴォイア・ドゥーカ・デッリ・アブルッツィ級」軽巡洋艦(長い)の3番艦。第2次世界大戦でイタリアは降伏後に連合軍に加わったため戦後も軍備を許され、生き延びた同艦も現役を続けましたが、1961年にミサイル巡洋艦へ改装されます。

その時、NATO所属国の軍艦へ核ミサイルを搭載、ソ連への抑止力とする戦略がアメリカによって考案され、そのテストケースとして1962年に潜水艦発射用の「ポラリス」核ミサイル4基が搭載されます。

イタリアの軍艦とはいえポラリスは完全にアメリカの管理下に置かれており、核戦争が始まったらアメリカの指令に従い、艦の置かれた状況に関係無く勝手に報復攻撃が開始されるという、聞くだに恐ろしい代物。

それ以外の部分は普通にテリア艦対空ミサイルなどが搭載されたミサイル巡洋艦でしたが、ポラリスの存在で不気味な核報復プラットフォームでした。

なお、キューバ危機による緊張緩和策への転換もあり、NATO軍艦への核ミサイル配備計画は中止され、結局同艦へは試験発射時以外にポラリスが搭載されることは無く、発射機や関連設備も後に撤去されています。

実験艦シー・シャドウ(アメリカ)

シー・シャドウ
By US Navy employee – http://www.chinfo.navy.mil/navpalib/factfile/ships/ship-sea.html, パブリック・ドメイン, Link

これは果たして軍艦なのか? 不時着したステルス機?と言いたくなる米海軍のステルス実験艦シー・シャドウ。1985年に就役したものの長らくその存在は秘密とされ、1994年まで実験に使われてからようやく公表されましたが、その姿は軍艦の常識を超えていました

まず突起物も無ければ甲板らしきものも無く、レーダー反射波を逸らすため海面から直角の部分も無ければ、外部を見る窓は艦首のみ。実験艦ゆえか少なくとも公表されている範囲では武装無し。

「サブマリン707」あたりだと何か秘密兵器を積んでいて、秘密結社に奪われて大変なことになるところですが、そんなことは無かったようです。

人員削減のための省力化やSWATH船型と呼ばれる特殊な双胴船型など実験要素は他にもありましたが、艦全体としてはとにかく「見つからない」ことに特化しています。

2006年に完全に退役、2012年にスクラップとして売りに出されましたが、それまで収容されてきた浮きドックまでなぜかオマケとしてついてきたそうです。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

この記事を友達にシェアしよう!

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

サバゲーアーカイブの最新情報を
お届けします

関連タグ

東京サバゲーナビ フィールド・定例会検索はこちら
東京サバゲーナビ フィールド・定例会検索はこちら

アクセス数ランキング