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2017/04/19

菅野 直人

傑作兵器(1)「驚異の命中率!九九式艦上爆撃機~帝国海軍急降下爆撃隊」

古今東西の兵器から、「傑作」と呼べる兵器をメジャーどころから紹介していく傑作兵器シリーズ。最初にご紹介するのは、旧日本海軍の傑作艦上爆撃機として驚異の命中率を誇り大活躍した、九九式艦上爆撃機と空母艦爆隊です。

精密爆撃法「急降下爆撃」日本での歴史

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By http://www.ijnafpics.com/JB&W4/D3A-31.jpg www.ijnafpics.com, パブリック・ドメイン, Link

 
第1次世界大戦で兵器としてその猛威を振るい始めた「飛行機」
水平飛行しながら爆弾を落とす「水平爆撃」は照準が難しく、点目標に対する攻撃に向かないことは当時から問題となっており、飛行機の構造強度が上がった頃には上空から降下して肉薄、爆弾を叩きつける「急降下爆撃」が精密爆撃法として1919年には登場しました。

日本ではまだ航空黎明期だったこともあってすぐ実用化とかいきませんでしたが、1931年(昭和6年)に試作開始された海軍の六試特殊爆撃機から、その模索を開始。
急降下爆撃戦術そのものも、当時すでに実用化されていた九〇式艦上偵察機(九〇式水上偵察機の艦上機版)によってテストが始まります。

最初に実用化された九四艦爆(九四式艦上爆撃機)は、独ハインケル社のHe66をベースに愛知時計電気(航空機部門が独立した愛知航空機を経て、現在は日産系列の自動車部品メーカー、愛知機械工業)が日本海軍仕様に改修したものでした。
早速実戦投入された九四艦爆は日中戦争初期で精密爆撃に威力を発揮し、後継の九六艦爆(これも愛知製)は太平洋戦争初期まで活躍しています。

そして日本海軍の低翼単葉型近代艦上機第3弾(九六式艦上戦闘機、九七式艦上攻撃機に続く)として1939年(昭和14年)に制式採用されたのが、九九艦爆(九九式艦上爆撃機)です。

固定脚ながら全金属単葉の近代艦爆

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パブリック・ドメイン, Link

 
九九艦爆で特徴的なのは、その固定脚でしょう。
十一試艦上爆撃機として中島飛行機と競争試作されていた時期には、引き込み式主脚を採用した中島が、その主脚をダイブブレーキに使うなど工夫を凝らしたものの、結局愛知の試作機が性能で優れていました。

当時はまだ引き込み脚を採用した上で軽く空力的に洗練したり、そのパワーを活かして高速を発揮するほどエンジンが発達していなかった時代なので、信頼性が高くカバーをつければ空力特性も良好、急降下中の方向安定にも優れた固定脚にも分があったということです。

最高速度381.5km/h、搭載量や航続距離でも同時期のライバル、ダグラスSBDドーントレス(米海軍 / 海兵隊)に劣ったものの、偵察機や補助戦闘機としての仕様も想定された一種の万能機であるドーントレスとは若干要求が異なるので仕方の無いところでした。

使い勝手の良かった傑作艦爆

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By http://www.ijnafpics.com/B&W/jnaval01.jpg, パブリック・ドメイン, Link

 
1941年12月の太平洋戦争開戦に向けて続々生産、空母に配備された九九艦爆はその第一撃である真珠湾攻撃から驚異の命中率で「当時世界最強の艦隊」南雲機動部隊(第1機動部隊)の快進撃を支えました。47.7%の高命中率を記録した真珠湾攻撃では、相手が主に戦艦だったこともあって大戦果とはいかなかったものの、その後の南方攻略支援では次々に連合軍艦船を撃沈、地上攻撃でも大活躍します。

対艦船攻撃力は魚雷を搭載可能な九七式艦上攻撃機(九七艦攻)ほど「必殺の一撃」を持ちませんでしたが、搭載数の少ない魚雷は九七艦攻にとっても「決戦兵器」です。
 
ここ一番を除けば命中率の低い水平爆撃を行う艦攻より、精密爆撃で次々と爆弾を命中させる九九艦爆の方が、防御力の弱い小型艦艇や商船、小さな地上目標に対してはよほど役に立ちました。

ある時など、機動部隊に接近した駆逐艦を護衛艦艇が砲撃で仕留めようと多数の砲弾を撃ち込んだものの致命傷を与えられず、結局出撃した九九艦爆が急降下爆撃でアッサリ沈めたこともあります。

命中率90%を超えた晴れ舞台

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By “TMWolf” – http://www.flickr.com/photos/tmwolf/185530709/, CC 表示-継承 2.0, Link

 
その最大の晴れ舞台は、1942年3月末から行われたインド洋作戦でした。
4月5日からセイロン島(現在のスリランカ)に対して行われた攻撃と、その周辺で発見された英海軍艦艇に次々に襲いかかったセイロン沖海戦で、九九艦爆はその威力を遺憾無く発揮します。

重巡洋艦や空母といった大型艦艇の発見で爆弾から魚雷への兵装転換に手間取る艦攻隊を尻目に、とにかく爆弾を叩きつけて足を止めて来いとばかりに出撃した九九艦爆隊は、目標を見つけるや猛然と突撃。
重巡洋艦コーンウォール、ドーセットシャーをわずか20分足らずの戦闘で撃沈すると、4月9日には軽空母ハーミスにも襲い掛かります。

「1番機命中、2番機命中、3番機至近弾、あー…4番機、5番機も命中…」

といった風に、まるで演習のように次々に25番(日本海軍の250kg爆弾)を叩きつけられたハーミスはまだ爆撃されている最中に沈み始め、慌てた艦爆隊が沈まぬうちに命中させねばと急いで爆撃するほどでした。

この攻撃で護衛の駆逐艦もろともハーミスを仕留めた艦爆隊は実に平均82%、隊によっては90%以上の恐ろしい命中率を記録します。まさにこの時が、九九艦爆の絶頂期でした。

後継難で苦戦を強いられた、その後

DSC 0652 - Flickr - euthman.jpg
By Ed Uthman from Houston, TX, USA – DSC_0652, CC 表示 2.0, Link

 
九九艦爆はその後も日本海軍母艦航空隊の主力艦爆として活躍、後継機の「彗星」が実用化に手間取ったこともあり、1944年のマリアナ沖海戦の頃でさえ使われていました。
ただし、敵の戦闘機が強力になって零戦が制空権を確保できなくなり、対空砲火も強力になると、固定脚で目立つ機体も仇になって損害を激増させます。

次々に撃墜されながらも高い命中率は健在で、珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦、第二次ソロモン海戦で米空母に大打撃を与え続け、陸上基地から発進した艦爆隊も多くの連合軍艦船を撃沈しましたが、セイロン沖海戦ほどの栄光に恵まれることはありませんでした。

最後にその名を轟かせたのは南太平洋海戦で、米空母に多数の爆弾を叩きつけ、ホーネット撃沈とエンタープライズ撃破に大きく貢献しましたが、出撃のたびに大損害を受ける九九艦爆は1944年にもなるともはや時代遅れで、最後は特攻機として使うほか無かったのです。

「彗星」や「流星」など新型機の配備が遅れたために後半は大苦戦を強いられましたが、性能を超えた戦場に投入されたのは九九艦爆の責任ではありません。
むしろ、投弾まで生き残る限りは最後まで爆弾を叩きつけ続け、大いに健闘したと言えるでしょう。

なお、九九艦爆は戦後もアメリカで民間機として飛ばしていた人がいたようで、アメリカ製大馬力エンジンを搭載して最高速度500km/h以上の高速(マイナーチェンジ版の九九艦爆ニニ型ですら427.8km/h)を発揮したものの、増加したエンジン重量で着陸時に主脚が破損、胴体着陸して全損したと伝えられています。

ほかにも現在、アメリカの航空博物館「Planes of Fame Air Museum」でレストアが進んでいるといいますから、いずれその完全な姿を見ることができるかもしれません。

菅野直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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