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2017/03/19

菅野 直人

レシプロ空戦記1969~ホンジュラス上空・最後の戦い~

プロペラを回して飛行のための推進力を得る「プロペラ機」、その中でも通常のガソリンエンジンやディーゼルエンジンを動力にしている飛行機を「レシプロ機」と呼びますが、その全盛期は第二次世界大戦でした。その後の朝鮮戦争でジェット戦闘機が主流になるとレシプロ戦闘機は急速に衰退しますが、その最後の空中戦は1969年と言われています。

日本的な感覚ではありえない「サッカー戦争」

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たとえば日本とどこかの国の関係が非常に険悪、国民感情に至っては最悪として、サッカー・ワールドカップの結果を原因として、その国と戦争になるということが考えられますでしょうか?

それが実際に起きたのが、1969年7月に中米エルサルバドルとホンジュラスの間で起きた「サッカー戦争」でした。

そもそも貿易摩擦や国境問題など経済・外交的なうっぷんが溜まりに溜まり、おまけに政情不安で内戦が起こりかねないため、外敵の脅威を煽って内戦どころでは無いと思わせる必要がある。両国はそういう「本来なら戦争で解決すべきでは無い問題」で緊張を高めていったのです。

その状況で行われた1969年6月のワールドカップ北中米・カリブ予選ではこともあろうに両国が準決勝ラウンドで直接対決。

勝利したエルサルバドルに憤慨したホンジュラス国民はエルサルバドルからの難民を襲い、それに憤慨したエルサルバドル政府は国交断絶、7月3日にはついに国境で本物の軍事力による小競り合いが始まったのでした。

当時の両国空軍戦力

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1960年代末といえば、さすがに低速の攻撃機や輸送機を除けば、主要各国では戦闘機や戦闘爆撃機、攻撃機など、第一線で戦う主要な軍用機のほとんどがジェット化されていた頃です。

練習機ですらジェット化されているような時代でしたが、それでも貧乏な国ではまだまだ第二次世界大戦や朝鮮戦争などで活躍したレシプロ戦闘機などが現役でした。

エルサルバドルとホンジュラスもその例外に漏れず貧乏で最新鋭はおろか、旧式のジェット戦闘機も買えない状態でしたし、米から積極的な軍事援助を受けて近代化を果たしてもいません。

そのため両国とも空軍力は似たりよったりです。
以下に主な戦力を記載しましょう。

【エルサルバドル空軍】
グッドイヤーFG-1Dコルセア戦闘機(ヴォートF4Uコルセアのグッドイヤー生産版)
ノースアメリカンP-51Dマスタング戦闘機
ダグラスC-47輸送機(爆弾投下可能)

【ホンジュラス空軍】
ヴォートF4U-4/F4U-5コルセア戦闘機
ノースアメリカンP-51Dマスタング戦闘機
ノースアメリカンT-28トロージャン練習機

旧式ながらも積極的な航空戦

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似たり寄ったりというより、ほぼ同じような機材で対峙することとなった両空軍ですが、ホンジュラスの方が数的優位(エルサルバドル空軍の2.5倍とも)とはいえ、元から大した数を保有しているわけでなし、数が多くても全部が稼働機とも限りません。

そうした国同士が対峙しても積極的な航空戦などあまり起きなそうですが、このサッカー戦争では両国ともよほど頭に血が上ったのか、持ちうる航空戦力の全力を投入しました。

何しろ本格的な交戦前からホンジュラス空軍機が国境監視所を爆撃、それをエルサルバドル空軍機が迎撃して追い払うという熱い展開です。

7月14日にはエルサルバドル陸軍によるホンジュラス侵攻に先立ち、同空軍のマスタング、コルセア、C-47による戦爆連合でホンジュラスのトンコンティン国際空港を襲撃するなど、各所で航空撃滅戦を展開。

しかしそれはうまくいかなかったようで、翌15日にはホンジュラス空軍機が反撃、逆にエルサルバドル空軍の数機を地上撃破します。

その後は数で勝るホンジュラス空軍機が制空権を得て、エルサルバドル陸軍地上部隊に積極的な航空攻撃を行いますが、エルサルバドル空軍も黙ってはいません。

ついに7月17日には、地上攻撃に出撃したホンジュラス空軍機が、エルサルバドル空軍機へ空戦を挑んだのでした。

最後のレシプロ空中戦

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その日、ホンジュラス空軍ヴォートF4U-5コルセアの操縦桿を握っていたのは、フェルナンド・ソト・エンリケス大尉

地上からの要請で、侵攻部隊への機銃掃射からエルサルバドル空軍機の迎撃に任務を切り替えた彼は、同空軍の戦闘機数機と交戦に入りました。

1958年に少尉としてホンジュラス空軍のパイロットになった彼は、サッカー戦争当時既に30歳。その頃は既に商業航空のパイロットに転身していましたが、国家の一大事に「すわ鎌倉」…否、「すわテグシガルパ!(ホンジュラスの首都)」と招集されたパイロットの1人です。

決して若くはありませんでしたが、だからこそ若い頃から乗りこなしたレシプロ機で空中戦を戦うのに十分な技量と経験がありました。

さらに大尉の駆る戦闘機はエンジンをパワーアップして武装も20mm機関砲に強化した「決定版コルセア」とも言えるF4U-5という、最高の組み合わせです。

2度の空中戦でエンリケス大尉はP-51Dマスタング1機とFG-1Dコルセア2機を叩き落とし、「レシプロ戦闘機最後の空戦で勝利した男」「ホンジュラスの国家英雄」という、ダブル・タイトルを獲得したのでした。

その後

その空中戦の前後も含め、ホンジュラス空軍は地上攻撃でエルサルバドルの侵攻を妨害し続けました。

それにもめげず進撃していたエルサルバドル軍ですが、OAS(米州機構)から軍事介入も含む制裁をちらつかせられ、結局撤退し、サッカー戦争は8月3日に完全に終結が確認されます。

そしてフェルナンド・ソト・エンリケス大尉が登場したF4U-5コルセア「FAH-609」は墜落事故などに見舞われることも無く、1981年にホンジュラス空軍を退役。

現在は、首都テグシガルパの航空博物館に展示されています。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。
撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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