- コラム
ミリタリー偉人伝「フォッケウルフFw190やタンクTa152を作った男、クルト・タンク博士
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菅野 直人
軍事的な用語で『エース』といえば一般的には空中戦で5機以上を撃墜したパイロットを指すことが多いのですが、実は戦車戦にも『エース』がいます。中でも有名どころといえば戦車王国のイメージが強いドイツで第2次世界大戦中に活躍した武装SS(武装親衛隊)のミヒャエル・ヴィットマンでしょう。
By Bundesarchiv, Bild 146-2004-0131 / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, Link
第1次世界大戦後、ヴェルサイユ体制下で非常に貧しい環境にあったドイツで、小学校を卒業後に家業の農業を手伝い、1934年に20歳で兵役についた当時のヴィットマンは、まだどこにでもいるバイエルン生まれの青年に過ぎませんでした。
2年の兵役を終えると、軍隊生活が性に合ったのか、貧しい農民に戻る気が起きなかったのか、はたまた当時のドイツを熱狂に包んでいたナチス党の活動に思うところがあったのか、後に『武装SS(武装親衛隊)』と呼ばれることになる親衛隊特務部隊、つまりナチス党独自の軍隊へ入隊します。
1939年に始まった第2次世界大戦ではSS軍曹として装甲車の車長としてボーランドやフランスへの侵攻作戦に従軍しますが、後に有名となる戦車兵としての素質に開眼するのはフランス戦の後で、突撃砲兵としての教育を受け、III号突撃砲の車長になってから。
後に形成されるドイツ軍の印象とは裏腹に、1941年までのドイツ軍戦車部隊はさほど強力な存在ではなく、III号、IV号といった後の主力戦車はまだ数が少なく、当時の主力だったI号、II号といった軽戦車は『パレードなら役に立つ』と言われる始末。
結局役に立つのは35t型、38t型といったチェコ製軽戦車でしたが、それらにしても37mm砲装備でさほど強力とは言えません。
1940年には戦前から開発されていたIII号戦車ベースの突撃砲(後にIII号突撃砲と改名)が75mm戦車砲を装備して配備を開始され、ようやく火力増強が始まったところです。
しかし1941年6月に『バルバロッサ作戦』が発動されてドイツがソ連へ侵攻してみると、ソ連軍の最新戦車T-34へ正面きって戦える戦車がドイツ軍にない事がわかり、『T-34ショック』と呼ばれる衝撃をドイツ軍将兵に与えるのでした。
ヴィットマンが頭角を現したのはそのT-34ショックの渦中で、16両のソ連軍戦車へ包囲された武装SS部隊に救援で呼ばれると、たった1台の突撃砲で巧妙に移動しつつ至近距離から6両の戦車をたちまち撃破! 味方の突破口を開いたのです。
よく知られているようにバルバロッサ作戦はロシアの大地における強い味方『冬将軍』が早く到来したこともあって、1941年12月に首都モスクワを目前にしながら敗退、ドイツ軍は攻勢を維持できなくなって、ソ連打倒に失敗します。
ヴィットマンはそれに先立つ同年11月のロストフ攻防戦で負傷後送されますが、上官からの推薦もあって病院から退院後の1942年7月に武装親衛隊の士官学校へ入校、同12月には卒業してSS少尉へ任官、ポーランド戦以来の古巣である第1SS装甲擲弾兵師団『LSSAH(ライプシュタンダーテ・アドルフ・ヒトラー)』へ復帰しました。
この時にヴィットマンが車長として初対面したのが、当時としては驚異の戦闘力を持った重戦車Sd.Kfz.181、VI号戦車E型『ティーガーI』(『タイガー戦車』としても知られる)です。
By Bundesarchiv, Bild 183-J14953 / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, Link
当時のソ連軍および他の連合軍戦車でティーガーIの56口径88mm戦車砲に対抗可能な戦車はなく、もちろん同じ枢軸軍でもイタリアや日本にはロクな戦車がありませんでしたから、つまりは世界最強の戦車をヴィットマンは得ました。
さらに優れた砲手であるバルタザール・ヴォルSS上等兵も配属され、ヴィットマンはその後戦車エースとしてすぐれた指揮官ぶりを発揮していくことになるのです。
再編成を終え、1943年には再び東部戦線でソ連軍と対峙したLSSAH師団はハリコフ攻防戦、『史上最大の戦車戦』と言われるクルスク戦のプロホロスカ戦車戦へ投入され、戦車30両、Pak(対戦車砲)28門を撃破するなど、戦車エースとして完全に開眼。
西部戦線で連合軍によるイタリア侵攻開始など、さまざまな要因があってドイツ軍(武装親衛隊含む)は戦力を東部戦線から引き抜かねばならなくなり、クルスク戦も敗退、逆に追われる側として終戦までソ連軍に追い込まれることとなり、クルスク戦後にイタリア戦線へ送られていたLSSAH師団も1943年11月には東部戦線へ復帰。
ヴィットマンは敗走のさ中にあった東部戦線でも火消として活躍し、群がるソ連軍戦車を撃破し続け、撃破スコアは80両を超え、ヴォルフシャンツェ(総統大本営)に呼ばれてヒトラー総統本人から柏葉付騎士鉄十字章を授与されるという名誉を受け、SS中尉へと昇進しました。
ヴィットマンの活躍があったとはいえ戦力の消耗が限界に達した第1SS装甲師団(イタリア戦線で改編)『LSSAH』は1944年4月にベルギーへ後退、再編成を受けてヴィットマンは第101重戦車大隊の第2中隊長となります。
そして6月に連合軍による『史上最大の作戦』ノルマンディー上陸作戦が行われると、迎撃のためLSSAHは北フランスへ送られますが、上空を絶えず飛ぶ連合軍のヤーボ(戦闘爆撃機)によってドイツ軍各部隊は壊乱し、LSSAHも集結してまとまった戦力で戦うのが困難となりました。
勢いに乗った連合軍のうち、フランス北部の重要拠点カーンを攻撃すべく、イギリス第7機甲師団がドイツ軍の精鋭『パンツァー・レール(装甲教導師団)』などの陣取る正面を迂回しようとしていた時、最初ほとんど誰もがその事実に気が付きません。
By Mapham J (Sgt), No 5 Army Film & Photographic Unit –
This is photograph B 8633 from the collections of the Imperial War Museums (collection no. 4700-29)
, パブリック・ドメイン, Link
途上の村『ヴィレル・ボカージュ』にイギリス第7機甲師団が到達した時、ヴィットマンの中隊がそれに気づきましたが、敵の部隊規模が不明な中でまだ先鋒の小部隊と判断した彼は、中隊全力そのものを予備隊として控えさせつつ、何とたった1台のティーガーIで突っ込みます。
ノルマンディー地方独特の生垣『ボカージュ』を乗り越えて現れたヴィットマンのティーガーIを見たイギリス軍は「タイガーだ!」と叫びますがもはや目前、ヴィットマンは奇襲に成功し、次々に戦車やハーフトラック、対戦車砲を撃破、蹂躙。
途中で第2中隊主力も突入してきたものの、結局ヴィットマンのティーガーIが15分足らずで20台近い戦車とハーフトラック、対戦車砲2門のほとんどを破壊してしまいました。
そのままヴィレル・ボカージュへ突入した第2中隊は第1中隊やパンツァー・レールからの増援とともにイギリス第7機甲師団先鋒へ重大な損害を与え、同師団のカーン攻撃作戦を頓挫させるとともに、イギリス軍上陸部隊(第21軍集団)の指揮官、バーナード・モントゴメリーに慎重な用兵を強いるほどの心理的衝撃を与えたのです。
ヴィレル・ボカージュで暴れまわったヴィットマンは結局乗車を撃破されて脱出しますが、乗車するティーガーIを乗り換えて引き続き友軍の後退を援護すべく火消として出撃しました。
しかし、ヴィレル・ボカージュの栄光からわずか2か月足らずの1944年8月8日、対戦車砲や敵戦車の待ち伏せを受け、ヴィットマンが乗るティーガーIもシャーマン・ファイアフライ(M4シャーマンに17ポンド砲……長砲身76mm砲……を搭載したイギリス独自改造型)に撃破されてしまいます。
歴戦の戦車エースがたどる結末としては、あまりにもあっけないものでした。
しかし、彼の功績は後世まで長く語り継がれることとなり、特にヴィレル・ボカージュでイギリス第7機甲師団先鋒を前にした時に歴戦の戦友バルタザール・ヴォルと交わしたと言われる言葉が、後々まで語り草となっています。
ヴォル「ふん、奴らもう勝った気でいやがる」
ヴィットマン「そうらしい。では教育してやるか」
続けて「パンツァー・フォー!(戦車前へ!)」の号令と共にボカージュを乗り越え出現したイギリス兵が驚き慌てふためく……というシーンは、いろいろな戦記物での定番シーンではありますが、海外書籍を日本語翻訳する際の脚色(意訳)であり、実際はそこまで勇ましいやり取りではなかったらしいという話も。
しかし、『第2次世界大戦ドイツ軍最強クラスの戦車エース』といえばヴィットマンが代表的な1人なのは確かで、当時のドイツ戦車兵や指揮官を思い浮かべて真似しようと思うならば、今でも抑えておきたい人物であるのは間違いありません。
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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