- コラム
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菅野 直人
歴史上最大の航空戦であり、イギリスのチャーチル首相に「人類の歴史の中で、かくも少ない人が、かくも多数の人を守ったことはない。」と言わしめたRAF(イギリス空軍)戦闘機隊の奮戦で永遠に記録されることとなったバトル・オブ・ブリテン(英本土防空戦)。イギリスの勝利で終わったこの戦いで最大の功績を果たしたのは、各所から嫌われ退役寸前に追い込まれていた1人の将軍でした。その名もイギリス空軍戦闘機軍団長、ヒュー・ダウディング大将。
1932年、当時のイギリス首相スタンレー・ボールドウィンが議会で行った『爆撃機はいつだろうと防空網を突破するだろう』という演説を聞いて、苦い思いをしていた1人イギリス空軍将官がいました。
By Ministry of Information official photographer – http://www.iwm.org.uk/searchlight/server.php?show=nav.24370, パブリック・ドメイン, Link
彼の名は、ヒュー・キャズウェル・トレメンヒーア・ダウディング少将。
第1次世界大戦時に最初期のパイロットとして参戦、当時の陸軍航空隊(まだイギリス空軍は独立前だった)指揮官とソリが合わず対立、本国へ送還されるなどアクの強い人物でしたが、信念を貫く人です。
ダウディングはボールドウィン首相の演説後、台頭してきたナチス・ドイツへの対抗策として爆撃機軍団を増強して敵を叩き潰せばイギリスは安泰という主張に真っ向から反対し、大規模な対空警戒網と地上迎撃管制システム、強力な戦闘機隊を整備すべきだと考えていました。
何しろ時の首相が太鼓判を押した戦略を真っ向否定して「爆撃機で攻撃するより戦闘機で国を守れ! 爆撃機など通さん!」という持論を頑として譲らないものですから、第1次大戦時と同様にアチコチから嫌われる変人扱い。
しかしそんなダウディングを指示する数少ない人々が影響力を持つ重要人物だったことが幸いし、どうにか1939年9月に第2次世界大戦が始まる直前、主力戦闘機ハリケーンと最新鋭戦闘機スピットファイアを必要なだけ配備することに成功しました。
しかし、戦闘機隊の数を揃えるといっても完全ではなく、旧式複葉戦闘機のグラディエーターや、場合によっては軽爆撃機のバトルやブレニムで『水増し』された数であり、おまけに1940年にドイツがフランスへ侵攻すると、イギリス空軍戦闘機軍団も増援を要請されます。
しかし「とんでもない! そんな事をしたら本土防空が手薄になる!」と抵抗したのが戦闘機軍団の司令官に就任していたダウディング大将です。
そもそも防空システムと大戦闘機隊を構築する代わりにアチコチから恨みを買い、第2次世界大戦直前には空軍から放り出される寸前でしたが、どうも戦争が起こりそうだとわかった途端に留任を要請され、引き続き戦闘機軍団の指揮をとっていました。
そんな経緯があったためか、ダウディングに頑強な抵抗を受けると無理には言えないイギリス空軍、結局フランスは救援するまでもなく早期陥落し、1940年7月には英本土航空決戦『バトル・オブ・ブリテン』が始まって、イギリスはフランスどころか自国の本土防衛に専念せねばなくなります。
結果的にはダウディングが提唱してきた防空システムがいよいよその本領を発揮する時がやってきましたが、それまでは部下やパイロットから臆病だの頑固だのやる気があるのかなどと、かなり陰口を叩かれたようです。
増援を渋ったとはいえイギリス空軍の戦闘機はフランス戦やダンケルク撤退戦の援護で少なからぬ損害を受けており、本土防空戦に必要な数を割り込んでいました。
しかしここでダウディングの数少ない理解者、航空機生産大臣のビーヴァーブルック男爵マックス・エイトケンが辣腕を振るい、倉庫で修理用として死蔵されていた部品を放出して補充の戦闘機を組み立て、部隊へ送り込みます。
盟友の『援護射撃』でどうにか戦闘機の数を揃えたダウディングは、それでもなお戦闘機隊の致命的な損耗を抑えるべく全力出撃を禁じ、ほぼ常に小部隊での迎撃に徹して継続的な迎撃能力の温存に努めました。
このように本土防空体制を整えたイギリスに対し、ドイツは『ゼーレーヴェ作戦』すなわちイギリス本土へ直接上陸戦闘をしかけて屈服させる作戦の準備を始め、その前段階としてイギリス本土上空の制空権を獲得すべく、連日戦闘機と爆撃機の連合による爆撃を仕掛けてきます。
しかし、ここでルフトヴァッフェ(ドイツ空軍)はイギリス空軍からの思わぬ反撃をくらって面食らいました。
どこを爆撃しようとしてもイギリス空軍のハリケーンなりスピットファイアなりが必ず待ち構えていて、即座に襲いかかってくるため毎回少なからぬ損害を受けたのです。
これぞ戦前から構築された『ダウディング・システム』の真骨頂で、当時最先端のレーダーによる早期警戒システムと、レーダーでは判断しきれない詳細情報を肉眼で確認・報告する監視システムが張り巡らされていました。
レーダーと肉眼でまとめられたドイツ爆撃隊の規模や方位、高度は迎撃管制所へ送られて航空統制官が戦闘機隊を有利な高度・位置へ誘導し、爆撃隊を決してタダでは返さなかったのです。
もちろん、前述したようにダウディングは全力迎撃を滅多に命じませんでしたし、ドイツ側もレーダーサイトや飛行場を爆撃して無効化するよう努力しましたし、航空機工場を爆撃して生産を阻害しようとさえしました。
しかしダウディングは屈せず、戦闘機の生産を確保しつつ外国からの義勇パイロットやドイツに占領された国からの亡命パイロットの手も借り戦闘機隊の戦力維持に努め、攻撃を受けたレーダーサイトの復旧にも全力を上げます。
ドイツは途中からヒトラーの指示で爆撃目標をロンドンなど大都市に切り替え、護衛戦闘機メッサーシュミットBf109の行動半径圏外へ無理に護衛なしで爆撃機を振り向けたため、損害が続出するなどの失点もあり、バトル・オブ・ブリテンはイギリス有利に傾くこととなります。
9月15日、ルフトヴァッフェが戦闘機・爆撃機合わせて1,000機以上もの大編隊を発進させ、やがてそれら全てがロンドンへ向かうのを『ダウディング・システム』が把握すると、それまで小部隊の迎撃に留めていたさしものイギリス空軍戦闘機軍団も、ついに全力出動が命じられました。
映画『空軍大戦略』でしたか、この時トレードマークの葉巻をくわえたチャーチル首相から「予備機は?」と尋ねられたダウディングが「ありません」と素っ気なく答えたシーンがあったかと思います。
実際にはイギリス北部担当の戦闘機隊もあったので予備機ゼロというわけではなかったはずですが、ともかくロンドン空襲を阻止し得る戦闘機は全機出撃、英独双方合わせて1,700機もの戦闘機と爆撃機が入り乱れる『史上最大の航空戦』が生起しました。
この戦いでイギリス空軍戦闘機隊はドイツ爆撃隊を完全阻止とはいかずロンドンは少なからぬ損害を受けましたが、ドイツ側も大損害を受けた上にロンドンを灰にするほどの成果は上げられません。
ロンドンのあるデパートなど正面入口を爆弾に吹き飛ばされた後、「本日より入り口を拡張して営業しております」と張り出すなどロンドンっ子の血気盛んな有様なのを知ったドイツ側は、「これだけ叩いても士気がサッパリ落ちない、こりゃダメだ」と天を仰いだとか。
かくしてダウディングが育てた防空システムの前についにルフトヴァッフェも諦め、空軍総司令官のゲーリングは激怒し、ヒトラー総統は「これだけイギリスが頑強なのは、ソ連がドイツを攻撃するからに違いない」と、返す刀でソ連へ攻め込んでしまいました。
イギリス本土爆撃そのものはその後も散発的に続いたとはいえ、ダウディングとイギリス空軍はついにイギリス本土を守り抜いたのです。
しかし、バトル・オブ・ブリテンの勝利はまた、ダウディングにとって栄光の終焉でもありました。
苛烈な本土防空戦の中で生じた無数のミスや不備、さらに結果的にはロンドン大空襲を不調に終わらせた大迎撃戦につながる戦力温存策、裏を返せば日頃の迎撃戦闘で積極的に小部隊しか投入せず、損害を甘んじたことへの不満全てがダウディングへのしかかります。
さらに今度はアメリカの参戦(1941年12月)もあって北アフリカやヨーロッパ大陸へ反攻する立場となったイギリス空軍ではもはや『防空システムの権威』ダウディングの居場所はなく、戦闘機軍団司令官の座を追われ、航空機調達担当者としてアメリカへ送られました。
あからさまな左遷に失望したダウディングはアメリカでもまたアクの強さで不評を買い、1942年7月にイギリス空軍から退役。
戦後は1970年2月15日にロイヤル・タンブリッジ・ウェルズで死去しますが、その功績が現在のように最大限の賛辞で語られるようになるのは、ダウディングが失意のうちに空軍を去って後、第2次世界大戦が終わってドイツ側との記録を参照しながら研究が進んでからのことで、既にダウディングは晩年に差し掛かっていました。
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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