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  • 奇跡の海戦史『台風vsハルゼー艦隊~本物の『神風』コブラ台風とコニー台風の惨劇~』

2019/02/13

菅野 直人

奇跡の海戦史『台風vsハルゼー艦隊~本物の『神風』コブラ台風とコニー台風の惨劇~』

日本では13世紀に大元王朝時代の中国と朝鮮半島の高麗王国連合軍による『元寇』を暴風雨『神風』で撃退して以来、国難の折には凄まじい嵐が敵を壊滅させるという伝説があり、第2次世界大戦時の『神風特別攻撃隊』もこの故事に倣ったのが命名理由の1つでした。しかし、特攻機による神風以外にも、『神風』レベルの台風が2度にわたって米艦隊を襲ったのです。







台風を侮ったハルゼーの第38任務部隊が出くわした『コブラ台風』

1944年10月、フィリピンへ来襲したアメリカ海軍第3艦隊・第38任務部隊は反撃に出た日本海軍の連合艦隊に襲い掛かり、潜水艦その他の戦果も合わせて戦艦4隻空母4隻重巡洋艦6隻駆逐艦など多数を撃沈。
大破しながら戦闘海域を逃れた艦艇やレイテ島オルモックへ増援を輸送する艦艇へも落ち武者狩りのごとく激しい空襲を繰り返してさらに戦果を拡張、文字通り日本海軍連合艦隊を壊滅させました。

さらに陸海軍の航空部隊も直前の台湾沖海戦やニューギニア方面の作戦で壊滅していたので、日本のフィリピン防衛計画は早々に破綻し、フィリピン全域の早期制圧を目的として第38任務部隊は活動を続けていたのです。

これに対し、日本軍は最後の手段として航空攻撃の成功率を少しでも高めるべく、命中するまで爆弾を積んだ戦闘機や爆撃機をアメリカ軍艦艇へ突入させる非情の特攻作戦を開始、『神風特別攻撃隊』と名づけます。
その由来は、命名者の第一航空艦隊首席参謀・猪口力平の郷里の道場『神風(しんぷう)流』と、海軍第201航空隊の玉井副長による『(元寇のような)神風を吹かせねば』双方と言われていますが、もちろん元寇と神風とは海上の嵐、大規模なものなら台風です。

しかしアメリカ海軍の艦艇は遠く大洋を渡る渡洋外征作戦を主体とし、航続距離と重装甲・重武装を重視してはいましたが、昔からなぜか航洋性についてはさほど熱心ではありませんでした。
そのためアメリカ海軍の創設直後から第2次世界大戦に至っても悪天候で軍用艦艇の遭難事故は多かったのに、なぜか日本の『第4艦隊事件』のように、艦艇の設計まで影響を与えるような対策は進んでいません。

1944年12月に『コブラ台風』へ出くわした第38任務部隊の総指揮官(第3艦隊司令長官)、ウィリアム・ハルゼーJr大将もアメリカ海軍の指揮官の常として、どうやら『神風』を侮っていたようです。

次々に沈む駆逐艦、軽空母ですら火災発生、漂流する大惨事

アメリカ海軍がレーダーで観測したコブラ台風の画像(1944年12月18日)
By U.S. Navy – NOAA Photo Library, パブリック・ドメイン, Link

1944年12月14日にフィリピン東方で発生が確認された『コブラ台風』は西北西へ進路を取り、やがて北西へ進路を変えて第38任務部隊へ迫りました。
これはアメリカ軍による観測結果なので艦隊でも台風の存在は認識しており、特に対空火器の増設で艦の規模に対し重心が高くなりすぎていたファラガット級など戦前建造の旧式駆逐艦は危険だとして、重心を下げるため早めの燃料補給が命じられています。

しかし台風のスピードは予想外に早く、荒れ始めた海面で燃料補給を断念した駆逐艦は、最低気圧907ミリバール(当時は今と違って気圧の単位がヘクトパスカルではない)に達するコブラ台風へ、12月17日から18日にかけモロに書き込まれました。

駆逐艦は荒れ狂う波浪の中、半ば海中へ潜っては飛びあげられるという苦難の後悔となり、戦艦や空母でさえも激しい動揺で艦隊の陣形維持どころか航行そのものに支障をきたしはじめます。
インデペンデンス級軽空母『カウペンス』や『モンテレー』では飛行甲板にワイヤーで固定していた艦載機が吹き飛ばされ、格納庫の中の艦載機も激しい傾斜で衝突、爆発炎上して、特にモンテレーは消火用水が機関部へ入り込み、嵐の中で航行不能、漂流状態となりました。

もっとも苦難に見舞われたのはもちろん駆逐艦群で、12月11時前後にフレッチャー級『スペンス』とファラガット級『ハル』がいずれも90度近くに達する傾斜と機関部への海水流入により航行不能となります。
スペンス』は11時30分に船体が真っ二つになって横転沈没し、生存者はわずか24人、ハルはどうにかその前に総員退艦が間に合い、68人が救助されましたが、ファラガット級『モナハン』など人知れず転覆沈没、6人しか助かりませんでした。

USS Langley (CVL-27) during Typhoon Cobra, December 1944.jpg
By Naval Historical Center cropped, パブリック・ドメイン, Link

このコブラ台風で第38任務部隊がこうむった損害は駆逐艦3隻沈没、軽空母4隻、護衛空母4隻、軽巡洋艦1席、駆逐艦10隻、支援艦艇3隻が損傷を被り、多数の艦載機を失ったほどで、戦艦や空母など主力艦こそ大きな損害を受けなかったものの、『1度にこうむった損害としては第1次ソロモン海戦以来』とすら言われます。

なお同じ頃、第7次多号作戦の『オルモック夜戦』で生き残りながらも片舷航行となり、本土へ修理のため回航途上だった日本海軍の駆逐艦『』もコブラ台風に遭遇していますが、波浪対策で優れた日本艦であったこともあり、損害もなく無事通過しました。

1945年6月4日、沖縄戦末期のコニー台風で悪夢再来

台風を侮って思わぬ大損害を受けたハルゼー大将でしたが、1945年1月には休暇で本国へ帰り、指揮官がスプルーアンス大将に変わった機動部隊は第5艦隊・第58任務部隊として損害回復と以後の作戦に従事します。

同年4月に沖縄戦が始まると、5月27日に戦艦ミズーリに将旗を上げ、再び第3艦隊・第38任務部隊として沖縄戦を続行しますが、直後の6月4日から5日かけ、沖縄近海の第38任務部隊はまたもや『コニー台風』の直撃を受けました。

この時は人的損害こそ6名と少なく沈没艦もなかったものの、空母『ホーネット』および『ベニントン』は飛行甲板前部が大きくめくれ上がって艦首方向からの発艦不能、戦艦『インディアナ』も一時機関の一部が停止するダメージを受け、重巡洋艦『ピッツバーグ』に至っては艦首を約32mにわたってもぎとられる大損害。

艦載機の損害も150機以上に達し、沖縄戦末期で既に地上戦闘はほぼケリがつき、特攻機の襲来も少なかったから良かったものの、それでもホーネットなど艦尾からの艦載機発着可能かどうかテストを行っていたほど。

仮に沖縄戦初期にこの損害を受けていれば、戦艦『大和』特攻作戦などどうなっていたかわかりませんでしたが、『昭和の神風』は気まぐれで、そこまで都合よく日本のためには吹かずに終わったのでした。







菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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