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2019/02/1

菅野 直人

軍事学入門「攻撃空母とは何か?海上自衛隊空母保有議論の歴史」

2018年12月に発表された『平成31年度以降に係る防衛計画の大綱について』(31大綱)および『中期防衛力整備計画』(31中期防)において、海上自衛隊最大の護衛艦『いずも』級へ固定翼機運用能力付加が決定、マスコミ各社は一斉に『海自、念願の空母保有へ』と書き立てました。その過程で保有する『空母』が攻撃空母かどうかについて政権内部や与党でもかなり議論されましたが、そもそも攻撃空母とは何か? を、海自創設以前からの空母保有議論を通して紹介します。







『日本海軍再建』から既に要望されていた空母

海上自衛隊は1954年7月に発足した組織ですが、日本の軍事組織としては旧日本陸軍と明確に断絶していた警察予備隊(現・陸上自衛隊)と異なり、旧日本海軍から連続性を持った、見方によっては『旧海軍が完全に廃止されないまま再編された組織』です。

旧日本海軍そのものは1945年11月の海軍省廃止で形式上は消滅しますが、前線から将兵を本土へ復員させるなど後処理のため、海軍省廃止の翌日には第2復員省が発足。
1946年6月には第1復員省(旧陸軍省)と統合されたものの復員庁第2復員局として、さらに1948年1月以降は厚生省(現・厚生労働省)第2復員局として存続します。

一方、海軍部隊は復員業務に任じていた特別輸送艦(空母『葛城』『鳳翔』以下の戦闘艦艇)を退役させた後も、戦時中にB-29が日本の港湾や航路を封鎖するため海へ投下した機雷を掃海する部隊が存続しており、海上保安庁に所属して朝鮮戦争にも参戦しました。

日本で『海上軍事組織復活』が決まったのはこの頃で、朝鮮戦争勃発(1950年6月)直後に警察予備隊が発足したのと同じく、1952年4月に『海上警備隊』が発足 (当初は海上保安庁内の組織)。
海上警備隊発足のため設立された諮問委員会『Y委員会』は海上保安庁だけでなく厚生省第2復員局、つまり旧海軍省そのものからも人員が集められており、『新日本海軍』を創設する上で、空母の能力および象徴としての力に大いに期待する人物が多かったのは間違いありません。

実際、当初の海上警備隊はPF(パトロール・フリゲート艦)やLSSL(上陸支援艇・実質的には砲艦)で始まりましたが、Y委員会からはアメリカで余剰となっている護衛空母4隻の供与が求められています。

アメリカも当然と考えていた日本の空母保有と、幻の日の丸エセックス級CVS

これに対し、「戦後数年の空白と再建されていない経済下でいきなり空母の運用は無理!」とアメリカから断られはしたものの、戦後ますます増大するソ連海軍の潜水艦勢力に対し、基本的にはシーレーン防衛のための対潜水艦戦力として整備するにせよ、日本に空母が必要だという認識はアメリカも持っていました。

そのため、海上警備隊が海上自衛隊へ改組後も、幾度となく対潜用艦載機やヘリコプターを搭載した護衛空母が要求され、アメリカ側も護衛空母やエセックス級攻撃空母を転用した対潜空母(CVS)への視察を受け入れています。

1957年に当時第一線級の対潜機、グラマンS2F『トラッカー』供与が始まった頃には、「S2F要員がアメリカの空母で発着訓練を行った」という噂まで流れました。
実際には発着艦体験(同乗)や洋上での航空機整備体験にとどまったと言われますが、アメリカ側からは当時余剰となっていたエセックス級対潜空母の供与打診さえあり、予算さえ許せば1960年前後には海上自衛隊は空母を保有していて不思議ではなかったのです。

現実には空母以前に国産護衛艦の整備が優先され、その後ベトナム戦争で空母不足により対潜空母まで攻撃機を積んで駆り出したアメリカも空母の余剰などなくなっていきましたが、もしかしたら空母保有が実現する一方、国産化まで予算が回らない護衛艦はアメリカ製の中古駆逐艦やフリゲートで我慢する時代がしばらく続いたかもしれません。

また、エセックス級CVSの場合はA-4スカイホーク攻撃機にサイドワインダーを搭載して防空用として何機か配備することも多かったので、海自CVSでも同様に海自防空戦闘機隊、あるいは空自からの派遣機が搭載された可能性もあります。

その時点で核爆弾を搭載するA-4だと『攻撃空母に転用できるじゃないか』と議論になったことが予想され、せめて艦上戦闘機をと、グラマンF9F-8『クーガー』や同F11F『タイガー』など、米海軍の2線級艦上戦闘機が搭載されたでしょう。

固定翼空母断念後、1970年代までのヘリ空母構想やV/STOL空母構想

エセックス級CVS給与は実現しなかったものの、高速化する一方のソ連潜水艦に対して数少ない護衛艦で追い込むのは限界があり、当時最新鋭の対潜ヘリコプターを使った対潜システムが注目されていました。
そこでHSS-2対潜ヘリ18機を搭載する対潜ヘリ空母を整備する案が1950年代末期に計画されましたが、1960年の新日米安保条約締結に伴う『安保闘争』で国政が空転したため予算計上に至らず、またもや海上自衛隊の空母保有は空振りに終わります。

もし安保闘争がなければ、1960年代後半には50年近く早く『いずも』クラスのヘリ空母(ヘリ護衛艦)が誕生し、1970年代から1980年代にかけハリアーV/STOL機(垂直/短距離離着陸機)の搭載が議論されたはずです。

さらに1970年代に入って海上自衛隊初のDDH(ヘリコプター護衛艦)2隻(『はるな』級)建造が決定した時も、続けて建造する2隻をより大型化した大型ヘリコプター護衛艦『DLH』建造が計画され、ハリアーも搭載する実質V/STOL空母建造案までありました。
それも1970年代前半のオイルショックで海上自衛隊の整備計画そのものが縮小または先送りされ、DLHも建造されてみれば『はるな』級を拡張近代化した『しらね』級DDH2隻になってしまいます。

オイルショックがなければ1970年代後半のマスコミでは40年早く『海自、待望の空母保有』の文字が踊ったはずですが、ハリアーは垂直/短距離離着陸性能が売りなものの、戦闘能力は極めて限定的で戦力としてもフォークランド紛争まで懐疑的な意見の多かった飛行機です。
おそらくこの時ハリアー搭載DLHが実現しても核攻撃云々能力という話にはなりようがなかったと思われますが、『日本国外への攻撃能力を持つのではないか?』という反発はあったでしょう。

その時にハリアーを搭載する理由として使われそうなのが、1972年に日本へ復帰したばかりの沖縄防衛および、1960年代末には存在の判明していた尖閣諸島周辺の海底資源防衛ですが、そこで中華民国(台湾)や中華人民共和国との関係へ悪影響を及ぼさなかったかが心配です。

というより、40年経っても空母保有の理由がさして変わらないのにもビックリですが、果たして当時の中国や台湾が尖閣や先島諸島に攻めて来るかも、という理由に説得力はあったでしょうか?

2010年代になっても『攻撃空母議論』ですか?

以後は1980年代後半から1990年代前半にかけ、空前の好景気に湧いていた日本がV/STOL空母を建造するに違いないと海外から予想され、その頃には想定される搭載機がアメリカのAV-8BハリアーII(ハリアー発展型)になっていましたが、当時の日本は「能力不足のハリアーより、イージス艦で防空した方がいい」という考え。

1990年代後半からは、全通甲板型輸送艦『おおすみ』級、2000年代後半には全通甲板型ヘリコプター護衛艦『ひゅうが』級(はるな級DDH後継)が就役しますが、前者は全通甲板といっても後部以外は車両甲板でしたし、後者は対潜ヘリ3機同時発着能力のためだけの全通甲板化です。

DDH-183 いずも(1).jpg
By Yamada Taro投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, Link

いずれも空母化には小さすぎましたが、2015年3月に就役した全通甲板型ヘリコプター護衛艦いずも級1番艦『いずも』が就役すると、何しろ旧海軍の中型空母『飛龍』や『雲竜』級より大きかったので、「今度こそこれは空母でしょう!」と期待は高まります。

実際、サイズとしては最新鋭のステルスSTOVL(短距離離陸/垂直着陸)戦闘機F-35Bの発着に十分でしたし、右舷後部には頑丈で大きなサイドエレベーターを装備していて、F-35Bの艦内収容も可能。
しかも対潜ヘリ5機同時発着能力のみならず、輸送艦や給油艦、病院船としての能力を持つ巨大なドンガラ『多用途艦』であり、速力こそ護衛艦並ながら個艦防空能力以上の戦闘力を持たない『水上戦闘艦ではない初の護衛艦』です。

猛烈な熱を持つブラスト(排気)を受け止める耐熱甲板化と発着管制/支援設備の追加でF-35B運用能力は容易に追加可能でしたし、海軍力を大幅増強した中国が尖閣諸島へやたらとちょっかいを出してきたこともあって、今度こそ真剣に空母化が議論されました。

結果、「これはF-35Bを運用できるといっても、ハリアーと違ってデカイF-35Bは多数を常時搭載なんてできないし、そんな戦力単位じゃ危なっかしすぎて攻撃任務になんか使えないから、攻撃空母じゃないよ? あくまで多用途の1つにF-35B運用能力を加えるだけ!」という結論で、2018年12月の31大綱でマスコミ曰く『空母化』が実現することになります。

その過程で政府与党内でも主に公明党から「そんなこと言って、本当は敵地攻撃能力を持つ攻撃空母じゃないの?」と言われましたが、実際には航空自衛隊の基地能力がない先島諸島で『前進基地にも使える多用途艦』というのが実態です。

1950年代から海自が空母を保有しそうでできなかった歴史、それも『いずも』級よりよほど攻撃的任務へ転用できそうな空母が実現しそうだった歴史を知っていると、2010年代後半になってもまだ「攻撃空母を持つ気か!」と言っているのかという感想を持たざるをえません。
まあ実際にどのような運用を行うか、早ければ2020年代後半には実際に洋上で見ることができるでしょうから、その日を待ってみましょう。







菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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