- コラム
平成軍事メモリアル(2)「自衛隊が認められた日」~バブル崩壊や大災害の多発~
2019/01/21
菅野 直人
すごいー! たーのしー!
2019/01/25
菅野 直人
2019年、いよいよ平成時代が終わりを迎えます。どのような終わり方をするのか、新しい時代はどのような始まり方をするのかはまだ全てが決まったわけではないようですが、30年を超える平成の世でも日本を取り巻く世界は大きく変わっていきました。シリーズ『平成軍事メモリアル』として、平成時代に起きた変化を軍事的側面から紹介しましょう。第3回は平成時代が始まった頃には誰も考えもしなかった、中国の軍事力対等について。
前回記事:平成軍事メモリアル(2)「自衛隊が認められた日」~バブル崩壊や大災害の多発~
ゴルバチョフ書記長の就任によって急速に軟化していった旧ソ連(ソヴィエト社会主義共和国連邦)によって、東西冷戦が終結しそうだと思われ始めていた1980年代後半、中国は胡耀邦(こ ようほう)総書記による開放政策で急激に西側へと接近していました。
軍事力の面では、1950年代末から始まった中ソ対立までのソ連接近路線、それ以降の独自技術開発による停滞期を経て、まずは西側の技術を取り入れた既存旧式兵器のアップデートを始めています(ソ連製ベースの戦車に西側で開発した戦車砲を搭載したり、戦闘機に西側製レーダーを搭載したり)。
さらに、アメリカやイスラエルの航空機メーカーから協力を受けた新型戦闘機の開発に着手(現在のJ-10戦闘機)するなど、「弱体化した東側陣営にとどめを刺す西側自由主義諸国の新たなパートナー」として大いに歓迎されていたのです。
日本との間でも、日中国交正常化(昭和47年・1972年)と文化大革命の終焉により、1980年代に入ってから『中国残留孤児(1945年8月のソ連満州侵攻で取り残され、中国で育てられていた日本人孤児)』の帰還事業が進み、中国との関係は悪くありませんでした。
しかし、そのような状況が続くと中国が民主主義国家となり、中国共産党による一党独裁体制(事実上の中国共産党王朝体制)が崩壊する事に危機を覚えた鄧小平(とう しょうへい)ら中国共産党の保守派長老グループは中国の若者グループによる自由化グループのデモを弾圧。
若者たちの精神的支柱となっていた胡耀邦 総書記も辞任に追い込んだ上で軟禁、失意のうちに胡耀邦は平成元年(1989年)4月15日にこの世を去りました。
これに怒った中国の若者・学生グループは自由主義・民主化を要求するデモを頻発させ、次第にデモの規模は拡大。
やがて東欧革命のように中国共産党独裁体制も崩壊するかに思われましたが、同年6月3日深夜から4日未明にかけ、首都・北京の天安門広場で行われていた最大級のデモに対し人民解放軍が無差別射撃を行い、全世界を震撼させました。
筆者は当時中学生でしたが、中国からの報道は極めて混乱しており、市民が人民解放軍に大量虐殺される一方で「武装警察が市民の側に立って人民解放軍と交戦している」「中国は内戦状態に陥った」など、出所不明な情報が飛び交う状況だったのを覚えています。
その結果、中国はどうなったかは皆さんよくご存知の通りで、中国では内戦など起きず民主化要求は徹底的に弾圧されて活動家は海外へ脱出、自由主義経済は共産党独裁体制のコントロール下で導入されて、今や中国は日本を抜いて世界第2位の経済大国となりました。
もっとも、内実について疑問点が多いため「実は中国の経済大国化など張子の虎も同然で、本当はいつでも内戦が起きて崩壊寸前の状態にある」とヘイトスピーチ的な意見も多いのですが、平成20年(2008年)に北京五輪を成功させるなど『問題はあるのかもしれないが、相変わらず共産党のコントロール下にある』ことには変わりません。
まさに現実的社会主義で大躍進した中国ですが、その原動力となったのは何百年も前から変わらない『世界中の富と工業力を飲み込むだけの消費力を持つ大市場』という現実で、要するに利益を得たい国は共産党に配慮しながら中国でうまいこと儲けないと、世界経済で生き残れないという現実がありました。
やがて世界中との貿易摩擦が拡大して米中貿易紛争が起きるほどとなりますが、世界中の国が今やアメリカ・EUと並んで中国でも商品を売りさばかないと発展できないのですから、中国共産党は非常にしたたかな形で大国化し、誰もそれを止められません。
それこそ中国国内で何か大問題が発生して内戦でも起きない限り発展は続きそうですが、大問題は中国共産党が徹底的に弾圧しますし、そのための資金を供給しているのは世界そのもの(もちろん日本も含みます)なので、いつかアメリカと中国が世界大戦でも始めない限りは現状がそのまま続くでしょう。
では平成時代の日本はその中でどう立ち回っていたのか。
平成元年(1989年)~平成6年(1995年)くらいまでの日本は、まだバブル崩壊直後で『立て直してもう1度経済大国として盛り返せる』という自信が失われていなかったので、激しい貿易摩擦で対立していた上に在日米軍のモラルが低下していたアメリカに対して『NOと言える日本』になろうとしていました。
そのためには、民主化を弾圧して市民を虐殺していようと、むしろその危機を乗り越え繁栄しようとすらしている中国の力を利用しようという雰囲気さえあったほどです。
実際、その時期には仮想戦記の類でも「日本が真の独立国となるため、中国の後ろ盾を得てアメリカと戦い、在日米軍を叩き出そうとする」ものは少なく無く、日本の作家のみならずアメリカの軍事サスペンス作家トム・クランシーも『日米開戦』(平成4年・1994年)に発表しています。
ホンの四半世紀前、日本の世論が「中国と手を組んでアメリカから真の独立を果たそう! アジア万歳! 我々はアメリカの植民地じゃないぞ!」だったなど、平成31年(2019年)の今、誰が信じるでしょうか?
ちなみにその頃、中国の軍事力はアメリカに代わって崩壊した旧ソ連、ロシアやウクライナなどから支援を受けて大量の旧式兵器と練度の低い兵士による人海戦術から大きく転換し、急速な近代化を進めていましたが、まだ大きな脅威になるとは思われていませんでした。
特に日本にとって脅威となる海軍力や空軍力は近代化が端緒についたばかりで、財政悪化により稼動不能になった旧ソ連の空母『キエフ』や『ミンスク』を娯楽施設への改造名目で購入・研究していた程度で、まだ本格的な外洋戦闘力を持たなかった時代です。
水上艦艇は小型旧式のフリゲートや魚雷艇などで沿岸防備をチョコチョコ行う程度、練習艦など日本からの戦利艦(海防艦『四阪』)を1990年まで使っていたほどで、1970年代から無理して建造していた原子力潜水艦も、「とにかく原子力では動くが、うるさくて仕方ない」代物。
航空戦力も数は揃っているものの旧式機やその発展型、それも天安門事件のおかげで西側技術を導入しそこねた性能の低いものばかりで、ICBM(大陸間弾道弾)はあったので、「日本に脅威となる戦力は無いが、アメリカへ脅しをかけて日本の後ろ盾になってもらうには十分」というのが、平成時代初期における中国の軍事力でした。
ところが、結局のところ日本人のほとんど(特に一般大衆)は中国という国を根本的に理解していませんでした。
第2次世界大戦で最終的に負けたとはいえ、中国に対しては大して負けた覚えは無く、アメリカやソ連を敵に回さなければ何とかなった相手だと思い込み、うまく利用したつもりになって、侮っていたのです。
そもそも中国という国、あるいは歴代中国王朝というのは、「最初から勝てないと思っている戦争を自分から仕掛ける事は無く、勝てると思ってから初めて攻めてくる国」(もちろんそれで毎回勝てるとは限りませんが)なのを知っていたのは歴史家のみだったのかもしれません。
2000年代に入ってから、平成16年(2004年)に東シナ海の海底資源を巡り、中国が日本側にもつながる天然ガス田を採掘開始、日本が抗議するとソ連から購入した軍艦(ソブレメンヌイ級駆逐艦)などで日本を寄せ付けなくなりました。
By Baycrest – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 2.5, Link
平成10年(1998年)にウクライナから購入した未完成の旧ソ連空母『ワリヤーグ』を平成14年(2002年)に大連へ回航し、平成17年(2005年)には中止されていた建造を中国で再開した事が確認され、平成24年(2012年)には中国初の空母『遼寧(りょうねい)』として就役します。
さらに周辺海域へ海底資源の存在が判明してから中国が領有権を強硬に主張し始めた沖縄県の尖閣諸島に対しても、2010年代に入ってから露骨に日中接続水域の航行、日本側への領海侵犯を繰り返すようになりました。
そして平成31年(2019年)、気が付けば中国は最新鋭の航空機や軍艦を第2次世界大戦時のアメリカを思わせるおそるべきペースで就役させています。
日本も遅ればせながら海上保安庁の強化や海上自衛隊最大のヘリ護衛艦『いずも』級へのF-35B戦闘機運用能力追加、航空自衛隊へ国内生産にこだわらず輸入で構わないからとF-35Aステルス戦闘機大量購入、先島諸島への地対艦ミサイルや地対空ミサイル配備などを進めましたが、軍拡競争では到底叶いません。
今や外交力のみならず防衛力も効率的な調達・運用で軍事力では圧倒的優位に対抗し、「中国に今なら勝てると思わせない」のが、平成31年(2019年)における緊急課題です。
今や「アメリカ様のおかげで日本は何とか中国に攻められずに済んでいる」などと呑気な、あるいは半ば投げやりに近い論調が目立ちますが、全く逆の論調(中国の手を借りアメリカを追い出そう)すらあった平成時代初期の日本国民に、平成時代末期の現状を見せたらどんな顔をするでしょうか?
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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