- コラム
意外な傑作機「NASAではまだ現役!イングリッシュ・エレクトリック・キャンベラ」
2019/02/6
菅野 直人
すごいー! たーのしー!
2019/01/9
菅野 直人
旧ソ連で冷戦時代に開発された軍用機は『秘密のヴェールに包まれた赤い帝国の兵器』としてコンセプトからして不明な兵器も多く、1991年のソ連崩壊後から長い時間をかけて再評価されました。その結果、広く一般的には駄作と思われていた軍用機が実際には優れたコンセプトに基づいた高性能機だったと知られるようになったものもあり、その代表的なものがスホーイSu-7/Su-17フィッター系戦闘爆撃機です。
現在、ロシア製の高性能ジェット戦闘機として長距離侵攻戦闘爆撃機型や艦上戦闘機型を含む広いバリエーションを持つSu-27“フランカー”系列など、輸出でも成功した優れた戦闘機や攻撃機を開発・生産しているロシアの『スホーイ・カンパニー』。
近年は旅客機やビジネスジェット、スポーツ機など幅広い分野に進出している大メーカーですが、旧ソ連時代には他メーカー同様『スホーイ設計局』という国営航空機設計局のひとつで、1939年にパーヴェル・スホーイの設計局として設立されました。
しかし、第2次世界大戦前の代表的な戦闘機メーカーだったポリカルポフや、同大戦中に多数の新型戦闘機を開発したヤコブレフ、ラボーチキン、戦後ジェット時代に大発展したMiG(ミコヤン・グレヴィッチ)と異なり、スホーイの名は1950年代より前にはあまり見当たりません。
新型機の開発自体は他の設計局同様、精力的にこなしてはいたもののいずれも採用されず、おまけに独裁者スターリンからの覚えもめでたくなかったので、プロペラ機の単発軽爆撃機Su-2を除けば、ほとんど量産までこぎつけられませんでした。
挙句の果てにサボタージュ容疑でパーヴェル・スホーイが1949年に逮捕・投獄、設計局も閉鎖されるという当時のソ連らしい冷や飯ぐらいの時期もありましたが、1953年にスターリンが死去すると解放されて設計局も再建。
それからはヤコブレフやラボーチキンを蹴散らし、MiGと並び旧ソ連を代表する名門設計局というスターダムへのし上がり、前線向け小型戦術戦闘機が多かったMiGに対して大型高性能機を担当することが多くなりました。
その第1作が、1955年に初飛行したSu-7、NATOコードネーム『フィッター』です。
By Pibwl – 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, Link
Su-7はそもそも西側初の超音速ジェット戦闘機、アメリカのノースアメリカンF-100『スーパーセイバー』などを圧倒するマッハ2級ジェット戦闘機として開発されていたうちの1機でした。
そのうち小型機が後に有名となるミコヤン・グレヴィッチMiG-21、大型機がSu-7の原型となるスホーイS-1でしたが、当時使用可能な大推力ターボジェットエンジンで大柄ながら安定した高速性能を誇るS-1は戦闘爆撃機Su-7として採用されることとなります。
当初S-1をそのまま実戦化したような戦闘機型(Su-7A)はわずかな生産のみで、本命は戦闘爆撃機型Su-7B。
かなりきつめの後退翼を主翼としたSu-7はハイパワーエンジンのおかげで燃料と爆弾やロケット弾などを搭載して超低空を超音速で駆け抜けるのに特化しており、地表付近の安定しない気流の中でも強引に突破できるだけの安定性と機動力を持っていました。
ただし冷戦中は大柄な機体と燃費の悪いエンジンゆえ、『燃料か爆弾どっちかならソコソコ積めるが、両方積むと戦闘行動半径が極端に短い』、後退角がキツすぎる主翼ゆえ『離陸滑走距離が長すぎるし、着陸速度も高すぎて前線の飛行場で使えない』と、西側では酷評されてしまいます。
しかし実際には、第3次世界大戦が始まったら核爆弾を抱えて超低空で西側の防空網を突破する一点だけに集中しており、実際冷戦終結後によくよく検討してみると、Su-7の阻止はかなり困難だったこともわかりました。
中東戦争でのアラブ諸国軍や印パ戦争でのインド軍が使ったSu-7の損耗率の高さも不当に評価の低い原因でしたが、実際には地上で撃破されたり不適切な運用を行った結果の事で、一撃離脱に徹したSu-7の爆撃任務成功率はかなり高かったのです。
しかも構造が頑丈だったSu-7は練習機や実験機として1990年代までかなり長く使われました。
By Rob Schleiffert – Su-17, CC 表示-継承 2.0, Link
西側からは侮られつつ1950~1960年代を通し旧ソ連の決戦兵器の座にあったSu-7ですが、主翼を可変後退翼化したSu-17シリーズが登場すると西側メディアは「やっぱりSu-7は失敗作だった」と決めつけます。
主翼の中程から後退角を飛行中でも変更可能だったSu-17は単なるSu-7の離着陸特性改善型程度に思われ、NATOコードネームは『フィッター』から変わらず。
しかし実際には可動翼を主翼外翼に制限したため、内翼にハードポイント(爆弾やロケット弾を吊り下げるパイロン)を追加する余地ができたため、Su-7より多くの兵器や増加燃料タンク、自衛用の空対空ミサイルも装備可能となりました。
離着陸性能が大きく改善されたため、燃料や爆弾の搭載量にも余裕を持った上で前線の短い飛行場でもSu-7のようにJATO(ロケットブースター)を使わず離陸可能となり、西側のF-14やF-111のように面倒なコンピューター制御可変翼では無かったため、技術レベルの低い国でも運用可能。
機首空気取入口のショックコーンは大型化され、機体背面も膨らませて高性能レーダーなど高度な電子装置を搭載可能となり、ジェットエンジンも燃費に優れたものへ換装されたため、一撃離脱型戦術攻撃機として以外にも、多様な任務へ投入可能となったのです。
実戦投入経歴で有名なのが1981年に起きた『シドラ湾事件』で、アメリカ海軍の機動部隊へ接近したリビア空軍の輸出型Su-22が、アメリカ側のF-14『トムキャット』艦上戦闘機に撃墜されたことで有名になりました。
ただし、これは演習への妨害行為に対するアメリカ側の『見せしめ』に近い行為でSu-22が積極的にF-14へ空戦へ挑んだものではないのですが、F-14の武勇伝として『やられメカ』扱いされたという不遇な出来事。
実際にはそれから30年近くたってもベトナムやペルーなどで現役運用されており、NATOへの加盟で多くが西側機材へ更新された東ヨーロッパでも、ポーランド空軍機がまだ健在です。
拡張性の高い機体にはコンパクト化された最新の電子装備が搭載され、Su-7譲りの高い低空機動力を誇るSu-17系(Su-17/20/22)は、現役運用している国で今なお有力な戦力として機能しています。
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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