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第二次世界大戦以降、戦争を放棄し交戦を行わないと決めた日本。そんな日本が実は2006年まで戦争状態だったという事をご存知でしょうか?
ちなみに敵国の国名は「モンテネグロ公国」。今ではモンテネグロと名称が変わったバルカン半島の国の一つです。
とはいっても、一般人の知らない所で日本が戦争を継続していたという話ではありません。実は双方の国が戦争状態であったことをすっかり忘れていたのです。
今回はそんな、ちょっと意外な日本とモンテネグロ公国との関係についてご紹介したいと思います。
By w:Kingdom of Montenegro
(Vector graphics image by B1mbo) – File:Coat of arms of the Kingdom of Montenegro.svg File:Zastave Kraljevine Crne Gore.jpg File:Flag of Nicolas I of Montenegro.jpg , パブリック・ドメイン, Link
日本が初めてモンテネグロ公国と戦争状態になったのは1905年。
今から数えると100年以上も前の話となりますが、当時のロシア帝国と同盟を結んでいたモンテネグロ公国は日露戦争により日本と戦争状態にあったロシア帝国を支援し共に戦うため日本に対し宣戦布告を行いました。
ただ、日本に戦線布告し戦争状態になったものの、ヨーロッパに位置するモンテネグロ公国は位置的な理由により、日本と直接的な戦闘行為が行われることはありませんでした。
しかし、このことがのちに100年以上も戦争状態となるきっかけとなるのです。
日露戦争はご存じの通り1905年に日本とロシアの間でポーツマス条約が結ばれた事で終戦を迎えます。
そして本来であればロシアを支援するために参加してきたモンテネグロ公国も講和会議に参加するべきでしたが、殆ど戦争に参加していなかった上、直接的な戦闘も行われなかったことからモンテネグロ公国は講和会議に呼ばれなかったのです。
つまりこの時点で日本とロシアとの戦争は終戦となりましたが、講和会議に呼ばれなかったモンテネグロ公国とは国際法上は戦争がいまだ継続中という状態になってしまったのです。
国際法上、日本と戦争状態となったまま放置されていたモンテネグロ公国ですが、さらなる悲劇が重なり、さらに戦争終結が難しくなってしまいます。
その出来事とはモンテネグロ公国の消失。
実は1918年に隣国のセルビアと合併することとなり、モンテネグロ公国は「セルビア・モンテネグロ」という国に変化します。
国自体が無くなれば自動的に終戦となりそうなものですが国際法上はそうはいかず、国が無くなった後も日本は存在しない国と戦争状態という中途半端な状態になってしまうのです。
そして遂に終戦が成立したのは2006年の6月3日。
セルビア・モンテネグロとなっていたモンテネグロ公国は新たに独立宣言を行い、現在の「モンテネグロ」として生まれ変わりました。
この時、日本もモンテネグロの独立を承認するのですが、その際に同時に休戦協定が結ばれたと言われており、この時点で100年も続いた戦争がついに終焉を迎えたのです。
いかがでしたか。
実際に戦争行為が無かったにも関わらず、国際法上では100年以上も戦争状態にあった日本とモンテネグロ公国。
ただ、こういったケースは他にもまだまだあり、仲が良いように見えて実は国際法上では敵国同士という事例も結構あったりします。
また100年も続いた戦争と聞くと大戦争のようにも聞こえますが、200年や300年続いた戦争も沢山あります。
もし興味が沸いたら、是非ご自身でも一度調べてみてくださいね。
元々はインドア派だったが、体力の衰えを感じはじめたため、体を動かす趣味を探してサバイバルゲーム初参加。それ以降というものサバイバルゲームの魅力と銃の魅力にひきつけられ、今では猟銃免許や狩猟免許まで手を出して本物のショットガンを背負って山でイノシシやシカを追うまでに。サバゲーやアウトドアの魅力を知ってもらうために今日も熱意執筆中。
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