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2018/12/21

菅野 直人

ステルス機発展史「『透明な飛行機』や元祖アクティブ光学ステルス『ユーディの光』」

現在のステルス機といえば「レーダーに映らないんでしょ?」程度な認識だと思いますが、実際はレーダーに「映りにくい」程度で飛んでりゃ見えますし、大抵はジェット機で高速ですから、ジェット排気や大気との摩擦熱で赤外線も全く出さないわけにはいかず、そこそこ排気音なんかもしちゃいます。そのためアッサリ撃墜される事もありますが、だったら静かで文字通り『見えない』飛行機を作ればいいんじゃね? というのが光学ステルス。今回は代表的な元祖のいくつかと、代表的なアクティブステルス『ユーディの光』をご紹介します。

実際は『見えるし聞こえるのがステルス』

ステルス機はよく誤解されるほど『レーダーに映らない』わけではなく、微弱な反射波で鳥くらいの大きさには映るものの、決して鳥ではありえない速度でぶっ飛んでくることが多いため、『ステルスだ!』と案外よくわかっちゃうものです。

だったらユックリ飛べば鳥と間違えられるんじゃ……と言われても、レーダーに映らないだけで姿は条件次第じゃしっかり見えますから、ノタノタ飛んでりゃ対空砲火のいい的ですし、目標空域への侵入・離脱に時間をかけたら夜間作戦なのに日が昇っちゃいます。

だから高速低空侵入というセオリーを守りますが、そうなるとジェット機ではいくら抑えても地上にエンジンの排気音が轟きますから、そのうち気の利いた兵隊が「いつもここ通るから、重点的にステルス向けのレーダ-波当てればいいんじゃ?」と気づくわけです。

1999年3月にNATOによるコソボ爆撃の一翼を担った米空軍のF-117Aステルス戦闘機が対空ミサイルで撃墜されたのには、そんな経緯があったとも言われました。
苦労するとはいえステルス機は捕捉不可能でも撃墜不可能でも無いと証明されましたが、だったら見えない飛行機だともっとステルスなのでは?

「軍用なら見えない方がいいよね」という常識的思考

1903年にライト兄弟が人類史上初の自力動力飛行に成功して数年、既に気球や飛行船は軍用に使われ、飛行船による空爆も行われており、まだまだ武装するにはパワー不足だった飛行機も偵察など早々に駆り出されます。
やがては機関銃や爆弾を積んで、偵察のみならず爆撃や空中戦も行うようになりますが、そうなれば『空中でやたらと目立って士気を高めるのもいいけど、せめて遠くからは見えない方が戦いやすいよね?』と考えるのは極めて常識的発想です。

そこで考えられたのが、任務に応じて空の色や大地の色に溶け込む『迷彩塗装』と、文字通り透き通って見えなくする『透明化』の2パターンで、現在の軍用機を見ればわかる通り、迷彩塗装が一般的になりました。

しかし透明化もさまざまな試みがなされ、飛行機の素材を透明にすればいいんだ! と極めて安直な発想がロシア、オーストリア=ハンガリー、ドイツなどで同時発生的に登場しています。

最初に『見えない飛行機』を作ったのはオーストリア=ハンガリー二重帝国のイシュトバーン・ペトローチ男爵というヘリコプター開発にも関わった新しもの好きの貴族。
第一次世界大戦初期まで快速機として有名、青島戦役では黎明期の日本軍陸海軍航空隊もさんざん煮え湯を飲まされた『タウベ』の外皮を、1912年にセルロイド系透明素材に置き換えた実験機を作ります。

さらに1914年、ドイツのアントン・クニューベルも似たような透明素材『セロン』でタウベの外皮を置き換えた実験機を作り、ロシアでもファルマン複葉機の外皮を透明化した実験機が作られました。
このうちドイツはかなり本気で戦闘機や爆撃機、偵察機をセロン外皮化した試作機をいくつか作りましたが、セロンは透明化素材としては不十分で光の反射で逆に目立つ、搭乗員はまぶしくてたまらん、気温で収縮して機体がねじれしまいに外皮が裂けると散々な結果で終わっています。

戦間期に本格テストされたソ連の『透明機』、コズロフPS

出典:https://www.ecured.cu/images/f/f2/Kozlov_PS.jpg

第1次世界大戦が終わると各国ともしばらく大戦争には飽き飽きして軍備を減らし、さらに戦後不況と1920年代の大恐慌で透明機どころではなくなりますが、唯一経済発展を遂げていた革命後のソ連では1930年代に入って透明飛行機に手をつけます。

それがジューコフスキー航空アカデミーのセルゲイ・コズロフが研究していた透明機で、基礎研究が認められて空軍から予算が出たので、いくつか外皮を透明化した飛行機を作り、本核実験に移されたコズロフPSの実験結果は何と「確かに見えないスゴイ!」でした。

使われたのはドイツで失敗したはずの透明化素材『セロン』で、しかも品質があまり良くなかったため黄ばんでいましたが、どうもそれがソ連の空や天候にはよくマッチしたようです。
太陽の光で反射して目立つどころか白みを増したセロンは空の色に溶け込み、心配された機体のねじれや外皮が裂けるようなことも、ほとんど起きませんでした。

透明化は上空から低空のPSを視認するにはかえって目立ったものの、地上から見上げる分には高度1,500~1,700以上になると、「音はすれどもサッパリ見えない」というレベルになったのです!

これに気をよくしたコズロフは実戦向きの機体製作にかかろうとしますが、上層部である国防人民委員部ではセロンが高速機向けの外皮としては脆弱すぎることに疑問を感じ、ついに実戦機が作られることはありませんでした。
観測や偵察・連絡任務用の軽飛行機や軽輸送機用としては優秀だったろうに、なんとも惜しいことをしたものです。

第2次世界大戦に現れたアクティブ光学ステルス

Principle of Yehudi Lights with Avenger head-on view.jpg
By Ian Alexander投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link

コズロフPS以降、『透明な飛行機』はしばらく忘れ去られていましたが、第2次世界大戦中にカナダのある教授が、雪上を離陸した飛行機が突然消えたのを見て驚愕します。
機体表面で太陽光が反射すると、その反射に飛行機が覆われ、背景の空に溶け込んでしまったのです。

これは自然界でも発色する生物が『カウンターイルミネーション』として行う拡散照明迷彩と同じ効果を発揮することがわかりましたが、研究が進められた結果、飛行機をあらゆる方角から空に溶け込ませるほどの光源を作るには飛行機に搭載した電力では不足な事がわかります。

しかし、レーダーでUボートを見つけても攻撃前に急速潜航で逃走される経験を繰り返していた対潜哨戒部隊は、このアイデアを重視しました。
レーダーで探知した潜水艦へ真っ直ぐ機首を向け、翼や胴体に装備した小型サーチライトでUボートへの正面だけ照らせば、最低限の電力で機体を『消す』ことを可能にできたのです。

哨戒飛行艇や爆撃機、護衛空母の哨戒機に装備された史上初のアクティブ光学ステルスは「そこにはいない小人」を表す『ユーディの光』と名付けられて実戦投入され、攻撃されたUボートは爆弾を抱えた航空機がわずか1,000mに近づくまで全く気づきませんでした。

戦後はレーダーが小型化して発展したため光学ステルスの意味が無いとされ、『透明機』が作られることは無くなります。
ユーディの光』もいつしか忘れられますが、最近では対電波ステルスだけでなく光学・音響ステルスの必要性も重視されてきており、新たな光学ステルス機がいずれ飛ぶか、既に飛んでいるかもしれません。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。
撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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