- コラム
奇跡の海戦史『台風vsハルゼー艦隊~本物の『神風』コブラ台風とコニー台風の惨劇~』
2019/02/13
菅野 直人
すごいー! たーのしー!
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菅野 直人
『世界三大提督』というのがありまして、うち2人はトラファルガー海戦でスペイン無敵艦隊を撃滅したイギリスのネルソン提督、そして日本人なら日本海海戦の大勝利でお馴染みの東郷平八郎元帥なのですが、ではもう1人は誰かと言えば、独立戦争時代のアメリカ大陸海軍で指揮官の1人だったジョン・ポール・ジョーンズ。なぜか他の2人と違ってアメリカ以外での知名度が低いこの人物、いったいどんな戦功を上げたのでしょう?
1779年9月23日、イギリス本土東海岸のフラムボロー・ヘッド沖合で絡み合うような接近戦を戦う2隻の帆走軍艦の上で、互いの指揮官が喚きあっていました。
1隻はイギリス海軍の44門フリゲート艦『セラピス』で、もう1隻は独立戦争真っ只中のアメリカ大陸海軍所属、老朽商船を改造した42門フリゲート艦『ボンノム・リチャード』。
それまで圧倒的優位にあったセラピスのピアソン艦長が「慈悲を乞うか(降伏するか)!?」と叫びますが、ボンノム・リチャードの艦長はこうやり返しました。
「俺はまだ戦いを始めていない! さあ戦いはこれからだ!」
これこそアメリカ海軍の精神を代表する名言であり、後にどうやら後から武勇伝のネタとして後付けされたのでは? と言われるものの、今でも語り継がれるセリフであり、この艦長こそがジョン・ポール・ジョーンズでした。
By George Bagby Matthews (1857-1943) – [1]
Primary source: http://www.senate.gov/artandhistory/art/resources/graphic/xlarge/31_00012.jpg
Secondary source: de:Bild:Cpt John Paul Jones.jpg uploaded by de:Benutzer:Anathema, パブリック・ドメイン, Link
後述する功績によって英雄扱いされるジョーンズですが、その一方でさまざまな負の部分を背負ったあげくに世渡り上手では無かった人物だったため、果たして名提督と言っていいのか、迷提督と言っていいのか、評価の難しい人物であります。
何しろこのスコットランド生まれの海の男は独立戦争前に商船の船長だった時代、給与未払で怒った水兵を殺害してしまった過去がある上に、大言壮語がすぎて上から嫌われ、扱いがひどかったので下からも嫌われるというものすごい性格。
しかし戦争における実績だけはすごいので、結果的に戦闘時は部下も従うし、帰れば上も英雄として扱わねばならないという、言い換えれば戦争さえ無ければ面倒くさい人物でもありました。
1775年に始まったアメリカ独立戦争で、それまで船長としての豊富な経歴からアメリカ大陸会議で大陸海軍創設のアドバイザー的な立場から、正式な士官へと収まったジョーンズ。
アメリカ生まれで無い怪しげなスコットランド人、それも過去のスキャンダルで有名な人物としてあまり歓迎されているとはいえませんでしたが、連絡任務を受けてスループ艦『レンジャー』でアメリカの友好国、フランスへと向かいます。
当時のフランスはイギリスとの関係が非常に険悪、少し前までの戦争で敗北したこともあって、何とかイギリスに一泡吹かせるべく過度にアメリカへ肩入れしていたのですが、イギリスもフランスを警戒して、艦隊をドーバー海峡(英仏海峡)に集めていました。
そうなると逆に、イギリスとアイルランドを隔てるノース海峡など手薄な事をフランスに入港して知ったジョーンズは、何とかイギリスの目の前で何らかの成果を上げてイギリス海軍の面目を潰し、イギリス国民に心理的衝撃を与えようと試みます。
本来なら気楽なフランスへの連絡任務とノンビしていて明らかにやる気の無い部下をどうにか働かせつつ、沿岸部の要塞を襲撃したり商船を襲撃していましたが、急を知ってかけつけたイギリス海軍のスループ艦『ドレイク』と戦闘、拿捕に成功するなど成果を上げました。
これでフランスから英雄扱いされたジョーンズでしたが、大陸海軍の人事のゴタゴタで『レンジャー』を降りる事になり、代わってフランスから1隻の商船を与えられます。
解体寸前のボロ船でしたが、ジョーンズはこの船を改造して大陸海軍の軍艦とすることを決定、同じくいつ作ったのかもよくわからないオンボロ大砲などを積み込んでフリゲート艦『ボンノム・リチャード』と命名しました。
フランスの好意で指揮下につけてくれた数隻の帆走軍艦を引き連れたジョーンズはイギリス近海へ敵を探し求めて勇躍出撃、途中でどうもソリが合わないと思っていたフランス艦『アライアンス』の艦長が言う事を聞かないどころか奇妙な行動を取るのに困りつつも、イギリス輸送船団に出会います。
護衛のイギリス海軍フリゲート艦『セラピス』が立ち向かってきたのを見て右舷の砲門を開いた『ボンノム・リチャード』ですが、危惧していた通りオンボロ大砲がいきなり暴発して砲身が爆発、他の大砲を含む大損害によって、いきなり右舷の火力を喪失しました。
一方の『セラピス』は反航して接近しつつ右舷からの砲撃を加えてきたので『ボンノム・リチャード』では戦死傷者が続出し、いきなり敗北の大ピンチ!
しかし平時はともかく、戦時ともなれば闘魂すさまじい指揮官となるジョーンズは接舷戦闘で巻き返しを図るべく、すれ違いざま『セラピス』に鉤爪つきのロープを投げて同艦を『ボンノム・リチャード』へ拘束するよう命じ、これに成功します。
海のど真ん中で絡まるように停止した2隻の艦上で、冒頭のようにジョーンズと『セラピス』のピアソン艦長の怒鳴り合いが行われたのは、この時でした。
ピアソン艦長からすれば、勝手に自滅した敵艦を砲撃で徹底的に叩きのめした後であり、降伏するんじゃないのか? という優越感にあったに違いありません。
実際、『ボンノム・リチャード』の艦上では応援のフランス兵はともかくアメリカ水兵の砲員など完全に士気喪失しており、もう嫌だ、降伏しよう! と泣き叫ぶ始末。
しかしリチャードの「俺はまだ戦いを始めていない! さあ戦いはこれからだ! 士官はその務めを忘れるべからず!」の一言で『ボンノム・リチャード』の艦上は息を吹き返します(ただしやる気があったのは主にフランス人)。
左舷から苦労して引っ張ってきた3門の9ポンド砲が火を噴き、1門は『セラピス』のメインマストをへし折り、残り2門はグレープ・ショット(散弾)で艦上のイギリス海兵隊員のほとんどをただの肉片に変えました。
この勢いで『ボンノム・リチャード』に乗り組んでいたフランス海兵隊員が『セラピス』艦上へ突撃、一緒に乗り込んだジョーンズが同艦のハッチが1箇所開いているのを見つけて手榴弾を投げ込むと、どうやら弾薬庫だったらしく大爆発!
この大爆発とフランス海兵隊の活躍で『セラピス』はあらかた制圧されてピアソン艦長も降伏しました。
ただし、『ボンノム・リチャード』も元から浸水の絶えないボロ船だった上に戦闘序盤の大砲爆発事故、その後の砲撃で痛めつけられて沈没寸前にあり、『セラピス』制圧から間もなく、同艦へ乗り移ったジョーンズ以下乗員が見守る前で沈んでしまいます。
結果的には、『自らの艦が沈みゆくなか、勇敢にも敵艦へ接舷突撃、これを分捕って勝利した』ということになり、これが後世になって『あきらめずに戦い最後に勝利するアメリカン・スピリットを象徴している』と、大いにウケたのでした。
英雄として帰還したジョン・ポール・ジョーンズは、その後もロシア帝国に派遣されて同国の艦隊を指揮して成果を上げるなど『戦う提督』としては大功績をあげるも、上から下から嫌われて平時は居場所が無い、という状況には変わらなかったようです。
晩年はフランスのパリで過ごして1792年に死去、フランスやロシアではまあまあ英雄、イギリス人からはもちろんトンデモ無い海賊扱い、アメリカでは超英雄扱いの一方で『いいトコばかりじゃないけどどうなんだこの人?』扱いでもあったりと、なかなか複雑。
ちなみに現在、アーレイ・バーク級イージス駆逐艦DDG-53に『ジョン・ポール・ジョーンズ』と名付けられているので、一応今でも(少なくともアメリカ人にとって)英雄であることには変わりありません。
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。
撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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