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2018/09/14

菅野 直人

ブルドーザーやクレーン車もあった?戦時中日本軍の国産軍用建機

第2次世界大戦中の日本軍が、アメリカ軍など連合軍ともっとも対照的だったのは何でしょうか。兵器の性能戦力差兵員の練度作戦? どれもある程度は正解ですが、戦争を行う上でもっとも差が付いた代表的なものに『建設機械の有無』があります。つまり日本軍はほとんど人力頼りだったと言われていますが、では建設機械が皆無だったかといえば、そうでもありません。







戦時中日本軍の土木工事といえば、基本は人力

第2次世界大戦中、太平洋戦線で数多くの島を占領し、そこからさらに攻め入るため、あるいは守るために多くの飛行場や道路、鉄道を建設した日本軍ですが、土木機械を数多く生産・販売している現在の日本から見れば驚くべきことに、その土木作業はほとんど人力でした。
もっとも、土木機械に限らず日本は機械化が大幅に遅れ、工場の工作機械すら戦前にアメリカなどから輸入したものでなければ所定の性能を出すのに苦労するという状況は戦後も長く続くのですが。

しかし連合軍が元々建設していた飛行場を占領するならともかく、何も無い未開の島を占領して飛行場を建設していった割には、そのための準備不足だったことは否めません。
そのため陸軍なら工兵、海軍なら設営隊などの兵隊や軍属(軍に雇用された民間人。現地民含む)、そして使役される捕虜がシャベルやツルハシをふるい、モッコで土を運んでといった人力作業が必要になります。

ところが、何しろ機械が無い、資源が無い、おまけに人的資源も限られるので、土木作業員として頑張れる頑健な肉体を持つ者であれば、そもそも兵隊に引っ張られている……というわけで、本来戦うべき戦闘部隊の兵士まで飛行場や道路の建設に駆り出されました

それに加えて戦闘部隊の兵士には陣地構築や警備、空襲があるなら対空戦闘、ゲリラや盗賊が出るならその討伐……その他もろもろ本来の任務もある中、休息する暇があるなら工事をやらされますから、戦わずしてもうヘロヘロになるわけです

戦前既に存在した建設機械

しかし、日本には全く土木建設の機械が無かったかといえば、そんなことはありません。
そもそも第2次世界大戦前から長く中国大陸で戦争していましたし、陸軍の仮想敵は満州へ侵入してくるソ連軍です。
攻撃ばかりしてもいられず塹壕は掘らねばなりませんし、それが効率的にできるなら事実上の戦力アップにもなるので、戦前から『戦争に役立つ建機』は研究されていました。

何しろ無限軌道(いわゆる『キャタピラ』)を使ったトラクター(牽引車)は19世紀には存在しましたし、日本でも明治時代末期に考案され、最初はマトモなエンジンが無かったので輸入メインでしたが1930年代には国産トラクターも登場しています。

Japanese armor surrendered to the Americans at Tianjin.JPG
By US Marines – http://www3.plala.or.jp/takihome/newfolder/gallery.htm, パブリック・ドメイン, Link

日本で軍用建機の始まりと言えるのは1931年に試作車が完成、1936年に『九六式装甲作業機』として正式採用前から配備の始まっていた装甲作業機で、八九式中戦車をベースにしています。
主目的はあくまで工兵用の攻撃兵器として路上障害物の排除やトーチカ破壊でしたが、他にもアレコレと付加機能がついた万能機械を目指しており、塹壕を掘るためのブルドーザーやショベルカー的な機能、クレーンを装備してクレーン車的な機能もありました。

ただ、それほど大きくない車体にまだまだ性能不足のエンジンで機能を詰め込みすぎたため、後にクレーン機能は『伐掃機』、塹壕掘削機能は『潜行掘壕機』など専用機が開発されています(もっとも、開発がうまくいったかは別ですが)。
ブルドーザーについても戦前にアメリカから輸入されて水力発電所建設工事に使われており、国内土木建設現場において機械化が無縁というわけではありませんでした。

しかし、いずれも数が少なすぎ、あるいは戦闘機、戦車、戦艦といった『決戦兵器』にばかり目が向けられることはあまり無かったのです。
これは何も日本軍の後進性を示すものではなく、単に「そんなものが必要になる前に戦争が終わるような戦略を立てないと国力が持たないので、とにかく攻撃的な兵器を第一に揃えるしかない」という、貧乏国にとっては仕方のない事情もありましたが。

そんな刹那的な計画しか立てられない時点で戦争などしなければいい、と言う話は今回の話題と関係無いので脇に置いておきます。

ウェーキ島で『発見』されたブルドーザー

中国大陸での陸戦用、あるいは国内の大規模土木工事用に導入が始まっていたとはいえ、その数はあまりにも少なすぎました。
結果、あるにはあるものの「工兵や工事関係者含め、ほとんど誰も土木機械の存在を知らない」ままで日本は第2次世界大戦に突入します。

1941年12月に真珠湾攻撃やマレー侵攻で始まった太平洋戦線は、その早期に占領したアメリカ領ウェーキ島の占領時に『それ』を発見しました。
日本海軍陸戦隊がこの島を占領した後、破壊されていた飛行場を補修するためアメリカ軍の捕虜を200人ばかり集めて作業を命じたところ「なんだ、そんなことは10人もありゃできる」と、捕虜がブルドーザーに乗り、さっさと飛行場を補修してしまったのです。

驚いたのは日本軍の方で、やたらとでかくて奇妙な形をした無限軌道のトラクターがあるとは思ったものの、それが非常に便利な土木機械とは思いも寄らなかったのでした。
しかも、ウェーキ島に限らず他の占領した場所でもブルドーザーは見つかり、「どうやら敵は飛行場や道路を作るのも直すのも容易だが、我が軍にはそんなものは無い!」という事実に初めて気づき、その意味を理解した者は事の重大さに青ざめました。

捕獲されたブルドーザーはすぐに内地(日本国内)に送られ、小松製作所(現在のコマツ)でG40型トラクターを改造して油圧式ドーザー(排土板)を装着した『小松1型均土機』が1943年から生産され、占領地にも送られます。
ただ、前線に大砲や戦車を送ろうにも輸送船が撃沈され、人間だけは救助して何とか届けるが後はどうにも、という事も多かった日本軍ですから、せっかくの国産ブルドーザーも威力を発揮したとは言い難いところです。

また、小松1型均土機は海軍用でしたが、陸軍でも同じように大小のトラクターや野戦用の牽引車を改造したブルドーザー『トイ車』『トロ車』『トヘ車』が作られています。
これらはマトモに役立ったものから、「ハタから見ていると地面の表面をガリガリ削るだけ」というものまで程度は様々だったようですが、その経験は戦後復興期に必要な建機開発に役立つことになりました。

ユニークな伐開機や、戦後なんとオーストラリアで使われていた小松1型均土機

Ho-k.JPG
By Imperial Japanese Army – http://www3.plala.or.jp/takihome/ho-k.htm, パブリック・ドメイン, Link

ちょっとユニークだったのは陸軍の『伐開機』で、チハ(九七式中戦車)をベースに油圧で上下する触角(ラム)を設け、それで樹木をなぎ払って進撃路を啓開する目的で開発されました。
この伐開機とセットになっていたのが、なぎ倒した樹木を撤去するクレーンを装備した『伐掃機』で、進撃路を作るということはすなわち道路を作ることですし、密林に飛行場を作るのにも役立ちそうです。

陸軍もそう思ったのか、本来は満州で対ソ戦用に使うため開発した本車を南方でも使うことに決め、ただでさえ戦車の生産量が少ない中から抽出して数代を生産、ニューギニア戦線のビアク島に送っています。
どの程度活躍したかは定かではありませんが、同島に侵攻した米軍に鹵獲された記録が残っているので、現地に届いたのは確かなようです。

また、海軍の『小松1型均土機』も少なくともフィリピンには届いたようで、同地で終戦時に米軍に接収、海中投棄されたはずの1台がなぜか生き残り、オーストラリアのシドニーに運ばれて整備の上、現地の農場で使われているのが戦後長くたってから判明しました。
つまり戦時中に作った国産建機が十分『実用』に耐えることをひっそりと証明し続けていたわけで、この『生き証人』たる小松1型均土機は1979年、35年ぶりに日本に帰還。

現在は日本機械学会の『機械遺産 第18号』に認定され、コマツテクノセンタ(静岡県伊豆市)に今でも展示されています。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。
撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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