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2018/08/13

菅野 直人

ミリタリー偉人伝「絶対特攻など邪道~日本海軍芙蓉部隊指揮官・美濃部正」

1944年10月から1945年8月まで日本の関わる戦場上空で吹き荒れた「カミカゼ」。神風特別攻撃隊は十死零生の体当たり攻撃として戦後は否定され続け、さらに『特攻拒否部隊』として海軍の芙蓉(ふよう)部隊やその指揮官、美濃部 正 少佐の名が有名ですが、その現実はもっと複雑だったようです。







我ら特攻せず、海軍芙蓉部隊

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By User Felix c – English Wikipedia [1], パブリック・ドメイン, Link

日本海軍第一三一航空隊『芙蓉(ふよう)部隊』。
高速艦上爆撃機『彗星』、それも戦争末期に稼働率重視で空冷エンジンを装備するようになったタイプではなく、整備が面倒でも液冷エンジン装備で高速性能に優れたタイプを配備し、零戦と共に運用した夜間攻撃隊です。
1944年10月のフィリピン戦初期に護衛空母など数隻を撃沈破して命中率が評価され、陸海軍航空隊と共に戦術の主力となっていた『神風特別攻撃隊(特攻隊)』を拒否した部隊として知られています。

実際、芙蓉部隊が主にその戦歴を重ねた沖縄戦で、陸海軍ともに米艦隊への攻撃に赴く搭乗員の練度は最悪、真っすぐ飛べるだけでも上等という部類であり、飛んでいくのもやっとなら帰って来ることなど期待できない状態。
とにかく『行って、敵を見つけて、そこに突っ込む』以上のことが求められない特攻隊頼みになるのは、戦争をやめるキッカケを見出せない中でも敵の進撃を食い止めるため、ある程度仕方なかったかもしれません。

しかしそのような中でも、芙蓉部隊は所属搭乗員を座学・飛行訓練ともにみっちり教育し、南九州の基地から沖縄までの夜間航法技術を叩きこみ、攻撃を実施して可能なら何度でも反復攻撃する『正当な戦術専門の夜間攻撃隊』でした。
そのため、指揮官の美濃部 正 少佐を中心とした『特攻拒否部隊』として美化されて伝わっていますが、事実は少しばかり異なります。

歴戦の水上機部隊指揮官、夜戦部隊へ

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パブリック・ドメイン, Link

美濃部(旧姓 太田)少佐は1915年愛知県生まれの海軍兵学校64期卒(1937年)。
日本が第2次世界大戦へ参戦(太平洋戦争)した時は南雲機動部隊随伴の軽巡洋艦『阿武隈』乗組の飛行分隊長で、九四式水上偵察機を駆って飛行任務についた後も、1944年初頭まで水上機部隊の指揮官でした。

しかし、陸上機部隊の損耗率が上昇し搭乗員(パイロットだけでなく、その他の乗員も含む)養成が追い付かない中、「水上機パイロットはまだ人材豊富なので、その技量で零戦など高性能陸上機による夜間攻撃を行えば効果は大きいはず」と、夜間攻撃隊創設を提唱します。

その頃、陸海軍から陸上爆撃機『銀河』、四式重爆撃機『飛龍』、艦上爆撃機『彗星』など高性能機に電波高度計を装着、夜間雷爆撃戦法を主体とする『T攻撃部隊』が編成されていますが、台湾沖航空戦(1944年10月12~16日)でこの部隊はマトモな戦果を挙げられず壊滅しました。

それでも、少数機の零戦や夜間戦闘機『月光』による奇襲攻撃ならば成功するかもしれないと、美濃部は新たに零戦を中心に編成された戦闘機隊の指揮官となります。

自ら発した『特攻命令』と、『不条理な特攻命令への拒否』

美濃部は零戦隊指揮官になったとはいえ、その初期には上級司令部から理解を得られず解任されたり、理解を得られた部隊で夜間攻撃部隊を繰り出しても空振りに終わったりと、なかなか成果を上げられない日々を送ります。

フィリピン戦では夜間にアメリカ軍の魚雷艇制圧で多号作戦(レイテ島オルモック湾輸送作戦)を支援し、その頃に特攻隊を初出撃させた大西瀧治郎中将から特攻作戦を打診されますが、「特攻以外で優れた方法があるのだから、それに全力を尽くすべき」と断りました。

ここで重要なのは、美濃部は『特攻』に対し、『拒否』も『否定』もしていないことで、単に特攻では目的を達成できないと戦術上の理由で別な提案をしているだけ、ということです。
そしてこれを受けた大西も「それなら任せる」と特攻を押し付けてもおらず、『特攻を押し付ける血も涙も無い上級指揮官』も、『頑として特攻を拒否する現場指揮官』も存在せず、単に合理的思考と論理的帰結があるのみでした。

実際、芙蓉部隊指揮官となってからの美濃部は、硫黄島戦(1945年2月19日~3月26日)において、芙蓉部隊に自ら特攻出撃を命じています。
結局、硫黄島沖の米機動部隊に対する特攻攻撃は攻撃隊が敵を見つけられず失敗に終わりましたが、状況から察するに敵位置が判然としない中、少数での『索敵攻撃』であり、敵を見つけたら飛行甲板に突入して『ノロシ』を上げさせ、後続部隊への目印とする以外に無かったのが、特攻命令の理由だったようです。

『何が何でも絶対特攻』への否定

時は若干前後しますが、美濃部がフィリピン戦で指揮をとっていた戦闘901飛行隊は戦力補充のため1944年12月に本土へ帰還、そこでこれまでの主張が認められて3個夜間戦闘機隊を束ねる海軍第一三一飛行隊『芙蓉部隊』飛行長(実質的には指揮官)となります。

そこで前述の硫黄島戦と特攻出撃があったものの、その後で芙蓉部隊が特攻隊に組み込まれるらしい、という噂が立つと、部下を集めて「お前らを特攻で絶対に殺さん」と約束しました。
特攻してこいと言ったり、特攻に絶対出さないと言う事がコロコロ変わる指揮官に思えますが、その真意はと言えば『特攻自体が目的のような作戦は断固拒否』だったようです。

1945年2月下旬に木更津で開かれた上級司令部(第3航空艦隊)の会議では、『特攻なら練習機も含め出撃させられる戦力が増えるのだから、今後は特攻を主体とする』という方針が大勢でした。
これに対し、文献や資料によって表現や相手は異なるものの、美濃部は概ね「そのままでは死に値する目的と意義が無いので、ベテランは夜間攻撃、若手はみっちり訓練を。」と主張しています。

中には「練習機で突っ込めというなら参謀たちが乗っていってご覧なさい、私が零戦1機で全て叩き落してやります」と豪語したようなエピソードも残っていますが、考えてみれば水上機の中でも偵察と爆撃が主任務の三座水偵出身の美濃部が語るには妙な話です。
そしてこのような主張は陸海軍ともに美濃部だけに限った話では無いようで、最初から特攻前提では無い(ただしいざ帰還は無理となれば体当たりする)通常攻撃は、その後終戦まで多くの部隊で継続されています。

もちろん特攻隊も数多く出撃しましたが、「命令とあらば仕方ないが、それまでは正攻法とそのための訓練」という常識は日本でもまだ通用しましたし、上級司令部も全て特攻機で攻撃隊を編成するようなことはありませんでした。

本土決戦、芙蓉部隊特攻出撃せよ

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By photographer is unknown – 秦郁彦 (1982年) 太平洋戦争航空史話(下)、中公文庫, パブリック・ドメイン, Link

それではなぜ芙蓉部隊と美濃部だけが特別にクローズアップされるのか?
それは『夜間攻撃』という、科学技術が発達した現在においても高等技術とされる攻撃法、ましてや当時としては特殊技術とさえ言える攻撃方法を採用した専門部隊だったことが大きく影響していると思います。

夜間攻撃は特攻にせよ通常攻撃にせよ『昼間できれば夜も何とかなる』ものではなく、真っ暗闇の中で敵までたどり着くどころか、離陸後真っすぐ飛ぶのさえ困難。
だからといって昼間だけ攻撃していればいいわけでなく、夜間も絶えず攻撃をかけるなら夜間攻撃専門部隊は不可欠であり、搭乗員養成にも熱心な芙蓉部隊は有力な戦力とされていたようです。

もっとも、美濃部が効果を疑問視したような練習機による夜間奇襲特攻が実際に沖縄戦で戦果を挙げる中、沖縄で占領された飛行場などを狙う芙蓉部隊の戦果は少なく不明瞭で、かつ敵夜間戦闘機により未帰還機も多数に上りました。
それでも沖縄戦終了(1945年6月23日)以降も、九州・沖縄地方の航空戦を指揮する海軍第5航空艦隊の下で、終戦まで芙蓉部隊は細々ながら攻撃を続けます。

いよいよ1945年秋には連合軍が九州南部へ上陸作戦を行うだろう、と本土決戦準備が叫ばれる中、美濃部は敵が来寇すれば自ら操縦桿を握って最後の特攻出撃を行い、乗る機体の無い残留搭乗員と整備員など地上隊は住民もろとも上陸部隊を迎え撃ち玉砕する計画を立てました。

最後の時までは命令通り通常攻撃なり特攻攻撃を行い、もはや他に為すすべの無い時が来れば空と陸の全員特攻で最後を飾る、これが『特攻拒否部隊とその指揮官』芙蓉部隊と美濃部の現実であり、他の多くの日本軍部隊もほとんど同じだったと言えます。

ただ、『夜間奇襲専門部隊』というコンセプトに活路を見出したがゆえ、最後まで特攻出撃命令を免れた事が、芙蓉部隊を美濃部の名を戦史に深く刻み込む結果となりました。
あるいは、戦争末期の日本軍は『全軍特攻』を打ち出したわけでもなく、現在まで深く印象付けられているほど非常識な組織では無かったのかもしれません。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。
撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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