- コラム
1945年7月のリメンバー・パールハーバー、呉軍港空襲で再起不能となった軍艦5選
2017/07/17
菅野 直人
すごいー! たーのしー!
2018/07/25
菅野 直人
後の日中戦争、そして太平洋戦争で猛威を振るった日本の航空戦力ですが、第1次世界大戦でも既に歴史に残る戦いに参加していました。それが陸海軍航空隊も参加して行われた1914年の青島(チンタオ)戦役。日本で飛行機が飛んでわずか4年、驚くべき短期間で軍用機の実戦投入が実現していたわけですが、対するドイツ軍にもルンブラー・タウベというライバルがいました。
1914年(大正3年)7月に始まった第1次世界大戦は急速に全世界へ戦域を拡大、日本も当時まだ有効だった日英同盟に基づき同年8月にドイツへ宣戦布告しました。
とはいえ、主戦場はヨーロッパであり、遠く離れた日本がすぐ戦争に関与する手段は限られます。
まずは太平洋にまで出没しかねないドイツの仮装巡洋艦に対する通商破壊戦への対処や、ドイツ東洋艦隊および、その基地だった中国山東省の青島(チンタオ)制圧、そしてドイツ領だった南洋諸島の攻略です。
後に地中海に遠征艦隊を派遣して船団護衛にも参加しますが、まずは南洋諸島の占領と、青島の占領によるアジア太平洋地域からのドイツ勢力排除が第一目標でした。
こうして同年10月、日本海軍第2艦隊およびイギリス海軍の小艦隊の援護を受けた日本陸軍第18師団およびイギリス陸軍の一部を含めた攻略部隊が、青島に殺到したのです。
ただし、要塞を築いていたドイツ軍に対し、日露戦争での戦訓を得ていた日本陸軍は無理押しせず、新型攻城砲など数々の新兵器で着実に攻めていったのでした。
そしてその新兵器の中には、第1次世界大戦で兵器としての有用性が認めたれた結果、急速に発展していく「飛行機」が既に含まれていたのです。
By Japanese Navy – [1], パブリック・ドメイン, Link
日本で初めて飛行機が動力飛行を行ったのが1910年(明治43年)、陸軍の日野熊蔵大尉と徳川好敏大尉によるものでした。
ただし、その後の航空史では砲兵観測のため従来から気球を重視していた陸軍と、海上偵察兵器として飛行機に期待していた海軍では方針が異なり、陸軍の飛行隊がなかなか編成されない一方、海軍は1912年に最初の飛行隊を編成。
翌1913年には輸送艦を改造した日本初の水上機母艦『若宮』を就役させていました(※なお、車輪を持つ艦載機が登場するまで、水上機母艦も「航空母艦」つまり空母と呼ばれていました。)
まだカタパルトも無い時代、デリック(クレーン)で格納所から水面に下ろした水上機4機を発着できる程度でしたが、第1次世界大戦前には既に洋上航空兵力を配備していた日本海軍は、まごうことなき先進的な軍備だったと言えます。
当然、青島攻略戦にも『若宮』とその航空隊が投入されましたが、陸軍もそれに負けじと臨時航空隊を編成。
まだ国産機などろくに無かった時代なので陸海軍とも全て輸入機で、陸軍がモーリス・ファルマン複葉機4機、ニューポール単葉機1機。海軍がモーリス・ファルマン複葉水上機4機の、計9機が、青島攻略戦での日本陸海軍航空隊の全てでした。
これに対し、青島要塞に篭るドイツ軍にも、航空戦力は皆無ではありませんでした。
たった1機、それも後世の視点から見れば洗練されているとは言えない形の単葉機でしたが、1914年当時としてはまごうことなき高性能機だった、ルンプラー・タウベです。
何しろたった1機ですから戦力としては大したことは無く、特に爆弾を落としたり機銃掃射をかけるわけでは無かったものの、偵察機としては大活躍し、日本軍やイギリス軍の兵力配置を確認しては報告されるので、侵攻部隊にとってはこうるさい存在でした。
一応、日本軍の方でも飛行隊を持ち込むくらいでしたからそのような展開は予期しており、野砲を改造して仰角を上げ、対空射撃を可能とした急造高射砲を配備しています。
その砲身がタウベに向かい、勇んでドカン! ドカン! と撃ちだし、時限信管を炸裂させるものの、何しろ見方にすらろくに飛行機の無い時代、対空射撃の訓練などほとんどしたこともありませんから、マトモに狙いがつくはずもありません。
それどころか、炸裂した高射砲弾の破片が降り注ぐ地上部隊からクレームが出て、日本初の対空射撃はあえなく中止となってしまいました。
さりとてタウベを放置しておくわけにもいかないわけで…目には目を。陸海軍の航空隊に「タウベ撃墜指令」が下されたのです。
当時展開していた日本陸海軍航空隊の役目は、タウベよりもう少し積極的でした。
空中偵察がメインなのはもちろんですが、海軍の8cm高角砲弾などを改造した航空爆弾を抱えて爆撃も行っており、特に『若宮』航空隊などは「史上初めて、母艦からの作戦で空爆に成功した」という、世界海軍航空史上に残る活躍をしていたのです。
陸軍航空隊も負けじと爆弾投下などをしていましたが、これらの航空隊にタウベ撃墜命令が下ったのです。
陸海軍とも、主に運用していたファルマン複葉機は後ろにプロペラがある推進式飛行機で、胴体前部に機関銃くらいは搭載できます。
しからば、うまいタイミングで飛び立てばタウベを捕捉、撃墜できるのではないか……。
待ち受ける陸海軍航空隊の上空へついにタウベが飛来、各飛行隊へ一斉に出撃命令が下されました。
当時の低馬力エンジンでようやく浮ける……という塩梅の陸海ファルマン機は、離陸 / 離水すると、ゆるやかな上昇角をとってタウベの高度にノソノソと上昇していきますが、その上空を軽やかに飛び去るタウベ。
これを下から見ていたある士官は、顔を真っ赤にしながら怒鳴り散らしました。
「なんで真上に上昇しないんだ!」
なんでと言われても、垂直上昇性能を持つほどエンジン出力のある飛行機なんて、もっと後にならないと登場しません。
By Imperial Japanese Navy. – “Sabre et pinceau”, Christian Polak., パブリック・ドメイン, Link
まるで30年以上後のB-29迎撃戦のような話ですが、ともかくはるか上空に視認しつつもそれを上昇しながら追いかけるなどよいう芸当はファルマン複葉機の性能外で、「日本史上初の空戦」にすらなりませんでした。
もっとも、タウベの最高速約120km/hに対し、ファルマン複葉機は陸上機で95km/h、フロートつきの水上機ならそれ以下だったでしょうから、仮に同高度で待ち構えても振り切られるのは目に見えていましたが。
頭に来た日本軍は、日本でも民間で所有していたタウベを徴用して急ぎ青島に送りましたが、到着前に青島要塞は陥落、その前日にタウベは最後の連絡飛行で青島から飛び去った後でしたとさ。
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。
撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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