- コラム
アメリカが生んだ珍兵器『便器爆弾』!爆撃機から便器が降ってくる!?
2019/01/24
Gunfire
すごいー! たーのしー!
2018/07/11
菅野 直人
兵器が存在するところ、兵器メーカーあり。ロシアのAKのように本家メーカーを潰すほどコピーが出回れる兵器はともかく、手工業で作れないような兵器はメーカーの力量や体力が問われるところ。中にはそうした力量無しに身に余るビッグビジネスを手にしてしまい、悪評のまま消えていくメーカーもあるのでした……今回はその飛行機における代表格、アメリカのブリュースターについて。
ブリュースター・エアロノーティカル。
正確には『ブルースター』が発音としては正しいとも言いますが、三つ子の魂百までと申しまして、昔から呼んでいた『ブリュースター』で通させていただきます。
さて、1810年の創業当初から、馬車、続けて自動車のコーチビルダー(架装業者。昔の車には決まった量産ボディなんて無かった)としてそのクオリティの高さに定評のあったブリュースターですが、1920年代から航空機製造産業への進出を目論みました。
しかし1929年の世界大恐慌で業績が低迷する中、航空機部門はリストラの対象となり、ロッキードの副社長だった人物が買収、『ブリュースター・エアロノーティカル』(以下、『ブリュースター』)として独立。
当初は他社航空機の水上機用フロート(浮舟)や翼面など部品メーカーとして地力をつけますが、やがて1934年、アメリカ海軍の新型艦上爆撃機の開発要求に参加して試作発注を獲得し、1936年に試作1号機が初飛行、高い性能を示して『SBA』として採用されます。
しかしそこで早速壁にぶち当たり、前途多難というか悪い意味で実力の一端を見せつけたのがブリュースターの悪いところで、それまで部分品の製造しかしていなかった工場には、完成機用の組立ラインを設置する場所など無かったのです。
じゃあどうやってSBAの1号機を飛ばしたのかといえば、『職人の手作り』で、精魂込めて作った一品モノは確かに高性能でしたが、海軍からの30機の生産要求すらこなせそうにありません。
仕方なくフィラデルフィアの海軍航空機工廠に生産を委託し、メーカー変更でSBNと改称した新型艦上爆撃機は、2年後の1940年11月にとうとう量産1号機が納入……って、その頃にはヴォートSB2Uヴィンディケーターや、ダグラスSBDドーントレスの部隊配備が始まっています!
低翼単葉引込脚でクリーンな形態のSBA/SBNはそれでも性能的にSB2UやSBDに必ずしも劣るわけではありませんでしたが、量産1号機の後も本格的に生産が始まったのは1941年6月、30機全部の納入が終わったのは実に1942年3月。
もうSB2Uは退役を始め、SBDの後継カーチスSB2Cヘルダイバーの生産も始まっていたので、手遅れどころではありません。
こんな事態になったのは海軍航空機工廠に新たなラインを作るのに手間取ったからですが、それならいっそブリュースターを支援して新しい工場でも建てさせれば良かったようなものです。
そういう意味ではブリュースターだけの責任ではないのですが、ともあれそのスタートは暗雲どころではない、グダグダ劇の始まりに過ぎないのでした。
By U.S. Navy – U.S. Navy National Museum of Naval Aviation photo No. 1977.031.084.009 (this item is part of a photograph album assembled by Commander Joseph C. Clifton during his service in World War II); also U.S. Naval History and Heritage Command photo 80-G-16053., パブリック・ドメイン, Link
SBAが初飛行して高性能を示し、海軍かあお褒めの言葉をいただいていた頃、ブリュースターは第2作として海軍の新型艦上戦闘機コンペに参加。
ライバルは低翼単葉引込脚とはいえ空力的にリファインされておらずドンくさいセバスキーP-35の海軍航空機工廠で艦上機化したXFN-1と、当初複葉機(XF4F-1)を提出しようとしたら、海軍に「ちょっと空気読め」と言われて急遽単葉機に手直ししたグラマンのXF4F-2。
ドン臭いのと付け焼刃がライバルでしたからブリュースターのXF2A-1バッファローが採用され、速度性能や運動性能に若干ドン臭さは残ったものの、海軍は一応満足して新型主力艦上戦闘機として、66機もの発注を行ったのでした。
しかし30機のSBAを自社生産できなかったブリュースターが66機ものF2Aを作れるのか!?
答えは「四苦八苦しながら作っていた」で、基本的には自動車の車体工場でしたから、アレコレ不便があったのです。
まず根本的には工場が狭いので2階も使って、生産ラインが一度2階に上がって降りてくる、そして組み立てても出入り口が狭いので、一度バラさないと外に出せない……つまり、組み立てた時にアレが足りない、コレが余るだのが無いように確認するための組み立て。
子供のプラモの仮組みじゃあるまいし、その後25km離れた飛行場まで運んで初飛行させるためもう一度組み立てるという二度手間で、初期の零戦のように牛車でノソノソ運ばず、トラックでスイスイと運べるだけまだマシではありましたが。
当然生産は遅れに遅れ、1939年6月に量産1号機を納入後、半年間の納入実績はなんとわずか5機!
しかもその間に海軍はF2Aならより広範な任務ができるだろうと考え、1939年7月には爆弾搭載可能なF2A-2を43機、1941年1月には装甲など防弾装備を施し、燃料タンク容量も増加させたF2A-3を108機も発注しちゃいます。
何しろヨーロッパ情勢の雲行きが怪しくなった上に1939年には第2次世界大戦が勃発、1941年ともなると日本と戦争しそうな雰囲気にもなってきたしで、海軍はとにかく新型戦闘機が欲しかったのです。
それでもその頃にはブリュースターもだんだん慣れてきて、不便な生産ラインながら量産体制は一応整い……なわけもなく、さっぱり量産機が納入されない間に、グラマンが試作機を手直しして採用されたF4F-3の量産がさっさと始まってたのです。
結局、わずかばかり配備されたF2A-3を除けばほとんどがフィンランドなど「何でもいいから新型戦闘機が欲しい国」に回され、ベルギーやオランダが発注した輸出仕様B-339も納入が間に合わずイギリスが引き取って極東方面軍やオーストラリア / ニュージーランド空軍に配備。
そしてF2AもB-339も太平洋戦争の初戦で日本軍の零戦や隼に片端から叩き落とされて、「戦争初期のやられメカ代表」になったのでした。
ただし、フィンランドに回されたF2A-1、輸出名B-239のみは、アメリカ海軍などから要求で余計な装備が付く前の軽量で機動性の高い初期型だったことや、フィンランド空軍パイロットの技量もあって、ソ連空軍相手に冬戦争と継続戦争で大活躍。
『ブルーステル』、あるいはフィンランド語で空の真珠という意味の『タイバーン・ヘルミ』と呼ばれ、メッサーシュミットBf109Gがドイツから供与されるまで、世界でも希な『ブリュースター無双』を成し遂げたのでした。
まあフィンランド空軍なら何に乗っても大活躍したかもしれませんが。
By USN – scan from Robert L. Lawson (ed.): The History of US Naval Air Power. The Military Press, New York (USA), 1985. ISBN 0-517-414813, p. 75. US Navy cited as source., パブリック・ドメイン, Link
いい加減生産体制のグダグダさにアメリカ海軍が気づくのはいつの日か、1939年にはXSB2Aバッカニアを作り、またもや海軍が性能優秀と採用してしまいます。
そう、前作SBA/SBNの量産1号機がまだ納入もされていない時期なのに、アメリカ海軍当局には学習能力が無いのでしょうか。
しかしSBAといいSB2Aといい、ブリュースターは『とにかく試作機を作るのがウマイ』メーカーなものですから、海軍の飛行審査ではライバルに勝ってしまうのです。
しかも当時、第2次世界大戦初期にドイツ空軍の急降下爆撃機ユンカースJu87スツーカが活躍したものですから、急降下爆撃機はちょっとしたブームでした。
そのためアメリカ海軍だけでなく陸軍航空隊、イギリス空軍と海軍航空隊、オースロラリアやオランダからも発注がマイコミ、実にその数たるや1,000機を超え2,000機に達する勢いです。
しかし、各国軍とも冷静になってくると、まずアメリカ陸軍が抜け、オーストラリア空軍も取りやめ、イギリス海軍とカナダ空軍は評価用のみで採用せず、オランダは納入前に降伏。
結局アメリカ海軍とイギリス空軍のみは、他国オーダー分を引き取ったり、もはやいつになったら納入されるかわからない分をキャンセルしたりと、結局作るだけは1,000機以上作りましたが引き渡されたのは771機のみ。
引き渡された多くも訓練や標的曳航にちょっと使っただけでほとんどは倉庫へ直行し、これだけ作っておきながら実戦にはただの一度も参戦しませんでした。
それというのも、グダグダの生産ラインをどうにかしようと新工場を建設してみたら、それがまたドン臭い遅さで、SB2Aバッカニアの量産がようやく始まったのはイギリス空軍向けが1942年6月、アメリカ海兵隊向けが1943年8月。
もうその頃には性能が陳腐化して、「もっと性能のいい新型機があるからいらん」となるのは当然でした。
おまけに試作機の出来こそ良かったものの、実戦装備の追加で重量増加に性能低下、量産段階で品質低下といい事無く、おまけに戦争中なのによほど待遇が悪かったのか労働争議が多発して頻繁にストライキがおこる有様。
ブリュースターは航空機メーカーというより、そもそも企業としてロクなものじゃなかったようです。
By http://www.nationalmuseum.af.mil/shared/media/photodb/photos/051122-F-1234P-031.jpg, パブリック・ドメイン, Link
何かと海軍機ばかりのイメージなブリュースターが唯一手がけた陸軍機が試作攻撃機XA-32で、大馬力エンジンと8丁もの12.7mm機関銃、最大3,000ポンド(1,360kg)の爆弾その他が搭載できる……単発単座重攻撃機でした。
何か企画段階で、『戦闘機に爆弾積んだ戦闘爆撃機で間に合うんじゃないの?』と言いたくなる代物でしたが、それ以前の問題として1941年に受注した試作機の製作速度も性能も散々なものだったのです。
ブリュースターといえば試作機を作るだけなら職人技でウマイこと名機を作り、軍の審査を通してしまうのが得意技でしたが、戦時中の急ぐ時に試作機を初飛行させるまで2年もかかった上に、要求性能に程遠い劣悪な性能しか出ない有様。
どうも労働争議か引き抜きか何か、『試作機職人』に重大な問題が生じたようで、試作機で問題発覚したおかげで量産発注までしなかったのが幸い?と思える飛行機でした。
By U.S. Navy – U.S. Navy National Museum of Naval Aviation photo No. 1996.253.7163.015, パブリック・ドメイン, Link
もちろん、ブリュースターの主要取引先だったアメリカ海軍も、全くの無為無策だったわけがありません。
曲がりなりにも、それなりにマトモな性能を持つ新型軍用機、それも海軍機を開発できるブリュースターは貴重な存在でしたから、1940年には経営に介入して社長を追い出し、海軍から新社長を派遣します。
しかし第2次世界大戦にアメリカが参戦すると、その新社長を呼び戻して元社長を復帰させるのもその元社長が会社の金を使い込んだか何かで会社にいられなくなり、ついに海軍はルーズベルト大統領から命令を出してもらって、ブリュースターを接収しました。
そこでブリュースターは、SB2Aと並行してヴォート社の新型戦闘機F4UコルセアをブリュースターF3Aとして生産させることにします。
コルセアは航空機部門も持っているタイヤメーカー、グッドイヤーでもFGとして生産していたので、ブリュースターでもこれならたやすいだろうと思ったようですが、ブリュースターの落ちこぼれぶりは筋金入りです。
工員が頻繁にストライキを起こすわ、発注ミスなのか部品は揃わないわで生産はまたもや大遅延、しかも品質不良で飛ばしてみれば空中分解という代物で、戦闘機としては高速で頑丈な名機のはずなのに、ブリュースター製に限り『戦闘用に適さず』と烙印を押されます。
とにかくダメ企業のダメ工場、工員の教育はできないし賃金もまともに支払われない、経営陣は会社の金を使い込むという超絶ブラック企業でしたから、もはや航空機メーカーとしてどうこう以前に存在が許されない企業としか言いようがありません。
ついにサジを投げたアメリカ海軍当局は1944年7月にブリュースターを再生不可能として潰すことを決め、10月には廃業が正式決定しました。
皮肉にもその頃ようやくF3Aの生産ペースは本格的になり、マトモな機体をマトモなスピードで生産できるようになりましたが、戦争に先が見えている状況では時既に遅し。
受注残をこなすため工場は細々と操業を続けましたが、1945年8月に日本との戦争が終わると同時に閉鎖され、航空機メーカーのブリュースターはこの世から消え去ったのでした。
あ、今でも本社ビルはある航空会社の本社として、構造などもショッピングセンターとして現存はしているそうです。
ちなみに本社ビルを使ってるのは格安航空会社の『ジェットブルー』ですが、もちろんブリュースター(ブルースター)とは関係ありません。
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。
撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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