- コラム
ミリタリー偉人伝「コマンドー・ケリー」ケリー伍長の多忙な1日
2018/05/28
菅野 直人
すごいー! たーのしー!
2018/07/9
菅野 直人
『伝説の軍人』『何か初期値の入力を間違えたチート』のような人物は漫画だから許されると思いがちですが、伝説は小説より奇なりという言葉を持ち出すまでも無く、実際にはもっと過激な人物がいます。今回ご紹介するのは、いったいいつから戦争してるんだ……と言いたくなるような軍歴と、数々の戦傷歴が勲章のようになりつつ、それでもなお戦争を愛する男の話です。
第2次世界大戦後の1947年、当時のビルマが首都としていたラングーン(現在は国名も都市名も変わってミャンマーのヤンゴン)で、ある男が階段から降りた拍子に滑って転び、背中などに大怪我をして昏倒、病院に運ばれました。
イギリス人だった彼は、最終的に本国に移送されて療養しますが、治療のため手術を担当した医師は、彼の体を切開してビックリ仰天します。
「なんてこった! なんだ、この破片の山は!?」
ちょっとした外科手術が、まるで爆弾テロから生き残った被害者の救命措置のごとき大手術になってしまった理由は、その男の過去50年近い軍歴と、戦争への情熱を説明せねばなりません。
男の名は、エイドリアン・カートン・デ・ウィアート、隻眼のブリテン戦士。
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第2次世界大戦で活躍した軍人と言えば初期の経歴は20世紀に入ってから、というケースが多いのですが、彼の場合は何と初陣が1899年、南アフリカでの第2次ボーア戦争と言いますから筋金入りです。
年齢制限があったのかまだ19歳にも関わらず25歳と偽ってまでイギリス軍に入隊した事情は不明ですが、わざわざ戦争が始まる時に入隊したのは愛国心か冒険心か?
しかし戦場に送られて早々、彼を待っていたのは敵弾による戦傷で、腹や股関節のあたりを負傷した彼は速やかに本国へ送還されたことで、息子が勝手に大学を中退して軍人になっていたのを知ったカートン・デ・ウィアートの父親(裁判官)は大激怒!
オックスフォードで勉強してると思ったら兵隊やってて、しかも戦争して帰ってきましたでは当たり前です。
しかしやってしまったものは仕方なし、今後も軍人として生きていくのを父に許された彼は再び南アフリカに趣き、少尉に任官しました。
とはいえ、初陣といきなりの負傷で『軍隊と戦争は甘いもんじゃない』と痛感したのか、運動とスポーツを通じて体づくりから始めます。
戦争してから始めてそれに気が付くあたり、やはり若気の至りだったのでしょうか。
しかも1907年にイギリス国籍を取得するまで実はベルギー国籍で、ベルギー貴族の父とアイルランド人の母のハーフが後の『不死身の隻眼ブリテン戦士』になるとは、まだこの時誰も予想していません。
1902年に第2次ボーア戦争が終わってからは、貴族のコネで社交界に顔を出し、ポロなど趣味の時間の合間をぬって将軍の副官をやっていたような塩梅で、第1次世界大戦までの10年ちょっとの平和な時間は、彼曰く自分の『全盛期』だったようです。
それだけなら、若い頃にちょっと冒険したけど、その後はコネを駆使して人生を謳歌したキザな貴族士官に過ぎなかったのですが、1914年に始まった第1次世界大戦がカートン・デ・ウィアートを変えていきます。
その時かれは既に34歳と、士官としてはともかく兵士としての全盛期を過ぎていたように思えましたが、内戦が起きていたイギリス領ソマリランド(現在のソマリランド共和国)に派遣されて早速、顔に被弾して左目と耳の一部を失う重症を負います。
隻眼のブリテン戦士、カートン・デ・ウィアートの誕生です。
復帰した彼は1915年から最初は歩兵大隊長として、次に旅団長としてヨーロッパの西部戦線に参戦しますが、指揮官先頭で突撃でも繰り返したのか、やたらと負傷してきます。
それもちょっとした傷では無いのに、死にそうになっては戦い続けては傷を増やしてくる有様。
ソンムで頭蓋骨と足首を、パッシェンデールで腰を、カンブレーで足を撃たれ、しまいには左手が吹き飛び、治療に当たった医師がサジを投げたら自らちぎれかけてブラブラしていた指を噛みちぎったというから、ただごとではありません。
それでも戦い続けた彼は、第1次世界大戦が終わった後で驚いたことに「戦争ってこんなに楽しいのに、なんでみんな平和になりたがるの?」という疑問を残しています。
ポロとパーティに興じる貴族士官はどこにいったのでしょう?
そんなカートン・デ・ウィアートに大英帝国も活躍の場を与えようとしたのか、ロシア革命後の赤軍やウクライナとも戦争状態にあったポーランドへ軍事顧問として派遣。
大隊や旅団を率いたわけではないのでさすがに負傷とは無縁と思いきや、飛行機事故でリトアニアに墜落しても生き延び、ワルシャワで赤軍に攻撃した時は拳銃を振りかざして戦い、戦争が終わってみると名誉少将の階級とポーランドから勲章と土地をもらって引退します。
「それからの15年は、もらった湿地で毎日狩猟をやったり楽しんだよ。」と後に述懐した彼ですが、1930年代も終わろうとする頃、こともあろうにその土地へ、というかポーランドへナチス・ドイツが攻めてきそうになりました。
ロンドンに脱出したカートン・デ・ウィアートはイギリス陸軍に復帰、少将としてノルウェー戦線で戦う師団長になりましたが、戦況不利でイギリス本土へ撤退した日に60歳の誕生日を迎えます。
その後は北アイルランド防衛の指揮官、ユーゴスラビア救援のための交渉団に任命された後、エジプトへ派遣の途上リビアで飛行機が墜落してイタリア軍の捕虜になりました。
「ワシャ、人生で2度墜落したけど3度目はあるのかな」
と言ったのは、カートン・デ・ウィアートではなくジョセフ・ジョースターでしたか?(ジョジョネタ)
その後2年ほど悪態をつきながら捕虜収容所で過ごし、7ヶ月もかけてトンネルを掘る、8日間も農夫に化けるなど5回にわたり脱走。
イタリア軍としては「今後戦争に関与しない」を条件に本国送還しようとしましたが、その通知が収容所に届いたまさにその時が脱走劇の真っ最中、などということもありました。
結局1943年8月になって、ムッソリーニを逮捕して連合軍への降伏を試みるイタリア政府からの特使としてイギリス本土への帰還を果たし、カートン・デ・ウィアートの最前線でのキャリアは終わります。
帰国後のカートン・デ・ウィアートは、63歳という高齢もあってそれ以上最前線での指揮をとることなく、チャーチルに請われて中国に派遣され、イギリスとの関係を強化するアドバイザーのような役割を果たすようになります。
彼は中華民国の蒋介石を信頼しており、共産党嫌いで毛沢東を重要視しないなど態度はハッキリしていて、(2度の飛行機墜落にも関わらず)中国本土とインドの間を飛び回る彼に、蒋介石も信頼を寄せていました。
第2次世界大戦が終結、名誉中将の階級とともに2度目の引退を前にしたカートン・デ・ウィアートに、蒋介石は中華民国でのポストを用意していたほどでしたが、既に66歳になっていた彼は帰国の道を選び、冒頭ラングーンでの転倒事故に遭遇したわけです。
体中に突き刺さっていた破片は第2次ボーア戦争や第1次世界大戦の際、至近で炸裂した榴散弾の破片であり、体のあちこちに傷を負い、吹き飛ばされた彼の体に勲章のように残っていたのでした。
もっとも、これが彼の『武勇伝』の最後で、その余生を静かに過ごして後、1963年5月、83歳で静かにこの世を去ります。
軍艦や通りに名前をつけられるほどの名士ではありませんでしたが、『まるで海賊のようなアイパッチをつけた不死身の隻眼ブリテン戦士』は、今後も伝説の軍人として記憶に残り続けるでしょう。
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。
撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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