- コラム
ミリタリー偉人伝「コマンドー・ケリー」ケリー伍長の多忙な1日
2018/05/28
菅野 直人
すごいー! たーのしー!
2018/07/6
菅野 直人
第2次世界大戦でアメリカ軍が往くところ、特に戦争末期に必ずいたのがM4シャーマン中戦車です。太平洋戦線では日本軍に対して圧倒的な力を示し、逆にヨーロッパ戦線ではドイツ軍の戦車に対し力不足ではあったものの、数と機動力で巻き返しました。そのため『第2次世界大戦中のアメリカ戦車と言えば、中戦車のM4シャーマン』というイメージがありますが、それより強力な重戦車も実はあったのです。
By United States, Office for Emergency Management. – This image is available from the United States Library of Congress‘s Prints and Photographs division under the digital ID fsa.8b01660.
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『パットン大戦車軍団』なんて映画があるくらいですから、他のあらゆる兵器と同様に戦車も物量で叩き込み勝利したイメージのあるアメリカ軍ですが、実のところ第2次世界大戦前には機構戦力の予算が取れずに四苦八苦していました。
後に拡大発展してM4シャーマンとなる軽戦車や中戦車は開発されていたものの、火力や防御力は十分と言えず、そもそもどんな戦車をどう使うべきかという知見すら十分ではなく、実戦経験も無かったので完全な戦車後進国だったのです。
それでも第2次世界大戦が始まるとドイツの電撃戦(戦車の機動力を生かした高速進撃)に影響され、戦車開発を加速させていきました。
試行錯誤の末に1941年から1942年にかけて数種の試作車が完成したT1重戦車は、手法に超砲身3インチ(76.2mm)砲、同軸副砲として37mm砲、その他数丁の機関銃を搭載し、6人の乗員を要する50t級戦車。
1942年にM6 / M6A1として採用、非公式にM6A2と呼ばれたもう1つのモデルを加えて細部の若干異なる3種のM6重戦車シリーズがアメリカ陸軍に加わりました。
しかし、当初こそM3中戦車やM4中戦車の75mm砲より長砲身で強力な主砲(後にM4にも採用)と分厚い装甲が頼りになると思われましたが、あまりに大きすぎて敵に見つかりやすく、さらに輸送も容易では無いので、トータルの戦力向上には結びつかないとみられてしまいます。
要するに、少数のM6重戦車で強力な『点』を得るより、多少能力は劣っても大量のM4中戦車で『面』を確保した方が良い、という考え方です。
実際、ドイツ戦車と対峙するのに数が同等では圧倒するのに火力不足で、数で劣り囲まれるには防御力不足、ならばM4で敵をそうした立場に追い込んだ方がいい、というのは確かに理にかなっていました。
結局、シリーズ合計40両のみ生産されたM6重戦車シリーズは実戦投入されず、新たな重戦車の開発テストベッドとなったり、戦時国債購入キャンペーンのための自動車を轢き潰すといったデモンストレーションを任務とします。
敵と戦うならともかく、味方に『頼もしいアメリカ軍』を見せるためのプロパガンダ用としてなら、その巨体は大いに役立ちました。
By Josh Hallett – Flickr: Tanks at the USS Alabama – Mobile, AL, CC 表示-継承 2.0, Link
さて、『M4中戦車がたくさんあればM6重戦車はいらないや』という結論に達したアメリカ軍でしたが、実際に北アフリカやイタリア戦線でドイツ軍と交戦してみると、75mm砲装備のM4ではティーガーI重戦車が出てくると全く太刀打ちできないことが判明しました。
76.2mm砲搭載型なら十分対抗できるだろう、いやいや実際には大げさな話で75mmのシャーマンで十分だ、などと楽観的だったのは後方で地図を広げて会議をしているお偉方将軍だけで、師団長以下の前線指揮官にとってはたまったものでは無かったのです。
それでもお役所仕事(そう、軍も国の役所には変わらない)はアメリカでも同様で、誤りを認めない当局は、『一応開発していた』T20試作重戦車の主砲を強力な90mm戦車砲に換装したT26E1試作重戦車の実戦投入案を拒否しました。
何しろM4が役立たずとわかれば生産、輸送、配備、補給といった計画を見直さねばならず、強大な工業力と経済力を誇るがゆえに、一度動き始めると修正が容易では無いのですから、一応それはそれで理にかなっています。
しかし、ノルマンディー上陸作戦後にフランスでドイツ軍装甲師団と正面切って戦ってみると、新型重戦車ティーガーIIに歯が立たないのはもちろん、新型中戦車パンターにすら対抗できず、大損害を出してようやく、M4へ深刻な疑問が持たれました。
現地で鹵獲したパンターを76.2mm砲で射撃してみたところ、正面装甲にはドアノッカー(叩くだけで貫通できない)なことが判明し、ヨーロッパ方面連合軍総司令官のアイゼンハワーは大激怒します。
さらにはそれがマスコミにリークされて世論からの突き上げをくらうと、ついに当局もM4の性能不足を認めざるを得なくなり、ついに評価試験中のT26E1の一部をヨーロッパに送ることがきまりました。
緊急輸送されるとともにM26重戦車パーシングとして制式採用され、1945年2月から戦闘に参加しましたが、その頃には空からの攻撃でドイツ軍装甲師団はあらかた壊滅しており、M26は『苦労して勝つのが決まってからようやく届いた新兵器』になってしまったのです。
その後は太平洋戦線にも送られましたが沖縄戦終結には間に合わず、本土決戦準備中に終戦となったため、M26が本格的に活躍するのは1950年の朝鮮戦争を待たねばなりませんでした。
ただしその頃にはより巨大なM103重戦車が登場、M26は中戦車に類別変更されています。
By 不明 – 不明, パブリック・ドメイン, Link
M26原型のT20と同じ頃、試作重戦車はいくつか並行して開発されており、そのひとつがT28でした。
特徴的だったのは、ドイツ軍の重戦車や高射砲に使われる88mm砲にも耐えられる超重装甲の車体前面に105mm戦車砲を装備し、旋回砲塔を持たなかったことで、これはドイツ軍やソ連軍の突撃砲や駆逐戦車で多用されたスタイルです。
超重装甲のため車重は実に86tに達し、それでも走行性能を確保するため幅の広い履帯(キャタピラ)を使うと鉄道輸送に支障が出るので、輸送時は外側を取り外せる二重履帯。
しかもエンジンパワーに対して重すぎるので最高速度は路上で19.3km/h、路外で13km/hに過ぎず、障害物を乗り越えるのも困難なら工兵の機材でT28が通行可能な橋を架橋するのも不可能だったため、いったいどこでどう使ったものか頭を抱える代物でした。
仮に使うとしたら、苦労して輸送した上で工兵がしっかり作りこんだ陣地に入り、いざとなれば動くことも『できなくはない』移動トーチカとしてしか使えません。
しかも連合軍はドイツへ攻め込む方でしたから使い道は皆無で、一応性能試験を受けただけで、実戦テストも何も行われませんでした。
なお、戦車らしからぬ実態ゆえか一時期T95試作戦車駆逐車と類別変更されましたが、すぐにT28試作重戦車へと戻されて、兵器行政に若干の混乱をもたらしています。
By User:Fat yankey – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 2.5, Link
どちらかといえば『珍兵器』だったT28と並行してマトモな戦車も作っており、M26の試作車T26E3の車体を延長して重装甲化、M6重戦車に搭載してテストしていた、105mm砲搭載の新型砲塔を載せたT29重戦車が1944年に開発されています。
火力・装甲ともにティーガーIIを圧倒する性能を持ち、ヨーロッパ戦線でドイツ降伏後は日本本土決戦用の調達が見込まれましたが、これも日本の降伏で実現せずに終わりました。
なお、戦後に完成した120mm砲搭載の発展型T34重戦車(ソ連のT34戦車とは別)が、実戦配備まで至ったM103重戦車の開発テストベッドになっています。
By 不明 – R.P.Hunnicutt. Firepower: A History of the American Heavy Tank. — Presidio Press, 1988. ISBN 0-89141-304-9, パブリック・ドメイン, Link
150mm級戦車砲の搭載が考慮された第2次世界大戦型戦車といえば、結局完成しなかったドイツ軍の試作超重戦車E-100が有名ですが、アメリカ軍でもT29をベースに155mm戦車砲を搭載したT30重戦車を作りました。
ただ、戦車砲というのは闇雲に大きくすれば良いというものではなく、あまり弾が大きすぎると重くて人力装填が困難ですし、弾頭と発射用の装薬を分離しなければいけないので、装填に手間がかかって結局は射撃速度が落ちます。
T30では装填作業の一部を機力化してはいましたが、そこまでするより貫徹力の高い高初速砲や新型砲弾を開発した方がマシで、結局戦車砲はどの国でも120~125mm級が最大で収まったまま21世紀に至っているほどです。
ですから終戦間際に開発開始、1947年にようやく完成したT30が対ソ戦用に制式化されることなどもちろん無かったものの、砲ではなく砲塔自体が上下して砲に俯仰角を与える『揺動式砲塔』へ歓送したT58にまで発展しただけで終わっています。
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。
撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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