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2018/06/13

菅野 直人

古代の重戦車?自走突撃砲?ベトナム戦争でも使用されたと言われる「戦象」とは

日本では動物園にでも行かない限り、そうそう見ることはありえない象。長い鼻を振りかざす姿を見てから自衛隊の総合火力演習など見に行くと、戦車や自走榴弾砲が象に見えて来るかもしれません。しかし象はかつて騎兵の軍馬のごとく戦場で大活躍した時期がありました。その『戦象』の歴史は古く、そして意外なことに近代まで使われています。







紀元前から使われていた軍用象

Pertempuran Hydaspes.jpg
By The_phalanx_attacking_the_centre_in_the_battle_of_the_Hydaspes_by_Andre_Castaigne_(1898-1899).jpg: André Castaigne
derivative work: Alagos (talk) – The_phalanx_attacking_the_centre_in_the_battle_of_the_Hydaspes_by_Andre_Castaigne_(1898-1899).jpg, パブリック・ドメイン, Link

象を軍用に使いだしたのは紀元前の昔からで、インダス文明が栄えていた時代のインドだと言われており、紀元前4世紀頃には既に古代インドで実戦に象が使われていた記録が残されています

もちろん、象以外でも馬や牛などを軍用に使った例は数多く、さらに鳥でも鳩など通信用に使われて、現在の鳩レースにその名残を留める例も
さらに後には、犬に爆薬を背負わせて対戦車用に使おうとしたり(慣れている自軍の戦車に突撃して失敗したそうですが)、猫をスパイ戦に使おうとしたり(放した直後に車に轢かれたとも)、イルカのように海洋生物を使って機雷戦を行う研究など、さまざま。

であれば、力持ちの象を軍用で役立つと考えるのは、ごく自然な話で、輸送だけでなくその巨体を使った使用法はいくらでも考えられます。
一般的には馬に乗って突撃する光景が思いつく『騎兵』のようにスピード感は無いかもしれませんが、実際に戦象はどう使われたのでしょうか。

古代帝国で大量運用され、戦局逆転の切り札にも

古代インドで登場した戦象ですが、その巨体で敵を踏みつぶす、鼻で敵を投げ飛ばしたり弾き飛ばしたりと、馬よりもっと直接的な使われ方をしたようです。

動物園で見るような温厚な象が、そんなことを……と思うかもしれませんが、興奮剤を飲ませたり食事を抜いてストレスをかけたり、凶暴にさせるようあの手この手を使いました
さらに、象は母系社会で雌象を見かけると他の雌象も駆け寄って仲良くしてしまう傾向があるらしく、雄で無ければならないという制約があったと言われます。

まだ戦象に対する明確な対処法が見つかるまでは雄象の大量戦象化に成功した軍隊は精強で、その名声を聞いたペルシャ(現在のイラン)など中東諸国でも、象使いごと戦象を導入されました。

ヨーロッパで戦象と最初に戦ったのは全盛期のギリシャやマケドニアで、普通の歩兵に対しては圧倒的な防御力を発揮した、盾と槍を持った重装歩兵による密集陣形『ファランクス』が、巨大な戦象に為すすべなく蹴散らされることもあったと言われます。

ただし、戦象もやはり生き物であり、攻撃されれば傷もつきますし、痛ければ暴れますから、対する側もやがて足や鼻を集中して攻撃し、遠くからは弓で戦象の上の象使いや兵士を狙いました。

攻めてきた戦象の前に釘のついた板を置き、それを踏んだ象が暴れて戦象を運用している側が大混乱に陥る、包囲して逃げ場を無くした上で長い槍で傷つけ、味方の陣の中で暴れて被害を拡大させるなど対抗策が確立されると、戦象は次第に戦術価値を無くしていきます。

体格差から「重戦車」のインドゾウと「軽戦車」のアフリカゾウ

とはいえ、『象など見たことも聞いたことも無い』という軍勢に対峙する時には戦象は相変わらず有効でした。

象徴的だったのがカルタゴ(現在のチュニジアやスペイン南部)の将軍ハンニバルによる『戦象のアルプス超え』です。

スペインから50頭の戦象を連れて出撃し、アルプス山脈を超えて北イタリアに攻め込んだ時には8頭しか生き残っていなかったそうですが、それを見たローマ帝国側の兵士は、初めて見る象に最初はとにかく驚きました。
もっとも、すぐに象への対抗手段を思いつき、短期間で7頭の象が倒されてしまったそうですが。

このあたり、『戦車を初めて見た歩兵中心の軍隊』が、対戦車兵器を開発して実戦投入するまで為す術が無いのと似たようなものです。

そのためギリシャなど南ヨーロッパ、カルタゴやエジプトなど北アフリカでも戦象は導入されてローマ帝国と戦いましたが、インドと違ってインド象の大量繁殖が可能な地域では無かったので、アフリカゾウの戦象化が試みられます。

しかし、アフリカゾウは一般的に人が飼いならす事が困難なので戦象の大量育成には向かず、アフリカゾウの中でも比較的人間に慣れやすいマルミミゾウが使われた可能性が高いようです。
ただしマルミミゾウは体格が小さく、インドゾウを保有する戦象部隊と遭遇するとかなり分が悪かったとも言われており、『アフリカゾウ(実際はマルミミゾウ)』は扱いやすいが戦力に慣れる局面は限定される軽戦車、精強な『インドゾウ』は重戦車と言えるかもしれません。

ムガール帝国では指揮戦車として使われる

他の地域では、古代中国でも気候が今と違って温暖だった地域が北まで広がっており、象も珍しい生き物では無かったために、戦象は広く使われていたようですが、気候の変化で象の生息範囲が移っていくに従って衰退。
唐の時代になると、むしろ東南アジアなど南方に攻め込むと現地の戦象と戦うようになっていました。

しかし、比較的体格の良い象を容易に繁殖させられる地域では戦象はまだまだ主力で、インドでは16世紀まで『主力戦闘獣』として戦い続けます。

さすがに銃や大砲が実戦配備され始めると、発射の轟音に驚いた象が暴れると被害が半端なことでは済まないので衰退していき、ムガール帝国がインドを支配する頃になると、第一線兵器としては通用しなくなりました。

しかし、象徴的な存在としては未だに有効で、指揮官が座乗して威厳を示すとともに、その高い背中からの開けた視界により、指揮にも役立ちます。

いわば『重戦車から指揮戦車へ』といった形ですが、見晴らしがいいということは敵から狙われやすいということもあり、ムガール帝国軍の指揮官は銃や弓でよく習われる羽目になりました。

最後まで戦象を大量に使ったタイでは何と「自走砲」にも!

こうして象大国だったインドで廃れていくと戦象が第一線兵器として使われることも減りましたが、シャム(現在のタイ)ではなおも戦象が使われ、20世紀はじめまで戦象による第一線部隊がありました。
もっとも、その頃になると戦象が突撃すべき槍を構えて一列に並んだ歩兵などいませんから輸送用途がメインで、第一線用としても背中に大砲を積んだものがメインです。

象砲兵』自体はムガール帝国で既に考案されており、遠くから大砲を撃ちながら進撃してくる戦象の威圧効果は相当なものだったでしょうから、まさに後の戦車や突撃砲的な効果が期待できたと思われます。
もっとも、相手も大砲や銃で攻撃してくれば大きな戦象はいい的になるので、活躍できた期間はそう長く無かったと思われますが、都市部を除けば地形の険しいシャムでは、治安維持や国境警備的な用途も踏まえて戦象を維持したのかもしれません。

比較的体格は小さいものの、曲射砲などを背中に載せた100頭もの戦象が一斉射撃を行うとかなり勇壮かつ撃たれる方としてはたまったものではなく、さらに戦象は自分で歩けますから陣地変換も容易で、ジャングル地帯での『自走砲』としては最適だったのでしょう。

さすがに20世紀になってから何年もたつと、自動車の登場や火砲の性能向上で大した装甲も持たない戦象の活躍余地は無くなります。
しかし、たとえキャタピラ式の車両でも踏み入れることが容易では無いような場所での輸送や偵察にはまだまだ象が使われ、東南アジアからインドにかけての各戦線では、あらゆる軍隊が象のお世話になりました。

1950年代のインドシナ戦争では、現地(現在のベトナム)に展開したフランス軍が戦象部隊を編成したほか、その後のベトナム戦争では、何と米軍がジャングル地帯での偵察任務に使ったと言われています。

戦象』と言うと古代の兵器のイメージがありますが、実際には近代どころか、現在でも見かけるような戦車が活躍するような時代になってからも現役だったのです。
今でも、世界のどこかでは象を軍用に使っている地域や組織があるかもしれません。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。
撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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