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2018/05/18

菅野 直人

それは神でも地球防衛軍でも無い。「国連軍」とは?

北朝鮮情勢のニュースが続く中、時々出てくるキーワードが「国連軍」。朝鮮戦争で初めて編成され、現在ではほとんど在韓・在日アメリカ軍がその任を担っていますが、国連軍は朝鮮戦争のみというわけではありません。国家の枠を超え、1つの任務を担う組織ということで『地球防衛軍』的な考え方をする人もいますが、その実態は?







多国籍軍にも有志連合にも無い「国連軍」の響き

現在、地球のどこかで戦争が起こり、そこに複数の他国が共同で介入する場合、『多国籍軍』や『有志連合』と呼ばれることが多くなっています。
アメリカ以外に韓国やオーストラリアなども参戦していたベトナム戦争の頃までは、そうした用語が無かったのですが、湾岸戦争(1991年)の頃から国連軍と区別する意味でか、そう呼ばれるようになりました。

その違いはだいたい以下のようになります。
 

  • 国連軍:国連安全保障理事会(以下、『安保理』)の決議で組織された、国連指揮下の軍隊。
  • 多国籍軍:安保理決議など国際合意に基づいて各国が派遣し、共通の司令部を持つ連合軍。
  • 有志連合:国際合意に基づき各国が派遣し、指揮系統は異なるものの同じ目的のため任務につく軍隊。
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    現実にはこの3つの差はここまで明確なものではなく、「厳密に言えば違うが、ともかくそう呼ばれている」というパターンも多いものの、「各国軍がより集まり、どこか代表して指揮をとっているか、指揮しているならそれはどこか」で何となく区別されています。

    イメージとしては、世界各国のほとんどが加盟し、その合議により何かが決まるという『国連(国際連合)』の軍隊、ということで、『国連軍』の方が、『地球防衛軍』のようなクリーンイメージを持っています。

    その一方、『多国籍軍』だと代表して指揮をとるどこかの国(湾岸戦争でのアメリカなど)の利権絡みなイメージもありますし、『有志連合』だと、どこの国が代表なのか今ひとつ明確ではないというグレーゾーンから、あまりいい印象を持たないのではないでしょうか。

    初の国連軍であり、今もなお続く朝鮮国連軍

    Luxembourg soldier Korea 1953.jpeg
    By 不明U.S. Defenseimagery.mil photo VIRIN: HD-SN-50-00966, パブリック・ドメイン, Link

    ちなみに最初の『国連軍』が編成されたのは、1950年6月25日に北朝鮮が韓国に侵攻、朝鮮戦争が始まった時です。

    創設間もない上に日本への警戒心・敵愾心の方が強く、当時の対日強硬派大統領・李承晩はむしろ対馬や竹島など日本への領土的野心を持っていたくらいでしたが、まだ非武装だった当時の日本へはともかく、強大な北朝鮮への備えを欠いていました。

    そのため北朝鮮軍に対してはほとんど抵抗の術も無く、在韓邦人保護のためもあって即時参戦した在韓米軍も戦力差から時間稼ぎをするのが精一杯であり、アメリカは同年7月7日の国連安保理決議84で多国籍軍の編成を要請しました。

    これに対し、1945年に創設されたばかりで加盟国も少なかった国連でしたが、常任理事国(当時はアメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中華民国)のうちソ連が欠席したこともあってただちにこの多国籍軍を容認。
    厳密に言えば『アメリカが指揮をとる多国籍軍』なので、前項でいう『国連軍の定義』を満たしていませんが、アメリカ主導の安保理は「国連の旗と『国連軍』の名称の使用許可」を出し、ここに史上初の国連軍が誕生しました。

    アメリカとその同盟国は元より、エチオピア、コロンビア、ルクセンブルクなど意外な国や小国も参加した国連軍は1953年7月の休戦協定まで戦い続けますが、平和条約を結んで戦争状態の解決が未だ為されていないため、今でも国連軍そのものは存続しています。

    なお、その過程で日本でもアメリカ軍のみならず『国連軍』とも地位協定を結んで協力する関係が続いており、イギリスやカナダ、オーストラリアの軍艦などが横須賀軍港で寄港のみならず修理や整備を行うのは、この国連軍との協定に基づいたものです。
    また、北朝鮮への経済封鎖を監視するためカナダ国防軍などが派遣してくる哨戒機が日本を基地に作戦を行うのが可能なのも、これが理由となっています。

    そのため、ある意味では日本も現在では『国連軍の一員』とも言えますが、韓国が日本との有事における軍事協力に難色を示しているため、その立場は明確ではありません。

    コンゴ動乱へ介入、スウェーデン空軍が活躍したコンゴ国連軍

    United Nations peacekeeping air forces in Congo - January 1963.jpg
    By This photo is taken from a UH-19D via Brig-Genral Mohammad Khatami`s camera. – http://www.airliners.net/photo/Iran—Air/North-American-F-86F/2239985/M/, パブリック・ドメイン, Link

    アメリカの要請で国連安保理の支持の下、アメリカが各国をまとめた『実質的には多国籍軍』とは異なり、国連事務総長が編成した『文字通りの国連軍』が、1960年7月に編成されたコンゴ国連軍(国連コンゴ活動)です。

    1960年6月にベルギーから独立したアフリカのコンゴ共和国(その後、国名はザイールを経て現・コンゴ民主共和国)では、それまで治安維持を担当していた公安軍をコンゴ共和国軍に再編成しました。
    しかし、それまで指揮していたベルギー人がいなくなったため軍は大混乱に陥った挙句、かえって治安を乱す存在となり、在コンゴ邦人保護を名目にベルギー軍が『侵攻』するような有様となります。

    いわばベルギーがしっかり後始末をしないまま独立させた挙句に、大義名分を作って再占領したようなものですから、コンゴ共和国の初代首相が激怒したのは言うまでもありません。
    ルムンバ首相からの直訴に応えた国連は安保理決議143に基づき国連事務総長が編成した国連軍は、『ベルギー軍を撤退させ、コンゴ共和国軍の治安維持能力を取り戻させる』という目的を持ってコンゴ共和国に展開します。

    しかし、コンゴ共和国の利権にまだ未練のあったベルギーは、同国の中でも資源の宝庫と言えるカタンガ州を『カタンガ国』として独立させてその武力(カタンガ憲兵隊)を強化、コンゴ共和国の首相が暗殺されるなど、同国の内戦は一層悪化しました。

    特に航空戦力まで投入して攻撃してくるカタンガ憲兵隊に手を焼いた国連は、安保理決議161でただちに『内戦停止のため適当な措置をとる』と宣言して国連軍を強化します。
    それに応えて馳せ参じたのが、新型ジェット戦闘機サーブJ-29トゥンナンを投入したスウェーデン空軍で、カタンガ憲兵隊を制圧する国連軍航空部隊の切り札として大活躍しました。

    遠く北欧の地から飛来するや休息の間もなく出撃、以降スウェーデン空軍パイロットの高い練度と頑丈で整備性も良好なJ29は、対空砲火で11機のうち7機を失う損害を受けつつも対地攻撃や偵察で連日鬼神のごとく出撃、ついにカタンガ憲兵隊を空から制圧します。

    制空権を失ったカタンガは崩壊、内戦を終結させた国連軍はその後もコンゴ民主共和国の要請で1964年6月まで駐留し、国連がその武力で紛争を解決した数少ない成功例となりました。

    「無力な国連軍」を露呈したルワンダ虐殺

    Belgian Soldier Memorial.jpg
    By Dylan WaltersBelgian Soldier Memorial, CC 表示 2.0, Link

    コンゴ動乱以降、国連軍の活動は停戦監視など任務とした『PKO(国連平和維持活動)』が主なものとなりますが、武力で国連に敵対する勢力を潰せばいい、というわけではないPKOは苦難の連続でした。

    中でも悲惨な失敗例が1993年10月、安保理決議872によって派遣されたUNAMIR(国連ルワンダ支援団)で、治安維持や非武装地帯の拡大により、激しい部族間抗争に発展したルワンダ紛争の停戦監視や選挙支援などをその任務としていました。

    しかし、1994年にルワンダとブルンジの大統領が乗る飛行機がミサイル攻撃で撃墜される事件が起こったのをきっかけに『ルワンダ虐殺』と呼ばれる抗争(というより、ただの殺し合い)が激化し、「もはや国連が維持すべき平和が存在しない」という状況に陥ります。

    UNAMIRはフツ族民兵グループに虐殺されるツチ族民間人を保護すべく務める一方、自らが攻撃されてもフツ族への攻撃許可が降りない(一方に肩入れすると中立勢力とみなされず、平和維持活動の根拠が失われる)板挟みに陥りました。

    ついには1994年4月、フツ族民兵に武装解除された上、10名の兵士を殺害されたベルギー軍がUNAMIRを離脱して撤退。
    ベルギー軍が警固していた首都の学校が無防備になったのを待っていたフツ族民兵により、そこに避難していた約2,000人ものツチ族住民が虐殺される事態が起きます。

    映画『ルワンダの涙』でも描かれたこの悲劇によって国連は完全に信頼を失い、結局フツ系民兵が50万~100万人のツチ族およびフツ族穏健派を虐殺、それでもツチ族系のPRF(ルワンダ愛国戦線)がルワンダ全土を制圧した1994年7月、ようやく事態が沈静化に向かいます。

    UNAMIRは紛争の一応の終結と難民帰還を見届けて1996年3月に撤退しますが、結局のところ、事態の悪化とそれに対するコントロールについては、ほとんど何の役割も果たせませんでした。

    自衛隊以上に制約の多いその実情は「ただ、ただ中立」

    ルワンダ紛争の前もその後も、PKOのためのPKF(国連平和維持軍)は幾度も派遣されますが、あまりに中立性にこだわるあまり起きたルワンダの悲劇以降は、『人道に反する者は敵』と明確に規定することも可能にします。
    2013年の国連コンゴ民主共和国ミッションでは、『強制介入旅団』による反政府武装勢力の掃討すら行いました。

    しかし、その相手が国連加盟国の軍隊だった場合は『国連加盟国と国連軍との戦闘』つまり『同士討ち』となるため、やはり中立性維持のため攻撃を手控えてしまい、国連軍が「何としてもその戦争を止めるため、誰が相手であろうと武力行使を行う」ことは実現していません。

    地域紛争を平和な国から『対岸の火事』として見ているならば、「なんでできないの?悪い奴をやっつけるだけじゃない?」と疑問が出ることはもっともだと思います。
    しかし、それが仮に世界的大国を相手にしたものであれば、どうでしょう?

    仮にアメリカや中国、ロシアなどが国連を離脱してでもどこかの国を侵略した場合、それを攻撃しても良いとされる国連軍がどういうものになるかと言えば、世界中の軍事力を結集した、文字通りの『世界大戦』を行うためのものとなります。
    もちろん、そこで国連軍の相手となる国が核兵器を持ち、それを使ってくるならば、国連軍もまた核兵器で応じるしか無くなるでしょう。

    もちろん、そんな極端な事態になる以前に誰もが常識を取り戻すとは思いますが、国連軍とは一歩間違えれば地球人類、少なくともその一方を滅ぼしかねない存在でもあり、その編成と運用には慎重さを要求されるのです。
    そこまでの大胆さを持ち得ない国連軍は、神でも地球防衛軍でもありません。

    菅野 直人

    物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。
    撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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