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2018/05/4

菅野 直人

F2後継機は純国産を断念……これまでの戦後国産軍用機5選

航空自衛隊ではF-3、あるいはi-3ファイターと呼ばれる純国産次期戦闘機の概念研究やステルス実証機X-2の飛行試験も続けており、次こそはエンジンから全てを純国産で、という意気込みがありました。しかし現状でもまだ時期尚早、次もF-2同様共同開発でとなったようで、残念ながら純国産は断念したようです。しかしここまでいくつかの国産軍用機を実現させており、今回その中から5機を振り返ってご紹介しましょう。

戦後初の量産国産軍用機“富士LM-1連絡機”

アメリカの個人所有機 (1991年)
By SDASM – https://www.flickr.com/photos/49487266@N07/7585288954/in/photolist-cyhA93-cyhA9Q-cyhAxo-cyhAB5-9yM5sN-9yMwnN-5JTnAW-7i8fQU-9yMwnJ-bViNCK-7QhESQ-bxXqy9-aDYDPc-5JT91A-56T5uS-aFcpjX-8i8HXu-5JNSsz-fxcwpw-fxcwgo-fxcwmS-fxcwio-fxcwsd-cyhAcw-cyhAHs-cyhA4A-cyhAMQ-9yMa2f-5JP6uP-bfTj6B-8mYk82-bZfbjN-7ZqwUA-ftJY8K-dSXAhH-5JT8Sf-dULfiK-dULevZ-dULfqn-dULfok-dULcEP-dULeEH-dURPdW-dURN8C-dURLZq-dURN4u-dURLVu-dURMSJ-dULftc, パブリック・ドメイン, Link

日本は第2次世界大戦の敗北と同時に一度は軍需工業を解体されており、特に航空機の開発はしばらく認められていませんでした。

世界の航空技術が大きく飛躍した1940年代後半~1950年頃までの停滞はかなり致命的で、かつ日本製工業製品など世界的に全く信頼されていなかった時期であり、朝鮮特需などでどうにか戦後経済が動き出したばかりの日本国内にもほとんど需要はありません。

それでも富士重工(旧中島飛行機・現在のスバル)や川崎航空機(現在は川崎重工航空宇宙カンパニー)、三菱重工などは航空機開発の復活に熱心で、それぞれ米国製軍用機のノックダウン生産や、軽飛行機開発からやり直す形になります。

そんな中、陸上自衛隊向けの多座連絡機要求が出され、かねてからノックダウン生産に入っていたビーチT-34練習機の多座型を計画していた富士重工が応じて開発されたのがLM-1です。
同時に試作された川崎KAL-2やデ・ハビランド・カナダのDHC-2と比べ、T-34と90%以上の部品が共用できる(つまり、安く作れて信頼性も高い)ことが買われて採用され、27機が生産され、戦後初の国産量産軍用機となりました。

1956年から1983年まで運用されましたが、そのほとんどはアメリカからの対外有償供与として引き渡されたため、退役後は形式上アメリカに返還、一部がそのままアメリカに渡って現在も民間機として使用されています。

初の量産国産ジェット機“富士T-1練習機”

T-1B練習機(特別塗装)
By Maryu, – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link

第2次世界大戦末期の1945年8月、1度だけ試験飛行に成功した国産ジェット特殊攻撃機“橘花”以来13年、日本がようやく開発した国産実用ジェット機が富士T-1練習機です。

1956年に日本独自の航空機開発が全面解禁されることを受けて、当時の航空自衛隊で中等練習機として使っていたものの、旧式化やジェット機との性能差が著しかったノースアメリカンT-6テキサン練習機の後継として、富士重工が開発されました。

練習機とはいえ、機首から効率的な吸気を行うエアインテークや後退翼などのレイアウトはF-86戦闘機と同一で、エンジン推力こそ劣ったものの、当時のジェット練習機としては世界的にも一線級の性能を誇るものが完成します。
しかも初飛行を務めたのは“橘花”の初飛行でもテストパイロットとして成功させた高岡1等空佐で、約12年半ぶりの1958年1月に戦後初の国産ジェット機の初飛行も成功させるというエピソードがありました。

ジェットエンジンも国産の予定でしたが、開発難航のため英国製ブリストル オーフュースを搭載したT-1Aがまず46機生産されましたが、国産のJ3も開発成功したため、これを搭載したT-1Bも20機生産。
電子機器や射出座席などコストダウンのためF-86FやT-33と共通部品を使っているところもありますが、T-1Bはエンジン含めほとんどが純国産機です。

基本的には練習機のため非武装ですが、射撃訓練のため機首に12.7mm機銃1門を装備できたほか、翼下にサイドワインダーAAMや爆弾、ガンポッド搭載可能で、T-33より優れた上昇力や操縦性を活かして、有事には戦闘爆撃機としても使用可能。
1960~2006年まで航空自衛隊で運用されて、多くのパイロットを育てました。

多用途で使われた超音速練習/戦闘機“三菱T-2/F-1”

三沢基地に着陸しようとする航空自衛隊・三菱F-1
By Rob Schleiffert from Holland – F-1, CC 表示-継承 2.0, Link

T-1で実績を積んで自信をつけた日本の航空機開発陣がさらなる高みへ向けて開発したのが超音速練習機、三菱T-2です。

アメリカ空軍の影響を受けていた航空自衛隊では、超音速戦闘機F-104Jの配備以降「超音速練習機が必要」と考えられ、アメリカ空軍と同じノースロップT-38タロンを採用するか、国産機を開発するかの検討を行います。
その結果、将来的に戦闘機へ発展させる含みも持たせた国産機開発が決まり、零戦や雷電などを開発した三菱重工を主契約社として開発を進め、1971年7月に初飛行、4ヶ月後には超音速飛行にも成功し、国産初の超音速機となりました。

練習機ですから複座でしたが、空対空ミサイル、爆弾やロケット弾などで武装可能で、後期型はレーダーやバルカン砲も搭載していて、有事には超音速戦闘機としての使用も可能。
曲技飛行隊“ブルーインパルス”使用機としては高速で迫力あるアクションが魅力的だった反面、小回りの効かなさが問題でしたが、熟練パイロットによるアグレッサー(仮想敵)飛行隊、飛行教導隊でも使用されて空自戦闘機パイロットの「強敵」でもありました。

さらに当初計画通りに支援戦闘機(戦闘爆撃機)型F-1も1977年に初飛行し、優れた爆撃コンピューターや対艦ミサイルASM-1の運用能力を活かし、2006年まで使われています。

ただし、T-2にせよF-1にせよ機体構造が脆弱でF-4やF-15、後継機F-2のような機動性は持たない「直線番長」的な性格で、飛行教導隊のT-2が空戦機動中に空中分解したり、F-1でも低空侵攻はかなり命懸けの所業だったようです。

なお、T-2は練習機としては2003年に退役、F-1試作型のFS-T2改(T-2特別仕様機)もF-1と同時期の2006年に退役しています。

独特の四発ジェット哨戒機“川崎P-1”

JMSDF P-1 (4).jpg
By 海上自衛隊, CC 表示 4.0, Link

P2V-7、P-2J、P-3Cと更新してきたプロペラ哨戒機の後継として2013年から配備開始されたのが国産四発ジェット哨戒機、川崎P-1です。
旅客機でもまだ経験が無く、国産輸送機C-1を改造したSTOL実験機“飛鳥”くらいしか実績の無かった四発ジェットで国産哨戒機を作ったのは国内航空産業育成のためでもありました。

しかし、決定までにはアメリカのボーイングP-8(ボーイング737旅客機ベース)やボーイング757、767ベースなど既存機の活用がコスト面で最適という見方もあり、一応は将来的な民間機への転用も視野に入れた国産機開発までにはかなりの激論が展開されています。

それでも2007年9月には国産ターボファンエンジンF7(IHI製)4発ながら比較的コンパクトにまとまった試作機が初飛行に成功。
サイズ的には双発機でも不都合は無く、実際によほどの大型機でも双発ジェットが多い現在では珍しい四発ジェットになりましたが、不審船など相手によっては対空砲火やミサイルによる被弾でエンジンが破壊されることも想定した海上自衛隊が四発を希望しました。

ソノブイや磁気探知機、魚雷など対潜水艦用の捜索 / 攻撃兵装が充実しているほか、最大8発までの対艦ミサイルや対地ミサイル、爆弾などを搭載可能な海上自衛隊機のため、旧海軍の陸上攻撃機と比較して「現代の陸攻」と呼ばれることもあります。

ただし、旧海軍の陸上攻撃機がそうであったように、大型機で強力な対空兵器を持つ目標を攻撃するのはかなり無謀なミッションであり、射程150kmのASM-1C対艦ミサイルがあるとはいえ、その射程外から発射可能な対空ミサイルもある中では現実的とは言えません。

海外派遣時代の申し子、“川崎C-2輸送機”

試作1号機(画像奥)と量産1号機(通算3号機)
By 防衛装備庁(ATLA) – 防衛装備庁ホームページ
http://www.mod.go.jp/atla/research/kaihatsusoubi/C-2.html, CC 表示 4.0, Link

旧式化した川崎C-1輸送機の後継として2010年に初飛行、2017年に配備が始まったばかりの国産輸送機が川崎C-2です。

C-1開発当時はまだ沖縄返還前で自衛隊の海外派遣なども考えられない時期だったため、長距離飛行能力を求められませんでしたが、状況の変化で長距離輸送能力が求められるようになると、C-1はそうした任務に全く向かないことがわかりました。

そのため、開発当時に比較検討されて不採用としたはずのロッキードC-130輸送機を改めて採用せざるをえないという問題が生じた上に、C-130はしょせんプロペラ輸送機のため、高速・高高度で長距離進出する任務には向きません。

そこで、C-1後継機は大型化でC-130以上の搭載力、高高度の民間航空路をC-1より高速で長距離巡航可能な性能、そしてC-1並の機動性が求められます。
幸い、同時期に開発された前述のP-1輸送機と(機体形状は大きく異なるものの)多くの装備を共通化してコスト低減が可能になっており、C-130と共に今後の空自輸送機の主力として、海外派遣にも多用される予定です。

ただし、ここまでの性能が航空自衛隊に必要かどうか、他の装備との兼ね合いもあって財務省が難色を示し始めており、今後予定通りに配備が進むかどうか、やや不透明になってきました。
民間航空路の活用による高速展開といったメリットを捨ててでも、C-130の最新型など他の選択肢を検討すべきという意見もありますが、同クラスでこれほど巡航速度の速い(890km/h)輸送機はそうそう無く、むしろ海外から輸出の引き合いすら来ています

実用段階に達した日本製航空機がこれほど他国から興味を引くことが珍しいため、販売に有利な実績を作るためにも、このまま量産が進んでほしいものです。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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