- コラム
現在でもエアレースで活躍! 世界最速を争うレシプロ戦闘機たち5選
2018/01/1
菅野 直人
すごいー! たーのしー!
2018/03/28
菅野 直人
第2次世界大戦後、朝鮮戦争で国連軍のアメリカ製F-86と中国軍のソ連製Mig-15の空中戦で本格的にジェット戦闘機時代の幕が開きましたが、ジェット戦闘機の実戦投入そのものは既に第2次世界大戦末期に始まっていました。連合軍、枢軸軍双方で開発され、重要な兵器として防衛用に使われたので「ジェット機同士の空中戦」こそ起きませんでしたが、どのようなジェット戦闘機があったのでしょうか?
By Kaboldy – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link
史上初めて、ターボジェットエンジンによる飛行に成功したHe178を開発(1939年)したのはドイツのハインケル社でしたが、同社はその実績を元に、単発のHe178よりも大きな双発ジェット戦闘機、He280の開発に着手します。
初飛行は1941年3月で後のMe262より1年以上も早く、機首に首輪を持つ前車輪式の降着装置や、初歩的な射出座席(圧縮空気式)など部分的には先進的な装備を持ち、機種に20mm機関砲3門を束ねた強力な武装を持っていました。
もし開発がうまくいっていれば、ドイツは早ければ1942年にはジェット戦闘機隊でドイツ本土を爆撃しに来る連合軍の爆撃機を迎撃できたはずです。
それがうまくいかなかったのは、ハインケル社が政治的にヒトラー相当率いるナチス(ドイツ社会主義労働者党)と距離を置いていたことが原因、とはよく言われる俗説ですが、He280自体にも問題がありました。
最大の問題は、出力不足な上に1時間も運転すればスクラップになってしまうなど、搭載予定だった実用ターボジェットエンジン・ハインケルHeS8が全くの出来損ないだったことで、実用機向けにはBMWやユンカースの開発する新しいジェットエンジン待ちになります。
しかし、それらの完成を待っているうちに、メッサーシュミットMe262が後発の強みで素晴らしい性能を発揮してしまい、エンジンがモノになるかもわからないのにただ急いで作られたHe280は、その時点で既に旧式化していました。
それでもエンジンが違えば「一方に欠陥が見つかった時や、生産遅延が生じた時の保険」でHe280が採用される可能性もありましたが、Me262も同じエンジンを使っていたのが運の尽きです。
結局、He280は“史上初めて飛行したジェット戦闘機”にはなれましたが、配備はおろか量産もされず、単なる実験機で終わってしまいました。
By RuthAS – 投稿者自身による作品, CC 表示 3.0, Link
ハインケルHe178の初飛行は極秘だったため、1941年5月にイギリスでグロスターE28/39が初飛行した時、イギリス人は「世界初のターボジェット機の飛行に成功した!」と喜びました。
続けて実用機の開発に進み、ハインケル同様エンジンの開発遅延には悩まされたものの、同時並行で開発された複数のエンジンのうち、後にデ・ハビランド ゴブリンとなるハルフォードH.1に実用運転の目処がついたので、イギリス初のジェット戦闘機を開発します。
こうして双発で凡庸な保守的、垂直尾翼が1枚なのを除けばイギリス版ハインケルHe280というべきグロスター ミーティア試作機は、1943年に3月に初飛行。
本命のターボジェットエンジン、ロールスロイス ウェランドを装備したミーティアF.1は1944年に実戦テストを行う飛行隊に配備されて、この時もイギリス人は「史上初のジェット戦闘機隊」と喜びましたが、これも数週間前にMe262が部隊配備された後でした。
何となく凡庸で、エンジンの制限から機動性が皆無に等しく、プロペラ戦闘機より飛行性能が特段優れていたわけでも無い上に、史上初というわけでも無かったミーティアは「ジェットエンジンで飛べて武装している」という以外に、あまり意味を持ちません。
しかし、その頃のイギリスにはヨーロッパ大陸からドイツ人の作った初期の巡航ミサイル、“V1(報復兵器1号)”ことフィーゼラーFi103がひんぱんに飛来していたので、ミーティアもこれの迎撃に投入されます。
幸い、反撃はおろか回避機動すら行わない相手だったのでそこそこ活躍できましたが、(技術的にはさしたる意味は無かったものの)ドイツ軍による捕獲を恐れて終戦直前までヨーロパ大陸には配備されず、ドイツのジェット戦闘機との対決は実現しませんでした。
ただし、保守的で凡庸な構造から、エンジンさえどうにかなれば信頼性はそこそこあったため戦後も長く使われ、朝鮮戦争でも国連軍の一員としてイギリス空軍機が投入されています。
Mig15を撃墜したこともあったものの、ミーティアより新しい戦闘機ですら太刀打ちできないMig15をマトモに相手にできるわけもなく、ほとんどは対地攻撃や写真偵察に従事しました。
By Paul Maritz, CC 表示-継承 3.0, Link
ここまで何となく怪しげな“ジェット戦闘機”を紹介しましたが、本命中の本命であり、1942年に初飛行したメッサーシュミットMe262は史上初の実戦配備された実用ジェット戦闘機であり、しかもマトモな性能を発揮して連合軍機に大損害を与えました。
やはりエンジン問題に悩まされたとはいえ、それが正常に稼働している限りにおいては素晴らしい高速性能と上昇力を発揮して連合軍の護衛戦闘機を振り切り、機首の30mm機関砲4門、そして主翼下のロケット弾という重武装で爆撃機をバタバタ撃墜したのです。
初飛行から間も無く、Me262を視察したヒトラー総統の“天才的ひらめき”によって、「戦局を逆転する高速爆撃機として量産せよ」という命令が出され、それを可能にする爆撃照準器も無いので不可能な命令であり、単に配備遅延をもたらしただけという不幸もありました。
しかし、ノボトニー実験隊と呼ばれる実戦テスト部隊が対爆撃機戦闘で大戦果を上げると、ヒトラーも渋々ながら戦闘機型の配備を認め、伝説のエース級パイロットばかりを集めた“騎士十字章戦闘機隊”JV44の活躍もあって、連合軍爆撃隊は恐怖のどん底に突き落とされます。
ただし、Me262もミーティア同様にエンジンの強度や耐久性に問題を抱えており、スロットルの急激な操作や激しい機動は禁物だったため、離着陸時をプロペラ戦闘機に狙われ、損害が続出しました。
そのため、フォッケウルフFw190DやタンクT152Hなど高性能プロペラ戦闘機で離着陸時の護衛をしなければならず、初期のジェット戦闘機の頂点でありながら、その限界を示した戦闘機でもあります。
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前述のようにHe280をモノにできなかったハインケル社ですが、それに続くプロジェクトでようやく同社初のジェット戦闘機を実用化できました。
それが史上初の実用単発ジェット戦闘機、He162“サラマンダー”ですが、簡易構造で大量生産して、急造パイロットでも操縦できる強力なジェット戦闘機として計画されたため、“フォルクスイェーガー(国民戦闘機)”の別名を持ちます。
ただしこれは追い詰められたナチスドイツを証明するように計画自体が滅茶苦茶で、激化する連合軍の爆撃で工場も何もかも破壊されるが、護衛戦闘機(P-51やP-47)に阻まれて、もはや多少高性能なレシプロ戦闘機での迎撃は不可能。
そこで、護衛戦闘機をそのスピードで突破して、一方的に連合軍爆撃機を撃墜できる戦闘機を、可能な限り早く開発し、貴重な資源もなるべく使わず生産せよ、というものでした。
結果、ジェットエンジンだけはMe262の実績もあって比較的使い物になったものの、代用材料の合板の接着技術不足で試作機は墜落、どうにか品質を安定させても操縦は非常に難しい代物となってしまい、急造パイロットによる操縦など無理だったのです。
それでも開発内示からわずか3ヶ月、1944年12月には初飛行に成功、試作機や先行量産型の試験飛行と並行して1945年1月には部隊配備が開始されるという、超スピード開発でハインケル社とドイツの底力を示しました。
陸海空の全周から昼夜を問わず猛烈な攻撃を受ける、断末魔のドイツでは正確な記録を探るのがこんなんですが、少なくとも3機の公式撃墜記録を残しており、単なるヤケクソのキワモノではなく、実績を上げているのは大したものだと言えます。
急ごしらえでロクな試験も行えず改修のヒマもなく欠陥を抱えたまま量産されたものの、結果的に小型軽量ハイパワーのため、最高速度は900km/h以上を誇るという高速戦闘機でもありました。
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主にイギリスとドイツで開発合戦の行われた初期のジェット機ですが、他の国でも開発されていなかったわけではありません。
日本でもターボジェットエンジンの開発は進められており、特殊攻撃機“橘花(きっか)”が、終戦直前にただ1度ながら飛行に成功していました。
余裕のあるアメリカでも同様で、イギリスのグロスターE28/39が初飛行後、同機のホイットルW.1ターボジェットを取り寄せ、それを独自改良したエンジンを搭載するアメリカ初のジェット機を陸軍航空隊向けに開発することになります。
既にP-51やP-47といった高性能レシプロ戦闘機を大量に投入、多少の質は数でカバーできる体制にあったアメリカでは、個々の戦闘より戦争に勝てば良く、新兵器など将来の戦争に合わせてノンビリ作れば良い、という考えだったようです。
ミッドシップ配置のエンジンを持つ、P-39エアラコブラやP-63キングコブラなど性能は悪くないものの妙な戦闘機ばかり作っていたベル社に開発指示が出されたのも、新型機の開発で忙しいわけでもなく、技術的に妙な飛行機でもこなすところからでしょう。
1942年には無難な形状の双発直線翼戦闘機、ベルXP-59エアラコメットが完成し、初飛行にも成功して、訓練用の量産型も80機ほど発注されました(実際に完成したのは30機)。
性能はひたすら凡庸で、ターボジェットエンジンで飛ぶという以外に何の取り柄も無い飛行機でしたが、開発技術や飛行訓練、武装など各種実験にはこれでも十分で、「まあ飛んだし、これで実験も訓練もできるし、いいか」というわけです。
ただし、胴体の主翼付け根にエアインテークを配置するという方式はその後のジェット戦闘機で多用されたので、一応はXP-59にも技術的先見性はあったんだよ、という証明にはなっています。
戦後、ベル社はXP-59のリファイン&パワーアップ版としてXF-83を開発、空軍が求める長距離護衛戦闘機構想に応募しましたが、もちろん採用されませんでした。
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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