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2018/03/16

菅野 直人

【奇跡の海戦史】正規の巡洋艦を撃沈せよ!仮装巡洋艦コルモランの激闘

各国の海軍は平時からその国力に応じた数の戦闘艦艇や支援艦艇を保有していますが、いざ戦争になると、とてもそれだけでは賄いきれないこともあり、民間船舶を徴用(簡単に言えばレンタル)して改装し、意外なほどに多様な任務に投入される例も数多くあります。中でも実際に戦闘を行う例が多いのが仮装巡洋艦です。大抵は民間船を相手にする程度の戦闘力しか持ちませんが、例外的に正規の軍艦、それも巡洋艦と刺し違えに撃沈した例がありました。

危険な海へ単艦出撃する仮装巡洋艦

写真はアトランティス。
By S.W.Roskill – The War at Sea 1939-1945, Chapter XII, パブリック・ドメイン, Link

戦時に不足する軍艦を補うため、軍で徴用(レンタル)した民間船は“特設艦船”などと呼ばれますが、その中でも大砲や機関砲、魚雷発射管など強力な武装を施し、速力も比較的速いものに“特設巡洋艦”があります(あるいは“補助巡洋艦”など名称は国や組織による)。

船団護衛や小型艦艇の母艦などに使われることが多いのですが、中には商船に化けて民間航路を航行し、敵性国の民間船を襲う通商破壊戦に投入される“仮装巡洋艦”もありました。

ドイツ海軍が第1次・第2次世界大戦双方で多用したのですが、その任務の性質上、他の軍艦や船舶と艦隊や戦隊を組んでいては、「他の商船を襲うため、商船に見せかけて近づく」ことができません。
そのためほとんど単艦で民間船舶の航路を航行し、遭遇した民間船には、自らも民間船だと見せかけて近づいたりすれ違いざま、いきなり(国際法上の戦闘艦としての要件を満たすため)軍艦旗を上げて、「手を上げて止まれ!」とやるわけです。

それで相手が観念すれば拿捕か乗員を脱出させて爆薬などを仕掛け撃沈、無線通報したり逃げようとすれば、強力な火力で撃沈してしまう、そういう戦術でした。
これは、よほど高速の船舶で無い限り単独行動を行う商船などほとんどいなくなり、代わって強力な軍艦や飛行機が護衛だけでなくパトロールまでするようになる第2次世界大戦終盤までドイツ海軍お得意の手です。

ただ、それ以前でも遭遇するのが民間船とは限らず、軍艦に遭遇してうっかり正体がバレると、火力はともかく装甲をほとんど持たない仮装巡洋艦はロクなことになりません。
実際、1941年11月にはドイツの仮装巡洋艦“アトランティス”がイギリスの重巡洋艦“デヴォンシャー”に見つかり、撃沈されています。

襲われる側の商船にとっても他の船に出くわすたび緊張を強いる厄介な相手でしたが、仮装巡洋艦の側も正規の軍艦以上に危険な任務だったのです。

仮装巡洋艦“コルモラン”

Bundesarchiv Bild 146-1985-074-27, Hilfskreuzer Kormoran.jpg
By Bundesarchiv, Bild 146-1985-074-27 / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, Link

そんなドイツ仮装巡洋艦の1隻、“コルモラン”は、第2次世界大戦前の1938年9月に完成し、1939年9月の大戦勃発時にはまだ試験航海中だった貨客船“シュタイエルマルク”を改装、1940年10月にドイツ海軍の仮装巡洋艦として再就役させたものです。

同年12月にドイツのゴーテンハーフェン軍港を出撃したコルモランは、ソ連商船などに偽装しながら、イギリス海軍の封鎖を逃れるためバルト海からはるばるイギリスやアイスランドの北を回って大西洋に抜け、そこで通商破壊戦を行った後、インド洋で活動を開始しました。

かなりの大航海に見えますが、ドイツの仮装巡洋艦や、もっと小さなUボートでもインド洋などで活躍した事例は少なくありません。
1941年12月に太平洋戦争が始まり、日本が東南アジア一帯を制圧していた時期にはマレー半島西岸のペナン島に日独共同の潜水艦基地がありましたし、仮装巡洋艦がはるばる日本本土に寄港することもありました。

コルモラン”もその1隻で、その活動が無事に終わった暁には、“トール”や“ミフェル”といった僚艦と同様、神戸や横浜に寄港していたかもしれません。

コルモランの通商破壊戦

大西洋のアフリカ大陸西岸沖で通商破壊戦を始めた“コルモラン”の最初の獲物は、1941年1月13日に捕捉、撃沈されたギリシャのアントニスでした(当時ギリシャはまだ中立国だったものの、臨検で連合国への兵器などを搭載してため沈められた)。

以後、4月12日にやはりギリシャの“ニコラオス”を撃沈するまでの3ヶ月間で、補給艦アルトマルクなどから補給を受けながら7隻の商船を撃沈、1隻を拿捕しています。
4月19日に僚艦“アトランティス”と会合した“コルモラン”は、まだ太平洋戦争参戦前で中立国だった日本の商船に擬装し、インド洋へ向かいました。

6月26日のユーゴスラビア商船撃沈をはじめとして通商破壊戦を再開しますが、同日2隻目の獲物、オーストラリアの商船“マリーバ”撃沈以降、イギリス海軍東洋艦隊の捜索が活発になったことを察してその海域を離れ、機関のメンテナンスなどに従事します。
9月26日にようやくギリシャの貨物船を撃沈しましたが、どうも“コルモラン”が活動していたこの時期、インド洋はあまりいい“猟場”では無かったようで、なかなか商船を捕捉できていません。

そこで獲物を求めてオーストラリア西岸まで進出しましたが、そこで運命の時を迎えます。

軽巡シドニーをだませ!

HMAS Sydney (AWM 301473).jpg
By Fox photos – This image is available from the Collection Database of the Australian War Memorial under the ID Number: 301473
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1941年11月19日、西岸部の港町、パースに機雷を敷設すべくオーストラリア西岸沖を航行していたコルモランは、船のマストを目撃しました。

商船か……と思われたそれは、接近すると軍艦、それも巡洋艦と判明します。
オーストラリア海軍のリアンダー級軽巡洋艦、“シドニー”です。

シドニー”は排水量6,980トンで主兵装は15.2cm連装砲4基8門、最高速力32.5ノットで、“コルモラン”は排水量8,736トンで主兵装は15cm単装砲6門、最高速力18ノット。
火力で若干劣るとはいえ、相手は軽巡洋艦ですから装甲は大したことがありませんから、攻防にはそれほど差は無し。

とはいえ、“コルモラン”は仮装巡洋艦という任務上、できれば敵の正規軍艦と正面切った戦闘などしないに越したことはありませんし、逃げるにしても速力差は大きいため、“シドニー”に見つかっているならば、できることは限られます。

1.あくまで商船のフリをして“シドニー”をやり過ごす。
2.それが無理な場合は、ギリギリまでごまかして接近し、一気に勝負をつける。

シドニー”は“コルモラン”を発見し、誰何(所属や船名の確認)を行いながら、近づいてきました。
シドニー”艦上では水上偵察機をカタパルトで発進させる準備をしている様子も見えますが、まだ発進させないようです。

シドニー”への返答をゆっくりと行いながらダラダラと時間を稼ぎ、突然出くわした軍艦を相手に航海を邪魔されたオランダ商船を装う“コルモラン”は、敵船かもしれない軍艦と遭遇した時に発する遭難信号まで発信しました。
発光信号での交信が要領を得ない上に遭難信号まで出されて困惑した“シドニー”は、友好船舶が何か誤解をしていると考えて、合言葉を要求しながら、迂闊にも“コルモラン”へさらに接近してきます。

コルモラン”の選択肢は今や「2」のみ、さあちかづいて来い、目の前に来るんだ、“シドニー”……
そしてついに“シドニー”が“コルモラン”と並走します。距離わずか1,300m

コルモラン”艦長、デトマース中佐の決断の時が迫ります。
急いでオランダ商戦旗が下ろされてドイツ軍艦旗が掲げられ、彼の口が開かれました。

仮装巡洋艦vs正規巡洋艦、激闘の果てに

Feuer! (フォイアー!/撃て!)

デトマース艦長の命令一下、擬装の下で準備のできていた砲員が一斉に動き、15cm主砲を始め使用可能な全火力が“シドニー”へ向けられました。
軍艦としては至近距離、ほぼ全弾命中

目の前のオランダ商船が急にドイツ軍艦旗を上げて事態を察した乗員、ことに首脳部が呆然としていたのか、全く反撃を受けずに“シドニー”艦上の至るところで火が上がります。
シドニー”艦長がなぜ不用意に不審な船舶の至近距離に近づいたのか、最後にどのような判断を下したのかは、初弾で同艦の艦橋が吹き飛んだため、永遠の謎になりました。

続けて射撃指揮装置が吹き飛んで統一射撃が不可能となり、魚雷が前部に命中したため“シドニー”の第1・第2砲塔は電路切断、あるいは旋回不能となって使用不能。
とにかくまずは指揮能力の沈黙を狙った“コルモラン”の射弾は面白いように命中し、“シドニー”前半部は業火に包まれました。

しかし、オーストラリア海軍もまた、英連邦海軍の一員です。
生き残っていた後部の第3・第4砲塔や、生き残った高角砲や機関銃が、おそらくは艦橋や射撃指揮所で起きた事態を察したのか、独自に射撃を開始しました。

至近距離ですからこちらもほぼ全弾命中! “コルモラン”もまた機関室などに火災を起こして大破炎上しますが、統一射撃を行えない“シドニー”は決定的な打撃を与えられません。
一方、統一射撃の可能だった“コルモラン”は射撃を“シドニー”の後部、ついで中央部に集中させて全砲塔と機関室を破壊します。

コルモラン”のほぼ全弾を叩き込まれた“シドニー”は魚雷や体当たりでなおも“コルモラン”へ反撃しようとしますが、戦闘不能となると“コルモラン”の視界から去っていきました。

とはいえ、“コルモラン”もまた無事では済みません。
しょせん防御力など無きに等しく、“シドニー”の生き残った火力だけでも消火系統を破壊されて火災の鎮火が困難になるなど、しょせん同艦は仮装巡洋艦に過ぎないという弱点が最後に露呈します。

最後は大火災が機雷庫に及ぶに至って総員退艦が命じられ、“コルモラン”乗員397人中317人が救助されてオーストリア軍の捕虜になりました。
一方、“シドニー”は全乗員もろとも行方不明になったためその最期は明確ではなく……おそらく“コルモラン”の視界から消えた直後に火薬庫へ火が回り、総員退艦が発せられる間も無く爆沈したと思われます。

コルモラン”と“シドニー”の残骸が海底調査で発見されたのは、それから67年後の2008年3月でした。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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