- コラム
サバゲー的映画レビュー・第一回「プラトーン」
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すごいー! たーのしー!
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笹木恵一
『仁義なき戦い』は1973年1月に第1作目が公開され、1974年6月までの僅か1年半の間に全5本が制作された、監督、深作欣二、主演、菅原文太の人気シリーズだ。
出典:Amazon Prime Video
敗戦直後の広島呉市にて、戦地から帰ってきた若者達が、行き場のない暴力への衝動を極道の世界で爆発させる。しかしいつの世も若者たちの熱き思いは、悪しき権力者たちによって利用され、無残にも散っていく。今日も広島に若い血が流れるのであった。
これ以前のヤクザ映画は所謂『任侠映画』と呼ばれ、ヤクザを仁義に厚い正義のヒーローとして描く、極道賛美的なものが一般的であった。しかし深作欣二の描くヤクザ映画の世界は、暴力の虚しさ、そしてそれを行う者たちの人間としての弱さがリアルに描かれているところで一線を画していた。
そしてこの映画の原作となったのは、菅原文太演じる主人公広能昌三のモデルとなった美能幸三が獄中で書き綴った手記を基に飯干晃一が執筆した実録小説である。そこで描かれるのは任侠映画で描かれてきた義理と人情、極道の美学等ではない。私腹を肥やす何処までも汚れきった権力者達、彼らの政治的抗争に散々利用され無残にも死んでいく若者たちの仁義なき現実だった。
この実話を基にした原作と深作欣二の退廃的世界観が見事にマッチし本作は大ヒット、東映ヤクザ映画の実録シリーズという一大ジャンルを築き上げた。
このシリーズで特徴的なのは、何と言ってもヤクザ同士の抗争中に起こる殺人シーンだろう。さっきまで肩で風を切って堂々と街を闊歩していた強面の男達が、銃を突き付けられた途端に情けなく逃げ回り、地べたを這いずり回る。そして一人の人間を確実に撃ち殺すのに、弾丸一発では足りない。相手が血みどろで転がりながらもがき苦しんでいるところに、執拗に何発もの銃弾を撃ち込むのだ。任侠映画で見られる男気溢れる堂々とした死にざまとはまるで違う。そう、カッコ悪いのだ。人が死ぬという事はカッコいいことではないのだ。これは死にゆく者だけではない。引導を渡す側も同じことだ。人を殺すというのは実際恐ろしい。自分が引き金を引くことで、今数十秒前まで生きて動いていた人間がその生命活動を終える。この映画に登場する若い鉄砲玉たちが引き金を引いた直後ガタガタと震えながら、ある者は平静を装い口笛を吹きながらも足元はおぼつかない、ある者は泣きながら小便をたれ流し、泣き叫びながらその場を逃げ去っていく。そんな当たり前の人間の心理が我々の目にたたきつけられてくるのだ。
往年の名俳優達が演じるキャラクターはどれも個性的だ。上記のようにここで描かれるのはまさにヤクザ同士の仁義なきな戦いだが、菅原文太演じる広能はそれでも仁義を突き通す、しかしそれ故に常に人一倍辛い境遇に立たされる主人公だ。その広能を極道の世界に招き入れた親分、金子信雄演じる山守は、自分の手は汚さず、右も左もわからない若者たちを利用して私腹を肥やすシリーズ最大の悪役。ヤクザ映画の悪役といえば強面の屈強な悪漢がイメージされるがそんなことはない。山守は金にがめつく、保身の為なら己のプライドすら簡単に投げ売るような人間のクズだ。得意の泣きまねで組員を丸め込み、己の都合のいいように誘導するシーンは印象的。前作を通してこの山守のような外道がわんさか出てくる。そしていつも血を流すのは二作目で若き日の北王子欣也が演じる山中のような若者達だ。悪人たちは行き場のない若者を拾っては恩を売り、金と女の飴を与えたかと思ったら鞭を振るってすべてを奪い去り、そこでまた飴を与えて汚れ仕事を請け負わせ、最後はまたすべてを奪い去る。行き場を失った若者に待ち受けるのは死のみである。
この退廃的、無常観溢れる作風は全世界に大量のファンを生み出した。代表的なのは『キル・ビル』のクエンティン・タランティーノ監督等、多くの映画人がこの腐敗と自由と暴力の真っただ中に魅了されてしまったのだ。正直話が複雑すぎて、詳細なあらすじを正確に追うことは困難を極めるが、キャラクター同士の誰と誰が争っていて誰が悪くてそうでないのかだけで楽しめるので、是非酒のお供にご覧になっていただきたい。
幼稚園時代からレンタルビデオ屋に足しげく通い、多くの映画や特撮、アニメ作品を新旧国内外問わず見まくる。
中学時代に007シリーズにはまり、映画の中で使用される銃に興味を持ちはじめる。
漫画家を目指すも断念した過去を持つ(笑)。
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