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2018/03/7

菅野 直人

歴史的激戦史・戦艦部隊を翻弄した「史上最弱の艦隊」タフィ3生還す!

世界の海戦史において、戦力的に劣る側が奮闘して敵艦隊の撃退に成功するような話はいくつかありますが、こと相手が「戦艦を中心とする主力艦隊」ともなると、奮闘はするものの最後は悲しい結末になることが多いものです。1944年10月25日、日本海軍第1遊撃部隊(栗田艦隊)に補足された米護衛空母群もその運命を覚悟して戦いに挑みますが、激闘の末につかんだものは、奇跡のような結末でした。

見ろ! あれはパゴダ・マストだ!

USS Samuel B. Roberts (DE-413).jpg
By U.S. Navy – Official U.S. Navy photo NH 90603 from the U.S. Navy Naval History and Heritage Command, パブリック・ドメイン, Link

1944年10月25日早朝、米海軍第7艦隊第77任務部隊第4群第3集団“タフィ3”は、フィリピンのレイテ島へ侵攻作戦を始めて以来のルーティン・ワーク、すなわち対地攻撃部隊の出撃準備を進めていました。

フィリピンの西から迫っていた日本海軍の戦艦隊は、ハルゼーの機動部隊がさんざん痛めつけて追い散らし(たはずだった)、その余勢を駆って北から接近する空母部隊を迎撃に向かっており、その運命はもはや風前の灯。おお、神よジャップがあまり苦しみませんように!

南のスリガオ海峡からレイテ湾に迫ろうとしていた戦艦や巡洋艦の別動隊も、昨夜のうちにオルデンドルフの第7艦隊旧式戦艦隊がボコボコにして壊滅してしまったので、タフィ3への脅威と言えば、陸上から飛来するわずかな日本軍機程度だったはずなのです。

それくらいなら上空直掩の戦闘機でどうにかなるし、いよいよ上陸した部隊が内陸に侵攻するので、これから忙しくなるぞ、という程度でした。
南にはレイテ湾にかけて、上陸支援を行う第7艦隊の艦艇で埋まっていますし、北は手薄でしたが、ハルゼーが空母部隊をいくらか残しているだろう、程度の感覚です。

仮にいなくても、ジャップが今更攻めてくるとも思えず、気楽なもの。
だからこそ、見張り員が悲鳴のような叫び声を上げた時、それまでの楽観的な考えのツケを払うべき時が来たと確信せざるをえませんでした。

彼はこう叫んでいたのです。
あれは……パゴダ・マストだ! なんてこった! ジャップの戦艦だ!

ハルゼーはどこに行った?!

Japanese battleships at Brunei, Borneo, in October 1944 (NH 73090).jpg
By 不明 – U.S. Naval History and Heritage Command photo NH 73090, パブリック・ドメイン, Link

この時現れたのは、「昨日ハルゼーが追い散らしたはずの」栗田中将率いる日本海軍第1遊撃部隊「栗田艦隊」でした。

そこに至るまで戦艦「武蔵」と重巡2隻が沈没、同2隻が大破し、救助のため駆逐艦4隻を離脱させていましたが、まだ戦艦4隻(大和・長門・金剛・榛名)、重巡6隻(利根・筑摩・鈴谷・熊野・鳥海・羽黒)、軽巡2隻(能代・矢矧)、駆逐艦11隻の計23隻が残っています。

対するタフィ3は鈍足でとても敵艦隊から逃げられそうも無い護衛空母6隻(ファンショー・ベイ、ホワイト・プレインズ、カリニン・ベイ、セント・ロー、キトカン・ベイ、ガンビア・ベイ)と、3隻の駆逐艦、それより性能の劣る4隻の護衛駆逐艦しかありません。

タフィ3を指揮していたクリフトン・A・F・スプレイグ少将は、「気楽な対地支援任務」から一転、「艦隊全滅の危機」にさらされる指揮官として、文字通り真っ青になりました。
とりあえず使用可能な全艦載機を直ちに発進させるとともに、近くにいた護衛空母群の同僚、「タフィ1」のトーマス・L・スプレイグ少将などに連絡を取り、とにかく誰か助けてくれ! と救援を求めます。

そして、敵艦隊が悠々通過してきた北の海域をガラ空きにしていた男に、思い切り呪いの叫びを上げました。
ハルゼーのクソったれめ! 奴はどこに行きやがった!

高速空母機動部隊指揮官の性として、日本海軍機動部隊(小沢艦隊)を全力で追いかけていた“ブル”ハルゼー大将でしたが、日本海軍の囮作戦として差し出された空母を追いかけ、はるか北へと高速でレイテから遠ざかっていたのです。
この瞬間、誰もがタフィ3の壊滅と、その後の惨事を予感して恐怖しました。ハルゼー以外は

「とにかく雷撃を行う」

一方、連日の戦闘配置で疲れ切っていた栗田艦隊では、タフィ3を正規空母複数からなる機動部隊と誤認し、長年の仇を高速で逃げ切られてはたまるものかと、燃料に不安の残る軽巡洋艦と駆逐艦の水雷戦隊を残して、全艦突撃に移りました。

高速戦艦「金剛」(同級艦の「榛名」はマリアナ沖海戦での損傷を復旧しきれておらず、一歩遅れて追従)や6隻の重巡が一斉に突っ込んだのです。
それを支援するように「大和」や「長門」も就役以来初めて敵艦への主砲射撃を行いました。

商船改造の鈍足護衛空母群としては、たった7隻の護衛に煙幕を張ってもらい、ひたすら南へ、僚艦や第7艦隊の旧式戦艦隊などの支援を受けられる方角へ一目散に逃走するしか無いのですが、敵が自分たちを何と勘違いしたのか、全力で突撃されるのでたまったものではありません。

たちまち各艦の周囲に水柱が立ち、誰もがタフィ3はここでこの世から消滅するのだ、と絶望します。
しかし、それを守るべき駆逐艦や護衛駆逐艦の艦長たちはもっと勇敢で、少しばかり冷静でした。

護衛駆逐艦サミュエル・B・ロバーツでは、コープランド艦長が「結果はどうなるかわからないが、ともかく雷撃を行う」と全艦内に放送して反転、手近にいた重巡「鳥海」に突撃します。
前後して煙幕を展張していた他の駆逐艦、護衛駆逐艦も、護衛空母が逃げる時間を稼ぐべく反転突撃し、突撃してくる日本艦隊の大型艦から近すぎて射撃できないほど肉薄しては、通り魔のように砲撃を浴びせては日本艦隊を分断、混乱させていきました。

その間、サミュエル・B・ロバーツは3本の魚雷を発射、命中はしなかったものの手近な重巡や戦艦に5インチ砲弾を全弾叩きこんだ後で「金剛」の14インチ主砲弾で大破、後続してきた水雷戦隊の軽巡や駆逐艦の主砲に止めをさされて力尽くまで戦います。

たった1門の5インチ砲で重巡を撃破

USS White Plains (CVE-66)
By http://www.navsource.org/archives/03/0306601.jpg, パブリック・ドメイン, Link

護衛空母という羊を守る、タフィ3の他の牧羊犬たちも勇敢でした。

駆逐艦ジョンストンは「大和」などの砲撃で大破しながらも、魚雷で重巡「熊野」を撃破して落伍させ、駆逐艦ホエールとヒーアマンも猛烈な砲撃を浴びつつ魚雷で戦艦や重巡を牽制。
特にホエールは撃沈されたものの、発射した魚雷が「大和」を空母から遠ざける方向に転舵させ、貴重な時間を稼ぎます。

さらに砲撃を浴びる前に発艦に成功したタフィ3の艦載機や、タフィ2から応援に駆け付けた艦載機も果敢に攻撃を行いました。

ある艦載機は重巡「鈴谷」に至近弾を浴びせて撃破落伍させ、同「筑摩」の艦尾にも魚雷が命中、同艦は「ワレ出シエル速力9ノット、何処ヘ向カウベキヤ」という通信を最後に消息を絶ちます。
さらに艦載機群は魚雷や爆弾が無くなれば、「攻撃するフリ」のフェイントから機銃掃射で日本艦を混乱させ続けたのです。

しかし、ついに追い詰められた護衛空母群は、多数の命中弾を受けるようになりました。
日本側は商船のドンガラに格納庫と飛行甲板を張った護衛空母ではなく、装甲を持つ正規空母と誤認していたため、発射された徹甲弾の多くは飛行甲板や船体の薄い鋼板では炸裂せず、スポスポ抜けるだけで致命的なダメージを与えていませんでしたが、何しろ数が違います。

やがて、もっとも護衛空母群に肉薄した高速戦艦「金剛」、重巡「利根」「羽黒」の砲撃で機関部を破壊された護衛空母ガンビア・ベイがついに力尽きますが、護衛空母側もただ黙ってやられはしませんでした。
各護衛空母は自衛用に1門だけ装備していた唯一の対艦攻撃兵器、5インチ砲を振りかざして接近してきた日本艦へ撃ちまくります。

そのうち、護衛空母「ホワイト・プレインズ」の5インチ砲弾が重巡「鳥海」に立て続けに命中、搭載していた魚雷の誘爆を引き起こして同艦を撃破、航行不能に陥れました。
この戦果は「金剛」の誤射説もありますが、いずれにせよ護衛空母群が最後まであきらめずに奮闘したのは事実です。

全滅寸前、その時奇跡は起こった

ここまで恥も外聞も無くひたすら逃走しながら、砲や魚雷、艦載機を総動員した必死の反撃で重巡4隻を撃破、残る重巡「利根」「羽黒」にも艦載機で爆弾を命中させて奮闘させるという、混乱の渦中でいつの間にか大戦果を上げていたタフィ3。

しかし、それでも餓狼のように荒れ狂う日本の高速戦艦1隻(金剛)と重巡2隻(利根・筑摩)はついに護衛空母群に食らいつき、数少ない健在の護衛艦もその役目を終えようとしていました。
既にガンビア・ベイの命運は尽き、ファンショウ・ベイとカリニン・ベイ、ホワイト・プレインズも大きな損傷を受け、健在なのはキトカン・ベイとセント・ロー(この海戦の直後に神風特攻隊により撃沈)だけになっています。

おまけに、何とかスコールでやり過ごそうとすると、何と「金剛」はそれまで米軍のお家芸だった電探(レーダー)射撃で、的確な射撃を加えてくるではありませんか。

いよいよ最後か……ファンショウ・ベイに座乗するクリフトン・A・F・スプレイグ少将が、ついに観念しかけたその時、戦場に奇跡が起こりました。
「ジャップの艦隊、反転していきます!」
驚いてそれまでの砲声が静まった海面を見やると、あれほど恐るべき猛砲撃を加えていた日本艦隊が反転、去ってゆくではありませんか!

急に戦意を失ったかのように身をひるがえした日本の戦艦や巡洋艦は次第に小さくなっていき、水平線の向こうに消えると、二度と現れませんでした。
タフィ3は、生き残ったのです。

その頃、第1遊撃部隊司令部では、司令官の栗田中将をはじめ首脳部が一様に困惑の表情を浮かべていました。

ひたすら逃げまくりながら反撃で混乱を広げた敵艦隊への長時間の追撃により、艦隊はバラバラになってしまって状況把握は容易では無く、気がつけば重巡戦隊は壊滅状態。

おまけに通信は混乱し、自らの艦隊は元より、他の艦隊や航空隊の状況も今ひとつつかみきれず、おまけに別な敵機動部隊を発見したというどこかからの通信や、「金剛」「榛名」からも、別な空母群を視認したと報告が入っていました。

連日の戦闘による疲労が濃く、正常な判断を下すことが難しかった司令部では、とにかく一度艦隊をまとめ直さないと、予定通りレイテ湾の輸送船団に突入するにせよ、別な敵を追うにせよ、何ともしようが無いと考えだします。
旗艦「大和」から「全艦集マレ」の号令がかけられたのには、このような事情があったのです。

そのような日本側の事情をしらぬスプレイグ少将は、事態の推移についていけずにしばし茫然としていましたが、やがて静かに、神への感謝の言葉をささやき始めました……。

この日、史上最弱の艦隊が、敵の主力艦隊に襲われ、大きな損害を出しながらも見事逃げ切り、生き残ります。
そしてそれは、ただ逃げただけでなく、牧羊犬や羊までが狼に立ち向かい、噛みつき、望外の戦果とともに成し遂げたものだったのです。
かくしてタフィ3と、それを守るため戦った、決してあきらめを知らない男たちは、海戦史上の伝説となりました。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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