• TOP
  • 偉人伝「超人か鳥人か?!60過ぎても史上最高の格闘戦戦闘機を乗りこなした史上初の超音速男!チャック・イェーガー」

2018/03/2

菅野 直人

偉人伝「超人か鳥人か?!60過ぎても史上最高の格闘戦戦闘機を乗りこなした史上初の超音速男!チャック・イェーガー」

物質中の音の伝播速度、音速。それを超える速度「超音速」で飛行する能力は現在の戦闘機の多くが備えており、既に退役しましたが、過去にはコンコルドツポレフTu-144のような超音速旅客機すらありました。しかし、人類が初めて超音速飛行を行うまではそこで何が起きるかわからない「未知の領域」だったのです。だからこそ、初めて水平飛行で超音速を突破した男、チャック・イェーガーの名は歴史に刻まれています。

真珠湾攻撃で開けたキャリア

Charles Yeager photo portrait head on shoulders left side.jpg
By U.S. Air Force, AF.mil Media Gallery, http://www.af.mil/shared/media/photodb/photos/020903-o-9999b-091.jpg, パブリック・ドメイン, Link

後に「超音速男」となるチャック・イェーガーのキャリアは、アメリカが第2次世界大戦に参戦する1941年に始まります。
1923年生まれのチャックはその時まだ18歳で、パイロットに憧れながらも年齢や、貧しい家庭に生まれたがゆえの学歴不足で、最初は陸軍航空隊の整備士となったのです。しかし、転機はすぐに訪れました。

入隊から3か月もしないうちに日本海軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、アメリカも第2次世界大戦に参戦。アメリカなど連合軍はその当初、勢いづく日本軍相手に連戦連敗だったものですから、後の大反撃作戦も見越してパイロットの年齢や学歴制限など吹き飛びました。

こうして熱意と優秀な視力を持っていたチャック少年は、1943年には立派な戦闘機パイロットとなってイギリスへと派遣されます。いわばチャック・イェーガーにとって、日本海軍による真珠湾攻撃は絶妙なタイミングで行われたと言えて、後の超音速男の誕生に一役買った形になるかもしれません。

ジェット機を初めて見た時? 撃墜したよ!

1943年11月にイギリスへ投薬したチャックはノースアメリカンP-51Bムスタングを駆り、イギリスの基地からヨーロッパ大陸各地へ出撃する爆撃機の護衛や、地上攻撃などに出撃します。
翌年3月には初撃墜を記録しますが、8回目の出撃となる翌日の任務で逆に撃墜されてしまい、フランス国内のレジスタンス組織“マキ”の助けを借りてスペイン経由でイギリスに帰還できました。

本来なら、そこで事実上チャックにとっての戦争はそこで終わるはずだったのです。
極秘組織であるレジスタンスの秘密を知ってしまったチャックのような人物は、その秘密が漏れるのを防ぐため敵地への出撃が禁じられる規則なのですが、納得いかずに上層部へ何度も掛け合った結果、どうにか出撃許可が出ました。

許可されたのはノルマンディ上陸作戦(1944年6月)以降だったので、フランスの国内事情がバレたところで、大きな問題とはされなかったのかもしれません。
以降、1度の出撃でメッサーシュミットBf109などを5機撃墜、「1日でエースパイロット(5機撃墜)の資格を得た」という称号を得るなど活躍し、最終的に11.5機の撃墜記録を残しました。

その中には史上初めて実戦投入されたジェット戦闘機、メッサーシュミットMe262も含まれており、後に超音速男となってからのインタビューで「ジェット機を初めて見た時どう思ったか」と聞かれたチャックは「撃墜したさ!」と軽く答えています。

X-1で世界初の超音速水平飛行

Chuck Yeager.jpg
By U.S. Air Force photo – Air Force Link, パブリック・ドメイン, Link

しかし、チャック・イェーガーがその名を歴史に深々と刻むのは、やはり1947年10月14日にロケット実験機ベルXS-1で行われた、ある歴史的飛行を忘れてはいけません。

当時、まだ新進気鋭の航空機メーカーで、エンジンをミッドシップ配置したP-39エアラコブラや、アメリカ史上初のジェット戦闘機XP-59エアラコメットなどを作っていたベル社は、後にヘリコプターで成功するとはいえ、当時はいわゆる「ゲテモノメーカー」でした。
良く言えば「食わず嫌いをせず、新しいものにも積極的に取り組むメーカー」だったわけで、だからこそ史上初の超音速突破を目指す実験機開発も任されたわけです。

しかし、そうして出来上がったXS-1(陸軍航空隊が空軍として独立後、X-1と改称)は「砲弾に翼をつけて操縦できるようにした」としか言いようが無い形をしており、ロケットの燃焼時間が短いので爆撃機B-29で高空まで運んで発進する必要がありました。

まるでアメリカ軍が「バカ・ボム」と呼んだ日本軍の人間爆弾(ロケット特攻機)「桜花」のようでしたが、XS-1が目指すのは敵艦ではなく、高空での超音速飛行だった違いがあるくらい。
後に、この発進方式は自力飛行で離陸すると燃料消費などの問題で都合の悪い実験機や現在の民間宇宙機でも一般的になりますが、当時はそのような怪しげな機体を操縦するのは、それなりに度胸のいった話と思われます。

何しろ、当時のXS-1には今でこそ一般敵になった射出座席などの脱出装置が無かったほどで(1955年初飛行のX-1Eで初装備)、まさに命がけの飛行でした。
実験プログラムにはNACA(現在のNASA)のパイロットも加わっていましたが、実際の飛行はほとんどチャックが行っています。

4基装備されたロケットエンジンを使って速度を徐々に上げていき、50回目の飛行でアッサリとマッハ1.06に到達、「そこで何が起きるかわからない世界」は、意外にも音速突破とともに静寂が訪れる(音を置き去りにした)奇妙な世界であることを発見しました。
ちなみに音速突破直前の轟音から急に静寂になったものですから、チャック曰く「死んだかと思った」そうで。

「究極の格闘戦戦闘機」F-20を絶賛

F-20
By U.S. Air Force – National Museum of the USAF
http://www.nationalmuseum.af.mil/factsheets/factsheet.asp?id=2291
http://www.nationalmuseum.af.mil/shared/media/photodb/photos/060810-F-1234S-030.jpg, パブリック・ドメイン, Link

史上初の超音速飛行を成し遂げたチャックでしたが、それ以前にノースアメリカンXP-86セイバーが緩降下で音速を突破しており、「水平飛行による初の音速突破」という但し書きがつきました。
ただし、飛行機の最高速度とは通常、水平飛行によって計測されるもので、重力の力を借りての速度記録は「動力飛行によるもの」とは認められないことを考えれば、やはり特別です。

その当初、XS-1による超音速飛行は極秘で行われていたので世間で広く知られることはありませんでしたが、1948年6月に空軍から公式発表されたことで、チャックは「世界初の超音速男」と、正式に認められました。
その後もチャックは改良型X-1Aによる速度記録(1953年にマッハ2.44を達成)やその他の実験機による飛行に挑み続け、ベトナム戦争にも飛行隊指揮官として参戦した後、1975年に退役しています(最終階級は准将だが、2004年に少将に昇進)。

ただし、それは単に軍歴を終えたというだけの話に過ぎず、その後も空軍やNASAから委託を受けたパイロットとして飛び続けました。

軍歴を終えて以降も「超音速男」の名声は健在で、1984年には当時の最新鋭戦闘機、ノースロップF-20タイガーシャーク(日本では漫画「エリア88」で有名)の操縦桿を握ります。
61歳と老境に入っていたにも関わらずF-20を自在に乗りこなしたチャックはよほどこの戦闘機が気に入ったようで、「コイツは最高の格闘戦戦闘機だ!」と大絶賛したそうです。

F-20は3機作られたうち、42機が高機動飛行中に原因不明の墜落事故を起こしており、あまりの機動性の高さにパイロットが耐えられなかったという説まであるほどの戦闘機が、それを自在に乗りこなしてゴキゲンだったチャックの「超人ぶり」が垣間見える話でした。
(もっとも、F-20は高性能ながらも諸々の事情により量産されずに終わりましたが)

89歳でも音速突破!

さて、その後のチャック・イェーガーですが、実は90歳を超えた今でもまだ存命です。
それどころか、89歳になっていた2012年10月14日、「超音速突破65周年」の記念飛行で、見事に超音速飛行を再現してみせました。

さすがにその時は自ら操縦桿を握りませんでしたが、89歳の老人が健康な若者でも重く感じるフライトスーツ一式を身にまとってF-15Dの後席に収まり、加速Gをものともせず超音速を突破するのは、やはり「超人」、あるいは「鳥人」なのかもしれません。

この記事の掲載時点で何歳か、とふと誕生日を調べると、何と今この記事を書いている2月13日こそが、チャック・イェーガーの95歳の誕生日でした。
映画「ライトスタッフ」でチャック役を演じた、1943年生まれでチャックより20歳も若かったサム・シェパードは昨年(2017年)に73歳でこの世を去りましたが、「超音速男」チャック・イェーガーは健在で、もしかしたら100歳でもまだ飛ぶのではないでしょうか?

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

この記事を友達にシェアしよう!

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

サバゲーアーカイブの最新情報を
お届けします

関連タグ

東京サバゲーナビ フィールド・定例会検索はこちら
東京サバゲーナビ フィールド・定例会検索はこちら

アクセス数ランキング