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2018/01/24

菅野 直人

全金属時代にも開発! 世界の木製戦闘機5選

飛行機、ことに戦闘機ともなると金属製が当たり前、今では炭素繊維など複合素材も使われているくらいですが、軽量な金属素材で作られる以前は木製機が主流でした。とはいえ1910年代、第1次世界大戦末期には初期の金属製戦闘機が登場し、第2次世界大戦のあった1940年代でほぼ全ての戦闘機が金属製になっています。そんな中、最後の木製戦闘機といえるものをいくつかピックアップ!

大英帝国を支えた偉大なる木製機、デ・ハビランド モスキート(イギリス)

イギリス空軍のモスキート B Mk.IV
By RAF – From:en:Image:Mosquito.inflight.600pix.jpg Uploaded originally by en:User:Arpingstone on 25 April 2003, パブリック・ドメイン, Link

トップバッターは軍用機ファンなら知っている人も多い、イギリスのデ・ハビラント社が作ったモスキート

第2次世界大戦前から木製高速機を作ってレースなどで実績を上げていた同社は、ドイツとの戦争に備えた軍備拡大で軍用機が増産される中、資源の多くを輸入に頼るイギリスでは金属製航空機用の資源が枯渇すると考えます。

そこで得意の木製高性能機を軍部に売り込みますが、「これから全金属製航空機の時代なのに木製機なんて!」と、最初は相手にされませんでした。
軍部が考えていたのはあくまで鈍重な複葉機時代の木製機だったのです。

しかし、近代構造でパワフルなエンジンさえあれば全金属機に負けない性能を発揮できるはず、と同社は食い下がり、何と「無武装で軽量化と低抵抗化を実現し、高速で敵を振り切る高速爆撃機」を自社設計、ついに1940年3月、軍からの発注を得ることに成功しました。

フランス戦での敗北で英本土決戦を目前に控え、開発優先度が下げられたりもしましたが、バトル・オブ・ブリテン(英本土防空戦)勝利後の同年11月に試作機は初飛行。

モスキート(蛾)と名付けられたこの木製機は予定通りの超高速性能を発揮し、爆撃機や偵察機としてだけではなく、戦闘機としても大活躍、特に偵察機型はジェット戦闘機メッサーシュミットMe262が登場するまで効果的な迎撃は不可能と言われたのです。
(日本軍機による撃墜記録は、ビルマ戦線で一式戦闘機「隼」が待ち伏せで一撃離脱戦法をとった一例のみ)

いわば後の超音速戦略爆撃機(B-58ハスラーやXB-70バルキリーなど)、超音速戦略偵察機(Sr-71ブラックバード)を先取りしたような存在でしたが、加えて後のジェット時代では実現しなかった迎撃機型(ブラックバード原型機の戦闘機型YF-12)まで成功させています。

木製機ゆえに全金属製機ほどの耐久性はもたず、湿気などで機体が傷んで第2次世界大戦後は急速に退役したものの、それでもイスラエル空軍で第1次、第2次中東戦争を戦い、最後のモスキートは1957年に退役するまで使われました

低空での活躍は木製版零戦?!ラボーチキン La-5(ソ連)

La-5F
By Soviet propaganda – Russian memorial, La-5, series Voyna v vozdukhe (War in the Air) №69 by S.V. Ivanov, CC 表示-継承 3.0, Link

戦争に備えていろいろな素材であらゆる飛行機を作れるようにしておこう」という考え方は第2次世界大戦までに世界各国に存在し、資源が豊富そうなアメリカですら木製の試作戦闘機を作っていましたが、その多くは実用化されずに終わっています。

それはもちろん、結局は資源がそこまで枯渇しなかったからでしたが、資源は豊富でも戦車など膨大な軍備を支えるため、そして資源としての木が豊富なため木製戦闘機に熱心だったのがソ連でした。

その代表的なものがラボーチキン設計局の開発した戦闘機で、熟成不足で低性能だったLaGG-1とリファイン版LaGG-3を経て、空冷エンジンに換装し、軽量な高機動戦闘機として大活躍した決定版が、1941年12月に初飛行したLa-5です。

全金属製より若干重いとはいえ、木製機なら表面仕上げを丹念にやれば金属製より空気抵抗を少なくできるメリットを活かし、空冷エンジンは液冷エンジンほど航空性能で劣るものの、独ソ双方とも高高度爆撃機を持たなかった東部戦線では十分。
低空での高速性能と機動性ではドイツ軍の主力メッサーシュミットBf109を圧倒し、数多くのエースを生みました。

ただし、金属製にすればより高性能になるのも確かだったので、Laー5の後期型や発展版La-7では主翼を金属化、その後継のLa-9やLa-11ではついに全金属製となり、朝鮮戦争でも北朝鮮空軍や中国空軍機が参戦しています。

ドイツ版モスキート、空中分解す! フォッケウルフ Ta154(ドイツ)

Focke-Wulf Ta 154 Oben.jpg
By Uploader投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link

モスキートの活躍に刺激を受けたドイツ空軍が、「金属など戦略物資を極力使わず高性能夜間戦闘機を開発せよ」と各メーカーに命令、名機Fw190などを開発したフォッケウルフ社のクルト・タンク博士の設計案が採用され、1943年7月に初飛行したのがTa154。

主翼の大半など50%を木製とした木金混合の双発戦闘機、いわばドイツ版モスキートというべきもので、モスキート同様さまざまな用途の発展型が計画されたものの、連合軍機を相手に双発戦闘機で昼間戦闘を行うのは既に困難で、夜間戦闘機一本に絞られます。

スペック上は有望な性能を示したものの、木製素材を組み立てるための接着剤工場が空襲で壊滅、代用接着剤を使った機体は接着不良で空中分解するなど品質改善の目処が立たなかったため、大量生産は見送られました。

結局Ta154として完成したのは試作機を含めて30機ばかり、完成機か未成機かは不明ですが、少数はFw190を母機として胴体上に乗せ、目標に近づくと爆薬を乗せたまま突っ込む無線操縦飛行爆弾「ミステル」に改造されたようです。

木製高性能機を作れなんて聞いてないよ! 立川キ106(日本)

番号だけで呼ばれると何だかわかりませんが、キ84・日本陸軍四式戦闘機「疾風」の木製版です。

第2次世界大戦直前、日本でもイギリスなどと同様資源の多くを輸入に頼ることには変わりませんでしたが、そもそもあまりに国力不足で長期戦に耐えられないため、数は少なくとも高性能全金属戦闘機を揃えておけばコト足れりと考えていたフシがあります。

そのため近代的な高性能機はほとんど金属製で作ってしまい、木製機は低性能の練習機などに残るのみとなっていたため、デ・ハビランド社のような木製機のエキスパートはいなくなっていました。

とはいえ戦争はそううまくいかないもので、陸軍で「大東亜戦闘機」こと四式戦闘機疾風の実用化にメドがついた1943年(昭和18年)、ジュラルミンなど航空機用戦略物資の不足から、金属以外でも疾風を量産できるよう軍部から指示が出ます。

そこで、鋼材製キ113(中島飛行機)やエンジンを低出力でも小型軽量、量産性も高いものに換装したデチューン版キ116(満州飛行機)とともに開発されたのが、木製版キ106(立川飛行機)でした。

しかし、前述のように近代的木製高性能機の開発技術を育成しなかった日本ではキ106の開発は困難を極め、重量過多でとても戦闘機として使えるものではなくなり、やむを得ず練習戦闘機として開発続行することに。
さらに、ドイツが苦労したように木製航空機用接着剤の技術が無かった日本では生産もおぼつかず、結局は試作機を含め終戦までに10機程度しか完成しませんでした。

日本で産出する数少ない資源の木材を有効活用できなかった、という批判の代表格として語られることも多いのですが、特攻兵器や小型船舶用にも多くの木材を必要とした上、熟練した職人は徴兵で少なくなっており、問題を解決できても量産は困難だったでしょう。

木製ジェット艦戦、ヴォートF6U パイレート(アメリカ)

F6U-1 Pirate NATC in flight.jpg
By USN – U.S. Navy photo No. 419467 in: United States Naval Aviation 1910-1995, Part 6 Postwar Years 1946-1949, p. 180; U.S. Navy National Museum of Naval Aviation photo No. 1996.253.7199, パブリック・ドメイン, Link

何と戦後生まれのジェット戦闘機にも木製機はありました
バルサ材の表面にアルミニウムを貼り、サンドイッチ構造とした「メタライト」という素材を使ったジェット戦闘機F6Uパイレートがそれで、アメリカのヴォート社が開発して第2次世界大戦後の1946年10月に初飛行

メタライトは「円盤戦闘機」として有名ながら、結局はモノにならなかった双発レシプロ戦闘機、XF5Uフライングパンケーキでも使われたもので、軽量ながら非常に頑丈、不採用後に解体するのが大変だったほどです。

それを初のジェット艦上戦闘機に採用したわけですが、同時期にテストされていたグラマンF9FパンサーやマグダネルF2Hバンシーより性能で劣ったため、試作機を合わせ30機程度の量産で実験的に使われたに過ぎませんでした。

特に木製機としての欠陥は無かった、あるいは表面化することの無かった代わりに目立つことも一切無かった同機ですが、超音速機には不可欠なアフターバーナーつきターボジェットエンジンのテスト機に選ばれ、同エンジンを踏査する初の戦闘機として名を残しています。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。
撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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