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2018/01/8

菅野 直人

周囲は全て敵!永世中立国スイスをWW2から守った将軍、アンリ・ギザン

第2次世界大戦において、世界中の国は多くが連合国軍へ、一部が枢軸国軍へと別れましたが、そのどちらにも属さない中立国もありました。しかしそれは中立国が戦わないことを意味せず、ベルギーはフランスへの通り道としてドイツ軍に撃破されましたし、スウェーデンもソ連と交戦していたフィンランドの「冬戦争」へフィンランド側に立って義勇軍を送り、危うくソ連から宣戦布告されそうに。そしてスイスもまた、全期間にわたり「中立を守るため」戦い続けました。その先頭に立ったのがスイスの将軍、アンリ・ギザンです。

General Guisan.jpg
By 不明 – www.memo.fr/Media/Guisan_Henri.jpg, パブリック・ドメイン, Link

ドイツもコイツも、周りは全部敵!

現在のスイス連邦が成立したのは1848年ですが、明確に「スイス」という国が誕生したのはさらにさかのぼり1291年、そして有名な「武装中立」を宣言したのは1618年に始まった三十年戦争での最中です。

独自の軍事力整備で、周りで戦争が起こってもその軍事力で戦争に巻き込まれることを防ぐ中立政策であり、ある意味「戦争に巻き込まれそうになったら戦争してでもそれを防ぐ」という、相当な覚悟のいる政策でした。
それは現在でも堅持されていますが、実際にスイス自身に大規模な武力行使が必要とされたのは第2次世界大戦の時が唯一です。

この時、枢軸国のドイツとそれに併合されていたオーストリア、ドイツの同盟国イタリア、連合国として後に解放されるまでドイツの支配下にあったフランスに囲まれていたスイスは、「枢軸国のど真ん中」に位置していました。
唯一の例外はオーストリア国境にあり同じく中立のリヒテンシュタインでしたが、これもスイスに外交や関税を委託して、考えようによっては「戦争してない限りスイスの保護国」と言えたので、立場は同じです。

連合国の反撃が激しくなると、スイスの周辺は枢軸国と連合国の銃弾や飛行機が飛び交う戦場となり、中立を維持して崩さないスイス(そしてリヒテンシュタイン)にとっては「戦争している以上、周りは全部敵!」という状況に陥ったのでした。

危うく枢軸参戦しかけたスイスをまとめる

中立とはいえ、同じ中立国のベルギーは1940年5月にドイツがフランス侵攻を始めると、ドイツ軍の電撃的な侵攻であっけなく降伏してしまいました。
ついでフランスが降伏、北半分はドイツが占領、南半分も枢軸国であるヴィシー・フランスが成立すると、枢軸国の中でスイスは完全に孤立してしまいます。

もちろん、中立である以上はドイツ軍やイタリア軍の領内通過による「戦争協力」などもってのほかだったため、ベルギー同様「戦争のための通り道」にされることを恐れたスイス国民、特にドイツ系国民は、枢軸国側に立っての参戦を真剣に検討すべきだと議論を始めました。

大戦勃発以降の中立政策の核となっていた外務大臣、ジュゼッペ・モッタの死去(1940年1月)による中立派の後退もその大きな要因でしたが、それを覆して中立維持のため立ち上がったのが、スイス軍の最高司令官、アンリ・ギザンです。

Giuseppe Motta.gif
By Unknown; copyright belongs to the Swiss Confederation. – http://www.admin.ch/br/dokumentation/mitglieder/details/index.html?lang=de&id=44, Copyrighted free use, Link

フランス降伏直後の1940年7月25日、1291年にスイス盟約者団を結成するための永久同盟(リュトリの誓い)が結ばれたスイス建国の地、リュトリ平原にスイス軍の主だった将校を集めたギザン将軍は、有名な「リュトリ演説」を行い、スイスの結束を求めました。

先祖代々独立を守ってきた経験を活かし、軍がその備えを怠らず、我々の権利を信じていれば、我々の軍も効果的に抵抗できると信じようじゃないか!」

スイス防衛計画、その要は侵攻目的を喪失させることにあり
こうしてギザン将軍の意志はスイス全国民に浸透、中立維持の決意を固めさせますが、問題はその防衛計画でした。

何しろスイスと周辺国との国境は全て山岳で仕切られていたわけではなく、平地ではよほどの戦力差が無ければ容易に突破を許してしまいますし、国中が平地で面積も狭いリヒテンシュタインなど、本気で侵攻されれば10分ともちません。

しかし、スイスには「アルプス山脈」という交通の難所があり、仮にスイスを攻略するとすれば、このアルプス山脈を通過してドイツ・フランス・イタリアの往来を容易にする「交通の要衝を制圧する」ことが大きな目的になるのは確実です。

つまり、スイス全土と言わずアルプス山脈さえ防衛、あるいは防衛しきれない場合に破壊可能ならば、枢軸国はその戦争目的を果たせず、結果的にスイスへ侵攻する意味も無くなる、とギザン将軍は看破していました。
どこを占領されても防衛の意味を失ってしまう日本とは真逆に、本当に重要な部分だけ守ればほかの全てを占領しても意味が無い、という地形がスイスを救う要というわけですね。

そのためギザン将軍は動員したスイス軍をアルプス防衛に集中させ、それ以外は領空侵犯に対処する空軍や都市の高射砲部隊、そして国境を監視する警備隊を除いて引き上げ、「攻められるものなら攻めてみろ!」という強気の戦略を展開。

その結果、ついに枢軸国も連合国も地上部隊をスイスへ進撃させず、戦争末期に連合軍の爆撃機が誤爆と称して嫌がらせ的な爆撃を行ったのみ。
むしろそうした「誤爆」や「航法の誤り」などによる領空侵犯に対しては、高射砲や空軍の戦闘機による警告や迎撃が積極的に行われ、ドイツから輸入したメッサーシュミットBf109戦闘機が領空侵犯機を強制着陸させるなど、き然とした態度を示し続けました。

永世中立国スイスを守り切った英雄

結果、1945年5月にナチス・ドイツが無条件降伏・解体、ヨーロッパでの戦火が収まるまでスイスは全ての勢力からの中立を守り抜き、8月にはスイスを通して日本の降伏(ポツダム宣言受諾)が伝えられました。

1874年生まれ、最初は農業技術者を志したものの、徴兵されて兵役についたことをきっかけに職業軍人の道を歩んで砲兵としてのキャリアを積み、1932年以降はスイス軍トップ(軍団長大佐兼国防委員会委員)となったアンリ・ギザン

大火力を緻密な計算で投入するのをその役割とするためか、頑固でブレないのが砲兵の特徴と言われますが、スイスが第2次世界大戦に巻直面した時、その砲兵出身者が「将軍」(平時に将官を置かないスイス軍では戦時最高司令官を意味する)だったことが幸いだったかもしれません。

ナチス・ドイツ降伏直後の1945年6月には、自らの役目は終了とばかりにさっさと引退してしまった引き際も、また見事でした。
1960年4月にギザンが死去した際には、30万人もの国民がその葬列を見守ったと言われています。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。
撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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