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2018/01/5

菅野 直人

アイゼンハワーも絶賛! WW2勝利の原動力となった兵器BEST3+2

第2次世界大戦でヨーロッパ方面の連合軍総司令官として活躍、戦後アメリカ大統領となったドワイト・D・アイゼンハワーは「第2次世界大戦での勝利に貢献した3つの兵器」を代表として挙げました。これに加えて2つの兵器を独自に推薦し、第2次世界大戦で連合国が勝利した「5大兵器」としてご紹介します。

その1「あらゆる戦場を走ったジープ」

FORD GPW JEEP 20120526.JPG
By Taisyo – photo taken by Taisyo, CC 表示 3.0, Link

現在でもFCA(フィアット・クライスラー)が持つブランドのひとつであり、アメ車が不人気な日本でも唯一大人気のアメリカン自動車ブランドがジープ
タフでワイルド、縦に7本溝が入るフロントグリルのジープは、代表的なジープ ラングラーをはじめ、今ではさまざまな車種がラインナップされていますね?

ジープがその名を永遠のものとしたのは第2次世界大戦での大活躍から。
それが生まれたのはヨーロッパでの戦端が開かれてからしばらくたった1940年、ドイツの(ポルシェ博士のフォルクスワーゲンをベースにした有名なもの以前からあった)キューベルワーゲンなど小型軍用車両が注目され、アメリカ陸軍でも同様の車両がオーダーされた時。

そのオーダーに応えたバンタム車では簡単な構造で頑強、修理も容易な4輪駆動車を開発し、それが後にジープとなりました。
開発されたジープはただちに大量生産が開始され、アメリカ軍だけでなくあらゆる連合国軍に配備されて標準的な小型軍用車となり、武装した偵察車両や小型輸送車として、全ての戦線で連合軍を支えます。

開発したバンタム社は弱小メーカーだったので実際の生産はフォードやウイリス社などで行われ、戦後は自動車メーカー再編の中で最終的にクライスラーのブランドとなって今に至るわけです。
日本でも三菱がライセンス生産してまだ自衛隊に残っていますし、あちこちで生産、あるいは同種の車(日本ではトヨタ ランドクルーザーなど)が開発されましたが、その基礎は第2次世界大戦での活躍にありました。

その2「空の生命線、C-47スカイトレン輸送機」

Douglas c47-a skytrain n1944a cotswoldairshow 2010 arp.jpg
By Adrian Pingstone (Arpingstone) – 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, Link

陸で連合軍を支えたのがジープなら、空で支えたのはダグラスC47スカイトレイン輸送機でした。

戦前にダグラスが開発した旅客機史上初にして最大のヒット作、DC-3の軍用機版で、第2次世界大戦が始まると民間から軍に徴用されたものも含め多数のC-47(DC-3)前線での輸送に活躍
中には中国戦線へインドから兵器や物資を空輸するヒマラヤルート越えに投入された機体も多く、連合軍がその戦線を支えるための物資を運ぶ兵站輸送には多数のC-47が不可欠でした。

もちろんアメリカ以外にもイギリスやソ連にもレンドリースで多数のC-47が配備され、ソ連ではライセンス生産も行われています。
おまけに戦前に開発されたためライセンス(製造権)は連合軍以外に日本でも保有しており、昭和飛行機で生産された日本版C-47「零式輸送機」日本海軍の主力輸送機のひとつとして活躍。

連合軍のみならず敵でも重宝されたC-47ですが、戦後は作りすぎた連合軍側のC-47が民間版DC-3へ戻って多数が放出されたため、戦後の民間旅客機(特にDC-3サイズの小型双発機)はしばらく新型機の参入が困難なほどでした。

その3「バズーカ砲」

Soldier with Bazooka M1.jpg
By U.S. Army Signal Corps photograph.. – This image is available from the United States Library of Congress‘s Prints and Photographs division under the digital ID cph.135435.
This tag does not indicate the copyright status of the attached work. A normal copyright tag is still required. See Commons:Licensing for more information.

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最初の2つは「戦争そのものを支える重要な輸送手段」でしたが、アイゼンハワーが触れた3つ目はただひとつの「直接敵を倒す武器」で、それがバズーカ砲

現在では砲身(弾を発射する筒)を持つ無反動砲を総称した代名詞として使われることも多いのですが、正確に言うと「バズーカ砲」とは火薬で発射する無反動砲とは異なり、ロケット弾発射筒で、両者に共通するのは発射時に後方へ爆風が生じることのみ。
無反動砲はその後方への爆風で発射時の反動を相殺するのに対し、ロケット弾が発射筒から自力推進するバズーカ砲にはそもそも発射時の反動がありません

そのロケット発射筒の形状が吹奏楽器の「バズーカ」に似ているので「バズーカ砲」と呼ばれるようになったのが、60mmロケットランチャーM1です。
何しろ「ロケット弾への点火スイッチを持つだけの、単なる鉄の筒」という簡易な構造でありながら、成形炸薬弾頭を持つロケット弾は命中さえすれば強力な装甲貫徹力を持っていました

それ以前は歩兵や工兵が対戦車手榴弾や対戦車地雷、爆薬などを接近して投げつけるという原始的かつ危険な手法でしか装甲の厚い戦車に対抗できなかった歩兵が、バズーカ砲のおかげでそれほど接近せずとも対戦車戦闘が可能になったのです。
(ただし、距離が離れると必中は難しいため、おおむね50m以内に近づく必要はあった)

そのためヨーロッパ戦線では強力なドイツ軍戦車が安全では無くなりました。
M1バズーカや空挺用M9バズーカは寒冷地ゆえか不発の多かったソ連軍を除くあらゆる連合軍で使われ、戦後も89mmロケット砲弾を放つM20スーパーバズーカが後継兵器が出るまで長らく使われました。

次点1「東部戦線の主役、T-34戦車」

Char T-34.jpg
By Antonov14 – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 2.5, Link

ここからはアイゼンハワーの触れていない兵器ですが、前述の3つがアメリカで開発された兵器なのに対し、T-34戦車は純粋なソ連製兵器

戦前に開発され、ドイツによる対ソ侵攻「バルバロッサ作戦」開始時にも少数が配備されていたT-34は、火力・防御力・機動力のいずれかに優れたものを状況に応じて使い分けていたそれまでの戦車と異なり、全てのバランスに優れた驚異的戦車でした。
その当初、戦争に大きな影響を与えるにはあまりに数が少なかったとはいえドイツ軍はT-34に大きく手こずり、IV号戦車やIII号突撃砲の長砲身型配備、V号戦車パンターの開発といった影響を与えます。

しかしT-34が偉大だったのはその性能だけではなく、生産や整備が容易でタフなため作る端からあらゆる戦場に投入され、走破性の優れてどこの戦線でも使用可能で、拡張性に優れていたため戦訓を生かしたアップデートも容易だったことです。

そのため戦争が進むに従い、改良されたT-34がドイツ軍や同盟国軍では対応不可能なほどの数で押し寄せるようになり、スチームローラーと呼ばれた強力かつ多数のソ連軍による大攻勢「バグラチオン作戦」の先陣を切ってベルリン目がけて突っ込んできました。

ソ連軍にはほかにも優秀な兵器はあったものの、どれだけ撃破しても湧いて出るT-34こそが最終的に強大なドイツ軍をその履帯(キャタピラ)で踏み潰してしまったと言えます。
1945年8月9日にソ連が対日参戦した時にも満州で多数のT-34がなだれこんで来ましたが、日本軍にはT-34に対抗できる兵器がほとんどありませんでした

次点2「本国と前線を海でつなぐ護衛艦艇」

Malabar 2016 participants from the Indian Navy, Japanese Maritime Self-Defense Force (JMSDF), and U.S. Navy sail in formation.jpg
By Mass Communication Specialist 2nd Class Ryan J. Batchelder – http://www.navy.mil/management/photodb/photos/160617-N-MY174-220.JPG, パブリック・ドメイン, Link

アイゼンハワーが触れた3大兵器には空と陸で戦線を支えるジープとC-47が含まれましたが、海で戦線を支える兵器も重要な役割を果たしたのは言うまでもありません。

兵器や物資の供給基地たるアメリカ合衆国はほとんど戦火に直接巻き込まれませんでしたが、その代わりアメリカ大陸から前線へは、海を渡って膨大な物資と兵器を運ばねばならなかったのですが、まだ巨人輸送機など無い時代、それを大量に、迅速に運べるのは輸送船だけでした。

当然、ドイツも日本も潜水艦や航空機、水上艦艇でその妨害を試み、ドイツは大量のUボートで、日本に至ってはフィリピンに押し寄せた上陸部隊とその輸送船団を撃破するため、連合艦隊に残された最後の戦艦隊まで投入したほどです。
そして、その時輸送船を守り続けたのが、大量の護衛艦艇でした。

大は北大西洋や北極海での戦艦から、小はトロール漁船改造のコルベット艦(小型対潜艦艇)まで投入され、護衛空母による上空支援まで行いましたが、それらはドイツや日本が次第に劣勢に追い込まれ、その妨害が不可能になるまで激しく戦い続けています。

中でもアメリカとイギリスを結ぶ北大西洋航路や、イギリスとソ連のムルマンスクを結ぶ北極海航路で主にドイツのUボートと戦った連合軍護衛艦艇
それにフィリピンのサマール島沖で日本海軍連合艦隊・第1遊撃部隊と遭遇してこれを急遽迎撃せざるをえなかった米海軍の護衛空母部隊の活躍は目ざましく、まさに「戦争を支える屋台骨」だったと言えるでしょう。

対する枢軸国軍もドイツやイタリアは地中海で、日本も太平洋からインド洋で護衛艦艇が同様に大量に投入されますが、その任務を果たせたか否か、あるいは正面切って攻撃を行う主力の戦力との両立を果たせる国力があったか否かが、戦争の分かれ目となりました。

ヨーロッパ方面総司令官だったアイゼンハワーだからジープやC-47に触れたかもしれませんが、太平洋方面で同じ役割を果たした米陸軍のマッカーサーや米海軍のニミッツなら、「護衛艦艇」や「輸送船」に触れたかもしれませんね。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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