- コラム
映画ダンケルクのヒロイン? スーパーマリン・スピットファイア
2017/11/14
菅野 直人
すごいー! たーのしー!
2018/01/1
菅野 直人
エアレースと言えば最近では日本でもレッドブルのエアレースが開催されたり、そこに零戦がデモフライトを行ったりしてますね。しかしミリタリーマニアなら一度は見てみたいのがアメリカのリノ・エアレースなど軍用機ベースのフルチューン、またはノーマルに近いレーサーで争われるレース。そこでの定番軍用機をいくつかご紹介します。
By USAAF/361st FG Association (via Al Richards) – http://www.ww2incolor.com/gallery/albums/U-S-Air-Force/361st_fg_p_51.jpg, パブリック・ドメイン, Link
まず定番中の定番なのが、1940年に登場したP-51マスタング。
イギリスのロールス・ロイスが開発した「マーリン」エンジンを搭載したP-51Bから高性能を発揮し、第2次世界大戦中に投入された戦闘機の中ではトップクラスの性能と安定した信頼性を発揮して、太平洋からヨーロッパまで世界中で活躍した超傑作機。
戦後も1950年に始まった朝鮮戦争をはじめ、世界中で1960年代まであらゆる戦場で戦い続けました。
とはいえ戦後しばらくしてジェット戦闘機への転換が進むと状態の良い余剰機が出てエアレースでも盛んに使われるようになり、ノーマルに近い姿から、フルチューンを受けて原型をほぼ留めていないものまでさまざま。
エンジンを「マーリン」から、スピットファイアの後期型が搭載した「グリフォン」に載せ替えてカリカリにチューンしたものまで、エアレースと言えばP-51は欠かせません。
By オリジナルのアップロード者はドイツ語版ウィキペディアのLegionさん. Uploaded to Commons by Körnerbrötchen., パブリック・ドメイン, Link
P-51ほど数は少ないものの、これまた欠かせないのがF8Fベアキャット。
第2次世界大戦末期に「零戦すら上回る機動力を持った究極の艦上戦闘機」として開発されたものの、最初の部隊が空母に載って日本に向かっている途中で戦争が終わり、第2次世界大戦では結局出番が無かった「遅すぎた最強戦闘機」です。
大馬力エンジンで強引に発揮する機動性により空戦性能は非常に高かったものの、第2時世界大戦末期以降の戦闘機は「戦闘爆撃機」として機動性の高い地上支援攻撃機としての役割も重要になります。
そのため空戦で強くとも爆弾搭載量の少なかったF8Fは戦後の戦闘機として不適格とされ、朝鮮戦争などでも偵察機がわずかに使われた程度ですぐ退役。
フランス空軍やタイ空軍でも使われましたが、ほとんどは余剰機となって民間に放出、レーサーになりました。
基本的に大直径・大馬力の大型空冷エンジンを搭載して「パワーで速度や機動力を稼ぐ」機体なだけに、大馬力空冷エンジンをさらにチューニングしたレーサーや速度記録挑戦機が多く、その1機「レア・ベア」はレシプロエンジン機での世界最高速記録(約850km/h)をもっています。
レーサーとしても短い主翼に太い胴体と、そのスタイルはP-51とは対照的。
By Kogo – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 2.0, Link
アメリカで活躍する第2次世界大戦軍用機型エアレーサーとしては珍しいイギリス製の定番機が、シーフューリー。
元は第2次世界大戦中盤から低空での運動性に優れる戦闘爆撃機として活躍したホーカー タイフーの発展型、テンペストをさらに小型軽量化、大馬力空冷エンジンで高い機動性を発揮させたもの。
空軍型フューリーは採用されなかったものの、海軍の艦上戦闘機型シーフューリーが採用されて、いわばイギリス版F8Fと言えますが、こちらは戦闘爆撃機としての能力も高く、朝鮮戦争でもイギリス海軍やオーストラリア海軍の空母から活躍しました。
その実力たるや、中国軍のジェット戦闘機Mig15の撃墜記録さえあるのですから立派なものです。
1960年代までは世界のアチコチで現役でしたが、その後民間に放出された機体が増えてレーサーとなり、P-51やF8F改造レーサーと並ぶ優勝候補機の一角となっています。
By U.S. Navy – U.S. Navy National Museum of Naval Aviation photo No. 1996.253.7154.022 [1], パブリック・ドメイン, Link
P-51と並んで、ジェット戦闘機の導入が遅れた国の空軍では1970年代まで現役で使われた長命の傑作レシプロ戦闘爆撃機がF4U。
その当初はグラマンの艦上戦闘機と競争試作され……と言っても当初のライバルはグラマンF4Fでしたから、前述のF8Fより2世代前の飛行機です。
開発当初は離着陸が難しい難物だったものの、ライバルを圧倒する高性能で開発続行されて、当初は海兵隊の地上基地用として、第2次世界大戦中盤以降は当初の目的である空母艦載機としても、アメリカやイギリスの海軍で使われました。
爆弾やロケット弾など搭載力が大きく、戦闘爆撃機としての使い勝手が良かったので戦後も長らく使われ、1969年に中米のホンジュラスとエルサルバドルが戦った「サッカー戦争」ではホンジュラス空軍のF4Uがエルサルバドル空軍のP-51Dを撃墜しています。
これがレシプロ戦闘機最後の空中戦での戦果になりましたが、その頃から既に余剰機がエアレースに出始めていたのはP-51同様。
ちなみにF4Uコルセアの一族には、戦後大型機用のエンジンとして多用された4,000馬力級エンジン「ワスプ・メージャー」を搭載したF2Gという戦闘機も存在し、これに習ってコルセア・レーサーも多くがワスプ・メージャーかそのチューニング版を搭載しています。
定番3機種ほどではありませんが、大馬力エンジン搭載機種が「純正」で存在する強みで、レースでも参加するだけでなく優勝争いに加われる実力を持った名機です。
By Adrian Pingstone (Arpingstone) – 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, Link
ここまで紹介したレーサーベースのレシプロ戦闘機は全て初飛行が1940年以降ですが、最後に紹介するスーパーマリン スピットファイアは何と初飛行が1936年!
大抵の国ではまだ複葉機がハバを利かせてた時代に飛び立ちましたが、後にP-51へも搭載される「マーリン」エンジンによって高性能を発揮。
P-51やF4Uがようやく初飛行した1940年には、既にイギリス空軍最強戦闘機としてイギリス本土防空戦「バトル・オブ・ブリテン」を戦い、ホーカー ハリケーンと共にドイツ空軍をイギリスの空から叩き出す輝かしい実績を誇りました。
それのみならず、年々バージョンアップを受けて高性能化、新型の「グリフォン」エンジンを得た通称「グリフォン・スピット」など第2次世界大戦全期間を通じて生産されて戦い続け、海軍用艦上戦闘機型シーファイアは朝鮮戦争にまで出撃しています。
さすがに基本設計が古いので1950年代にはどの国の空軍からも退役しましたが、P-51がレースに出るなら同じエンジンを積むスピットファイアも黙っちゃいない、とばかりに、大英帝国の誇りを賭け? 数は少ないながらもレーサーとして現役です。
さすがに主翼など空力設計は古いので常に上位争いをするわけではありませんが、出場するだけで盛り上がる機種の1つですね。
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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