- コラム
意外にも精強!WWIIイタリア戦闘機BEST5
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菅野 直人
すごいー! たーのしー!
2017/12/22
菅野 直人
第2次世界大戦中、ドイツ軍主力戦闘機として空軍の代名詞的存在のひとつだったメッサーシュミットBf109。その同系列エンジンを搭載した日本の戦闘機がありました。その名は川崎キ61・三式戦闘機「飛燕」。和製メッサーとも呼ばれた飛燕は、日本の技術力の限界を超えたメカニズムのため評価の厳しい戦闘機ですが、どんな飛行機だったのでしょうか?
一般に、飛行機のエンジンには大きく分けてエンジンを空気で冷やす「空冷」と、内部に冷却液を循環させて冷やす「液冷」の2種類があります。
第2次世界大戦では日本だと空冷、イギリスやフランスでは液冷が圧倒的で、アメリカや空冷が多かったものの液冷が無かったわけではなく、ソ連はその逆、といった具合に、各国の航空産業で得意分野というか、好みが分かれていました。
液冷エンジンは基本的には現在の自動車で数多く使われるものと同じ、ラジエーターで冷やした冷却液を循環させる当たり前のエンジンではありますが、低空から高空まで、熱帯から寒冷地まで、通常飛行から戦闘機動まで行う軍用機では勝手が違います。
エンジン内部で急激な気圧の変化による冷却配管への負担、激しいGによる冷却液の偏りなどもあって、自動車用よりよほど高い工作精度が要求されるためです。
工業力の低かった日本の航空機用エンジンで空冷が主流だったのはそのためですが、一方でドイツのBMW製エンジンを国産化していた川崎飛行機(現在の川崎重工業航空宇宙カンパニーおよび、同ガスタービン・機械カンパニー)のように、液冷を得意としているメーカーもありました。
その技術で戦前に陸軍の九二式戦闘機、九五式戦闘機を作っていた川崎飛行機は、いわば日本の「水冷 / 液冷エンジンの名門」だったわけです。
1940年代の軍用機を担う液冷エンジンとしてドイツからダイムラー・ベンツDB601の生産権を購入する時も、生産能力の限られた愛知航空機(主に海軍へ供給)に加え、陸軍へも供給するため川崎航空機でも生産権を得たのは、こうした事情がありました。
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DB601の陸軍向け国産版「ハ40」を搭載する新戦闘機は、川崎飛行機で2つ計画されました。
1つは重戦闘機のキ60で、中島飛行機のキ44(後の二式単座戦闘機「鍾馗」)との競争試作に敗れて不採用。
ただし、不採用になった理由はもう1つの新型液冷戦闘機が予想外の高性能を示したためでもあり、それがキ61です。
名設計者・土井武夫の手によりキ60より数か月遅れで開発着手されたキ61は、その当初案で軽快な軽戦闘機であることも考えられましたが、結局は運動性も速度性能も無視できないとして「中戦闘機」が最良とされました。
戦車でも戦前には軽戦車や重戦車が作られたのが、最終的には機動力と装甲、火力がほどよくバランスされて使い勝手のいい中戦車が主力になったのと、同じようなことを考えていたわけです。
こうして「中戦闘機」という新しいコンセプトの元で開発されたキ61は1941年12月に試作機が初飛行して当時の日本が開発していた戦闘機の中では群を抜く高速性能(最高速591km/h)を発揮し、陸軍を大喜びさせました。
試作機は良好な性能を発揮し、1942年4月の日本本土初空襲(ドゥーリットル空襲)時にもテスト中の試作機が迎撃、当時の本土防空戦闘機隊に配備されていた旧式機、九七式戦闘機では捕捉すら困難だったB-25爆撃機への攻撃にも成功します(ただし訓練弾のため撃墜戦果は無し)。
しかし、試作機に搭載されていたエンジンは輸入されたDB601、またはそれを国産化した川崎製ハ40の特に慎重に製造された「工芸品」レベルのものであり、量産機ではそうもいきません。
材料不足や工作技術の問題でハ40量産型はカタログ通りの性能発揮は困難で、整備兵も慣れないエンジンに技術が追い付かず整備不良も重なって故障が頻発。
さらに装備が軽い試作機と異なり、実戦向けの装備や武装が施された量産型キ61は重量過大で加速・上昇性能が悪く、連合軍のレポートでも「空戦でもっとも与しやすい相手」とされてしまいます。
「中戦闘機」のコンセプト自体は悪く無かったのですが、技術力が低すぎたので結果的には「中途半端な戦闘機」となってしまったのです。
それでも本土防空戦ではメーカーの目前で空戦を行うため、南方戦線よりは部品調達や技術指導が容易で、上昇力は弱かったものの空冷エンジンより性能低下が少なかったため、B29迎撃戦ではそこそこ戦うことができました。
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キ61は武装強化など数度のマイナーチェンジを経ていますが、ハ40に改良を加えて出力を向上したハ140を搭載するキ61-II、三式戦闘機二型へのビッグマイナーチェンジが試みられます。
特に高空での飛行性能は向上し、「B-29が相手でも高度1万mで編隊を組んで迎撃できる唯一の戦闘機」とまで言われましたが、ハ140はハ40以上に生産が難しいエンジンで、マトモに量産するには日本の技術力を完全に超えていました。
それでいてキ61の機体の方は量産性が考慮された生産しやすい飛行機だったので、エンジンが供給されない「首無し機」が滞留してしまいます。
これを何とか戦力化しようと、新型空冷エンジンハ112-II(海軍名・金星62型)にエンジンを載せ替え、空力的リファインを施したキ100(通称、五式戦闘機)を開発。
液冷戦闘機のメリットである空力性能が損なわれる危惧はありましたが、いざキ100を飛ばしてみるとラジエーターやその配管など液冷関係の装備が無くなったことで空気抵抗はかえって減った上に大幅に軽くなり、最高速度以外の全性能が向上しました。
今まで液冷エンジンにこだわった数年は一体何だったのか……と脱力するような出来事でしたが、ともあれキ100は日本陸軍が量産した最後の傑作機として、終戦前の数か月ながら活躍したのです。
By D. Miller – http://www.flickr.com/photos/fun_flying/250148463/in/photostream/, CC 表示 2.0, Link
1945年には国民向けに「飛燕」という愛称が公開、以降現在に至るまで定着しているキ61ですが、一方でDB601エンジンの国産型ハ40を搭載していることから、本場ドイツでDB601を搭載していたメッサーシュミットBf601とよく対比されます。
そのため「和製メッサー」と呼ばれたり、場合によってはキ61がBf109のコピーだと誤解されているようなケースもありますが、両者の共通点はエンジンくらいで、ほかに同じところはほとんどありません。
連合軍など同じDB601(のイタリア製)を搭載したイタリア空軍の戦闘機、マッキMC202フォルゴーレと似ているかも、という理由だけで「キ61はMC202のコピー」と誤認していたほどで、Bf109とは姿形もメカニズムも性能も全く違ったのです。
特にキ61の方が良好だった離着陸性能やBf109の方が強力だった武装は大きく異なり、さらにキ61は過剰なほど機体が頑丈で、急降下で1,000km/hまで計測可能な速度計を振り切って壊した記録があるほどで、華奢な(ただし修理はしやすい)Bf109とは大差がありました。
ただ、エンジンの不調や機体特性を活かした戦術もできなかったこともあってBf109ほどの活躍はできず、キ61は「カッコイイけど凡作」だったと言えます。
現存する完全なキ61「飛燕」は世界中探しても岐阜県各務ヶ原市の「かがみがはら航空宇宙科学博物館」にあるのみです。
2017年11月、ネットオークションでパプアニューギニアのジャングルで発見された残骸が岡山県倉敷市の会社経営者によって落札、日本に届きました。
落札者は今後レストアを目指すようですが、いつかキ61「飛燕」がハ40の咆哮を響かせる日は来るのでしょうか?
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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